【常陸国三天王】笠間の八坂神社|笠間市

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • もうひとつの創建説
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

神社は江戸、明治と統合を繰り返しているので社格のある神社が一箇所に集中することはほとんどありません。

ところが、笠間の中心地は村社が連立しているんですよね。例えば、笠間稲荷、三所神社、八坂神社は同じ笠間市笠間に鎮座する旧村社です。

歴史的な背景があるわけですが、そうした地域が茨城を代表する観光地として今もあるのはなんとも興味深いことです。

今回はそんな八坂神社についてシェアしますので、稲荷、三所とあわせて参拝をお楽しみいただければと思います♪

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笠間八坂神社とは

八坂神社

八坂神社

由緒

貞観年間/859-877年
創建
下野国小貫郷に創建
建長6年/1254年
遷座
初代笠間城主・笠間時朝が移住に伴い城下である石井の里天王塚に遷座
天正2年/1574年
遷座
笠間領内の総鎮守・三所神社の境内へ仮遷座
寛永11年/1634年
奉献
笠間城主・浅野内匠頭長直が神輿を奉献
慶安2年/1649年
遷座
笠間城主・井上河内守正利が現在地に遷座。10石の除地を与える
寛文5年/1665年
奉献
京都烏丸の磯貝勘三郎に天王神輿を作らせ諸道具と合わせて奉献
明治2年/1869年
神輿渡御の中止
新嘗大祭の日に行っていた稲田神社への神輿渡御を中止する
明治7年/1874年
村社列格
昭和7年/1932年
一の鳥居建立
昭和53年/1978年
文化財指定
神輿が市指定文化財になる
昭和10年/1935年
境内整備
参道の御影石敷き詰めなどの境内整備
平成18年/2006年
境内社再建
境内社・三日月神社の再建

ご祭神は素戔嗚命すさのおです。江戸時代までは牛頭天王社と称し牛頭天王を祭神としました。

牛頭天王は災厄を振りまく一方でそれを治める力を持っているとされます。治めるといっても何か念力を使うのではなく、災厄をその身にまとい体ごと清めることで祓います。清めは水場、特に川で行われるので祗園祭では祭神を乘せた神輿を川まで渡御することが多いのです。

当社の社伝によれば、そんな牛頭天王を笠間城主の笠間時朝が遷座したとあります。しかし、『笠間城記』と『聚成笠間誌』には違った内容が。。要約を『笠間市の昔ばなし』から引用します。

42 牛頭天王のいわれ
 牛頭天王とは、大町にある天王様のことで、この天王様が祀られるようになったのは、次のような物語がある。
 むかし、牛頭天王は下野国小貫村(栃木県茂木町)にあったといわれる。この天王は神の威光がきびしくて、ちょっとしたことにも神の祟りがあるので、里人はついに新しいこもにご神体を包み、これを川に流してしまった。そのこもづつみが流れ流れて、古町川(片庭川)に浮かび、石井村付近まで来た。これを見つけた古町の人が川辺で見ているうちに、光り輝きをまし、おそろしいほどの明るさとなった。ふしぎに思ってこのこもづつみをすくい上げ、居酒やの前におまつりした。
 ところが、この神様のふしぎな力を身に感じた付近の人びとは、心身を清めて、この神様にお参りするようになった。しかし、この神様を長くお預かりすることは、どこの家でもなかなか困難なことであった。そこで、人びとは相談のすえ、毎年くじを作って、当った家で一年間ずつおまつりすることにきめた。天王様は、毎年一回ずつ旅をするかたちで、当番の家をまわることになり、その家を「当家」というようになった。

というわけで、県内の他の八坂神社(あるいは天王社)と同じく、流れ着いたご神体を祀ることに始まったとする説です。この場合は、遷座というより勧請や分霊に近いですね。

ただ、そうであっても社伝にある笠間時朝は創建にあたり関係していたかもしれません。時朝が笠間の地を治めるようになったのは正福寺(笠間)と徳蔵寺(城里町)の法戦に乗じてのことなので、その後ろめたさから成仏できない霊魂や怨霊と呼ばれる存在に無関心ではなかったと思います。そのため怨霊のように災厄を振りまく牛頭天王も無下にはしなかったのではないでしょうか。

余談ですが、いまも佐白山が心霊スポット扱いされるのは、法戦で亡くなった僧兵が成仏できずに彷徨っているという話があるからです。古い文献にもあることなので、リバイバル的に取り上げられているんですね。

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古来、常陸国三天王に数えられていたとか。他は水戸の天王と一ノ矢天王です。

アクセス

常磐道の友部ICを下りて約10分。北関東自動車道の笠間西ICを下りても同じくらいです。

駐車場は一の鳥居をくぐった先です。通常は問題なく駐車できるかと思いますが、お正月は三所神社の方を開放して八坂を閉めていました。祈祷などで神職が偏るので封鎖したのかもしれません。

名称 八坂神社
住所 茨城県笠間市笠間345
駐車場 あり
Webサイト 公式サイト

鳥居と参道

一の鳥居

一の鳥居

境内の作りは兼務社の三所神社と似ていて通り沿いの鳥居は車でくぐれます。

参道

参道

参道は100mほど。途中、左右に駐車場があります。充分すぎる広さですが、ロープで封鎖していることも多いようです。

石段と二の鳥居

石段と二の鳥居

石段を登って社殿へ。社殿周辺は神輿殿や境内社の三日月神社、社務所などがあります。

社殿

拝殿

拝殿

入母屋造の拝殿。トタン屋根が鮮やかに変色していますね。

ご祭神の素戔嗚命は高天原追放後に「根の堅州国」に住んでいますので、植物との関係が深く緑の配色がふさわしく感じます。

八岐の大蛇の神話画

八岐の大蛇の神話画

拝殿の中を覗いてみると命の「八岐の大蛇退治」が画となっていました。泣いているのは奇稲田姫くしなだですね。大蛇退治をきっかけに二人は夫婦となりました。

ところで、当社は明治2年まで新嘗大祭の日に稲田の稲田神社(祭神:奇稲田姫)まで神輿渡御をしていました。神話に習った伝統行事があったんですね。

覆屋

覆屋

覆屋のある本殿です。

本殿は小ぶりながら精巧な彫刻がありますね。板の隙間からになりますが、ぜひご覧ください!

社殿は最北西向き。一般的には東か南なので何かしら理由があるはず。三所神社も同じなので、同社の分霊元の二荒山神社の方角を意味するのかもしれませんね。

スサノオの活躍はこちら

神輿殿と三日月神社

神輿殿など

神輿殿など

社殿の左手には神輿殿などが並びます。やはり八坂神社といえば夏の祇園祭。各町内で神輿を持っているかと思いますが、こちらでも管理されているわけですね。

ちなみに、神輿は単に担いで歩くのではなく、上下に揺さぶりながらですよね。あれはそうすることで祭神にエネルギーを与えているのです。漢字で書くと振るうではなく奮う。そして祭神は溜まったエネルギーで疫病などの災厄を祓うのです。

神様なら人間にとって良いことだけして欲しいと思うかもしれませんが、神に善悪はありませんので人間は畏れながらも祈り導くだけなんですね。

三日月神社

三日月神社

八坂神社の境内社は二社。月読つくよみを祭神とする三日月神社と宇迦之御魂神を祭神とする三沢坊稲荷神社です。

写真は三日月神社でして眼の神として信仰されています。境内には月待講の記念碑もありますし、この辺りでは月読命を本尊とする二十三夜講が盛んだったようです。

月読命は素戔嗚命の兄(姉とも)で二柱は『日本書紀』と『古事記』で同じような神話を持っていることから、民間信仰においてもなにか関係性があったのかもしれませんね。

しだれ桜

しだれ桜

しだれ桜

社殿の右手前に非常に立派なしだれ桜があります。樹齢400年ともいわれますが、当地に遷座された時代を考えると350年ほどかもしれません。

幹には空洞がありやや弱々しいですが、「しだれ」の名にふさわしい美しい姿をしています。枝ぶりが仏堂の洛陽に似ているせいか、お寺の境内に植えられることが多い品種ですね。

そういえば、牛頭天王は神仏習合の色濃い存在です。明治以前は別当が祭祀を担っていたかと思いますが、その記録が見つからないんです。

別当寺はどこなのでしょう。そんなに立派なものではなく現在の社務所の場所に位置にあったりして。だとすれば、この桜は寺の桜だったかもしれませんね。樹齢400年ならほぼ確実に。

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見頃のお写真が『茨城県の桜』にありますのでぜひご覧ください!

御朱印

八坂神社(笠間)の御朱印

八坂神社(笠間)の御朱印

八坂神社の御朱印です。この日はお正月だったので三所神社の拝殿でいただきましたが、通常は八坂神社の社務所でいただけます。

兼務している同字の三所神社の御朱印もあわせていただけます。

笠間の総鎮守 三所神社と三輪山信仰|笠間市

まとめ

この記事のまとめ

  • 創建は笠間時朝による遷座と流れ着いたご神体を祀ったとする2説ある
  • 境内には樹齢400年といわれる立派なしだれ桜がある
  • 御朱印は拝殿となりの社務所でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
笠間市の昔ばなし/編:笠間市文化財愛護協会

この記事で紹介した本はこちら

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