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奇祭。。わたしにとってのパワーワード。好奇心を駆り立てられます。
茨城にはたくさんの奇祭がありますが、特に有名な奇祭のひとつに撞舞があります。400年以上の歴史を持っていますので、県民なら名前くらいは聞いたことあるでしょう。
撞舞は龍ケ崎市の八坂神社の神事です。毎年7月の祇園祭の最終日に催され、多くの見物客で賑わいます。
この記事では龍ケ崎市の上町にある八坂神社と撞舞をご紹介します。お参りから撞舞の見物までのルートもしっかりわかりますので、ぜひご覧ください!
由緒
源頼朝の家臣・下河辺政義が高井(貝原塚)の農民を引き連れて高森(根町)を開拓した際、貝原塚の天王社の分社を根町に創建
龍ケ崎城主となった土岐胤倫の代に疫病(主に天然痘)により多くの死者が出る。
そこで笛や太鼓を盛大に鳴らして祭事をしたところ、たちまち疫病は退散し、村に平穏な生活が戻ったため、天王社を村の中心である上町に移す
老朽化が激しかったため、本殿その他設営物を再建
旧領主の子孫・土岐丹波守の指図により再建を開始。20年かけて完成
旧領主・土岐周防守朝佑が神輿を寄進
楠森稲荷神社を合祀
老朽化と東日本大震災により被害を受けたため再建
ご祭神は建速須佐鳴神と奇稲田姫神です。八坂神社と言えばスサノオですが、龍ケ崎市ではご夫婦でお祀りしているんですね!
明治期までは天王社として牛頭天王を祀っていました。牛頭天王は疫神で祭祀により病を流行させたり鎮めたりします。ある意味危険な神なのですが、疫病が流行したことを契機に祀ることが多いようですね。すでに流行しているのだから鎮めるしかないと。
また、牛頭天王は祇園精舎の守護神といわれる外来の神です。仏教との関係が深く、明治の神仏判然令までは別当(龍星庵・龍星院)によって運営されていました。
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八坂神社について学ぶならこちら
アクセス
最寄り駅は竜ヶ崎駅(関東龍ヶ崎線)。徒歩5分で神社に到着です!市役所の近く、商店街の並びにありますので市民には非常に身近な存在でしょう。
名称 | 八坂神社 |
住所 | 茨城県龍ヶ崎市上町4279 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 八坂神社公式 |
境内
お参りしたのは2019年7月28日(日)、祇園祭の最終日でした。夕方の撞舞が目当てです。じつは実際に見るのは初めて。興奮しておりました!
龍ケ崎の八坂神社にはなんども足を運んでおりますが、この日はやはり雰囲気が違います。人の多さだけじゃなくて、若い子がすごく多い。
神社に先進性や派手さはありませんが、それでも人に慕われたり、楽しませるなにかがあるのだと思います。
狛犬
手水舎で清めていざ拝殿へ。と、その前に注目していただきたいのが狛犬です。すごく面白い顔をしていると思いませんか?
顔と胴体が完全に正面を向いています。丸みや色合いからも現代と違うことがわかりますね。
狛犬の頭になにか乗っているのがわかるでしょうか。宝珠と呼ばれているそうです。狛犬ネットによると、どうやら江戸時代の作で仏教との関係が考えられるんですね。
宝珠付きはすごく珍しいと思います。わたしの記憶では他に太宮神社(かすみがうら市)でしか見たことありません。。
八坂神社の近くにある龍泉寺も興味深い狛犬がありますよ。歩いていけますので、ぜひチェックしてみてくださいね。
拝殿
拝殿は文久元年(1861年)に再建。さらに老朽化と東日本大震災によって被害を受けたため、平成26年(2014年)に一度解体して大修復をしてから再建されています。
さらりと書きましたが、こんなに大きなものをバラして元に戻すなんて宮大工半端ないですよね。。同じ時期に幣殿を新築しました。
入母屋造りのシンプルな拝殿、落ち着きがあって好みです。
龍ケ崎の八坂神社は赤(朱色)の使い方がすごくおしゃれだと思うんです。手水舎や法灯、それにお正月ののぼりなどが印象に残っていますね。
色へのこだわりもなんとなーく仏教的なセンスを感じます。
本殿は覆屋でよく見えないのですが、真裏にまわると立派な彫刻を見れます。ぜひぐるっとしてみてください!
本殿の後方には龍ケ崎稲荷と御神木のケヤキがあります。稲荷神社は明治15年(1882年)に合祀された横町の楠森稲荷神社でしょうか。
御朱印
龍ケ崎市の御朱印です。右が通常の御朱印で左は月ごとの御朱印です。(これは1月)12ヶ月それぞれ色や意味が違っているんですよ〜!
こちらは撞舞限定。シルエットの方は祗園祭のある3日間しかいただけません。混雑する日なのでいただく場合は時間に余裕を持ってお参りしましょう。
御朱印をいただけるのは社殿の右手にある社務所です。
それでは八坂神社の祇園祭の最終日に催される撞舞についておさらいしましょう。
「撞舞」は、国選択・茨城県指定無形民俗文化財に指定されている神事です。雨蛙の面を被った舞男が高さ14mの撞柱にのぼり、さまざまな技を披露します。この「撞舞」には、五穀豊穣・雨乞い・疫病除けの意味があるといわれています。
広報龍ケ崎No.819
いろいろと気になるポイントがありますよね。写真を見ながらご紹介します。
撞舞は例年6時頃に根町の撞舞通りではじまります。市外の方はピンとこない場所ですよね。ズバリ『しだれ桜』で有名な般若院の入口前が会場です。
下は八坂神社からのルートです。徒歩で10分ほどですよ!
車でお越しの場合は市役所に駐車できます。商店街の辺りは混雑していますが、市役所の辺りは比較的空いてました。
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撞舞
挨拶が長引いたかな?予定の6時を少し遅れてスタート。まずは太鼓がドンドコ。少しするとたっつけ袴に身を包んだ2人の舞男が覚悟を決めたように柱を登り始めました。
撞舞で耳にするおごど囃子は龍ケ崎市指定の無形民俗文化財。午後5時頃にも撞柱の辺りで聞けますよ!
14m。。高いですよね。高所恐怖症のわたしには絶対無理。気を失います。
それをなんなく昇る舞男はとび職。伝統的に決まっているようです。しかも、今回のお二人はそれぞれ舞男歴が30年と12年。。大ベテランです!
太鼓の音に合わせててっぺんまで登り切るとそれぞれ技を見せます。最初は写真のようにしっかりと足を固定しているのですが、技のときだけ足を外して。。ああっ思い出しただけでドキドキするっ!
桟俵の上で倒立。。すごすぎます。風が吹いたらどうしよう!
会場では「お〜!」というどよめきと拍手が聞こえます。けっこう小さな子どもを連れた親御さんも多かったですね。
撞舞のメインでは柱の上から矢を放つんです。矢は東西南北に4本放たれ、手にすると1年間災厄を逃れ健康と安全が約束されるといわれています。すっごいパワーのある破魔矢のようなものでしょうか。
雨引観音(桜川市)でもマダラ鬼神が放っていましたね。皆さん、これをゲットしたくて必死になりますが、身動きできないくらいの人混みなので無理しちゃダメですね〜。
矢のあとには柱から下がったロープを使った妙技を魅せていました。わたしの場所から反対だったのでよく見えず。。市役所の方角を向いていると全部見れます。はじめの会場全体を写した写真の向きに陣取るといいですよ!
一通り演技を終えて撞舞がお開きとなるまでおよそ1時間。けっこう長めですが、わたしはあっという間でしたね。ただ、すごく暑かったので体調に気をつけてご覧になるのがよいかと思います。お参りからだと2時間くらいになっちゃいますからね。
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神馬
撞舞を終えると同じ撞舞通りの市役所側で神馬がはじまります。御仮屋で祈祷をすませると神馬と若い子たちが通りを疾走!
通りを三往復。。陸上部の子たちが必死になって走っていましたが、馬はかるーく流してましたね。
このあと獅子(獅子舞)が神馬同様に三往復しますが。。辺りが真っ暗になってしまい撮影できませんでした。
いい頃合いになったのでこれにて撤収。帰りはほとんど混雑しておらず、とても快適に楽しむことができました。
撞舞はユニークな神事ですし、会場の雰囲気もすごくいいです。非常に歴史ある芸能をこんなに気軽に楽しめることは少ないでしょう。オススメしますよ!
・龍ケ崎の総鎮守。かつては牛頭天王社だった
・例祭は400年以上続く撞舞。関東三奇才のひとつで7月下旬に開催
・御朱印は社殿右手の社務所でいただける
撞舞と別雷神社、雨蛙のフク伝説
撞舞の舞男はカエルの面をしていますが、龍ケ崎市には以下のような雨蛙の伝説があります。
龍ケ崎地方にはかつて、「フク」という名の巨大な雨蛙が住んでいたそうだ。
雨蛙のフク/龍ケ崎市観光物産協会
大雨が続き、洪水に見舞われた村人が「フク、何とか助けてくれ」と頼んだところ、フクは川からあふれた水を飲み込み、洪水を沈めてくれたという。
不思議なことに、フクはいくら水を飲んでも腹一杯にならなかったそうだ。
反対に、干ばつに苦しむ農民のためにフクは、今度は雨を降らせて豊作をもたらしてくれたという。
わりとよく聞く伝説だと思います。筑西市にも似たような竜神の伝説がありますね。
カエルといえば別雷神のお使いです。別雷皇太神(水戸市)の境内にはたくさんのカエルが置かれていますよ。別雷神は雨乞いの神なので撞舞とは関係が深いように感じますが。。
1月15日頃に催される八坂神社の奉射祭(ぶしゃさい・おぴしゃ)は、別雷神社にもありました。いまは八坂神社で御札をもらい氏子に配ることだけしているとか。
別雷神社は上町の諸岡家の氏神だったこともあり、二社の関係はいろいろと想像できますね。
茨城県神社誌|茨城県神社庁
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。