瀧夜叉姫と安倍晴明の伝説|つくば市・筑西市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

2ヶ月ほど前に筑西市に残る安倍晴明あべの せいめいの伝説について書きました。

晴明には葛の葉くずのはという母親がいて正体(狐)が知られて去ってしまったという物語です。そして同じような伝説が牛久市や龍ケ崎市、大阪府にもあります。どうして似た伝説が日本各地にあるのでしょうか。

つくばの瀧夜叉姫たきやしゃひめの伝説を調べていたら、その理由がわかった気がします。せっかくなのでご紹介します!

瀧夜叉姫伝説とは

瀧夜叉姫の伝説は説明がむちゃくちゃ難しい。いくつかある物語が混ざっているからです。瀧夜叉姫は平安時代の豪族平将門たいらのまさかどの娘。もとは五月姫と呼ばれていました。

将門といえば『平将門の乱』。この乱は下総国しもうさのくに(千葉の北部と茨城の一部)の平氏の内輪もめとしてはじまりました。しかし戦いに参加した将門は勝ち続け、勢いに乗って新皇を名乗ります。それが朝廷から『反逆の意志あり』とされてしまいました。

将門は朝廷軍と戦って破れました。すると将門の仲間とその一族は追われる立場。娘の五月姫もピンチになりました。しかし、五月姫はなんとか逃げ延びたあと父の無念を晴らそうとします。そして強い恨みと貴船明神への連日の祈願により満願の夜、妖術を授かって瀧夜叉姫になるのです!

つくばの瀧夜叉姫伝説

瀧夜叉姫は父のリベンジを果たそうとしますが、つくばの滝夜叉姫伝説は違います。瀧夜叉姫というより『将門の娘』の物語と捉えたほうがわかりやすいです。

将門の娘・五月姫(瀧夜叉姫)は朝廷から逃れ、つくば市の西福寺で尼になりました。名前を如蔵尼にょぞうにと変えてお墓もあります。夜叉にならず尼のまま亡くなっています。

東福寺外観

西福寺はもうありませんし、お墓もそのままの形ではありません。伝説は写真にある東福寺が語り継いでいます。(西福寺は東福寺のすぐそばにありました)

お墓はこの東福寺近くの畑の中にあります。見つけることができませんでしたが、いまも地元の方々が塔婆を建てて供養しているそうです。草木が伸びている時期は見つけるのが困難だと思われますので、お参りしたい方はお寺で訪ねたほうがいいと思います。

将門は1000年以上前の人物ですし、その娘の詳細は確認しようがありません。如蔵尼については福島県の恵日寺にも同じ伝説があって信憑性は。。

瀧夜叉姫?の石棺に使われた石畳

お墓(石棺)の一部は東福寺の入り口に無造作に置かれています。住職のお話ではいつかこの石を使ってお墓を立派に立て直したいそうです。


参考
東福寺の滝夜盛姫伝説 – つくば市茨城新聞

名称 東福寺
住所 茨城県つくば市松塚665
駐車場 あり

注意

東福寺では瀧夜叉姫を瀧夜盛姫たきやもりひめと呼んでいます。「夜叉」は良い意味でないからだそうです。

佐都ヶ岩屋古墳

佐都ヶ岩屋古墳のある山

つくばの瀧夜叉姫伝説のある場所は東福寺だけでありません。筑波山の南にある佐都ヶ岩屋古墳さどがいわやこふんにもあります。朝廷から逃れた瀧夜叉姫が一時的に避難していたとか。

この古墳は写真の山中にあります。筑波山ほどではありませんが、見ての通りの高さなので普通の人は簡単に登れません。

わたしは山の中の古墳って初めて知りました。ふつう平地ではないでしょうか。それだけでもかなり特殊だと思います。


参考
滝夜叉姫伝説を筑波山観光に茨城新聞

佐都ヶ岩屋古墳の立て札

なかなかの景色ですよね。2枚めの写真の立て札には古墳の解説と瀧夜叉姫の伝説が書かれています。

この古墳は古墳時代の末期(7世紀)につくられたもので、とても大きい部類。方墳というシンプルな長方形ですが鍵穴形の前方後円墳よりあとの時代にできました。複雑な形のほうが前の時代にできたんですね。古墳は不思議が多いです。

名称 佐都ヶ岩屋古墳
住所 茨城県つくば市平沢
駐車場 なし

瀧夜叉姫は実在したか

あえて書きます。実在して妖術を使ったとか鬼だったとかはさすがにわかりません。でも、いまも伝説が残る理由は瀧夜叉姫が歌舞伎や神楽に登場するからだと思います。

歌舞伎の演目は通称『将門』。正式には忍夜恋曲者しのびよるこいはくせものといいます。クライマックスにはガマに乗って敵を見下ろすというスゴイシーンがあります!

神楽も同じような物語です。ガマに乗ったりしませんが、陰陽師と激しく戦います!

歌舞伎も神楽も作家(?)によって多少は設定や物語が違います。伝説とほぼ同じと考えていいでしょう。つまり伝説は伝統芸能と一緒に語り継がれているのではないでしょうか。

安倍晴明の伝説に迫る

話は変わって筑西市の安倍晴明の伝説。伝説と伝統芸能の内容には関連がある。それをヒントに探してみたら面白いことがわかりました。

安倍晴明や母親の葛の葉が登場する歌舞伎の演目。ありました!通称葛の葉。正式には蘆屋道満大内鑑あしやどうまんおおうちかがみといいます。

物語は大阪の葛葉稲荷神社や女化神社の伝説に近いです。違うのは本物の葛の葉がでてくることで正体が狐だとわかってしまうあたりです。

さらに突っ込んでみましょう。安倍晴明の出生が筑西市(明野)というのは、明野の高松家に残る版木にあります。版木が書かれたのは1711年頃。ここまでわかると考えちゃいますよね。歌舞伎の演目と版木はどちらが先に作られたのでしょうか。安倍晴明の出生に関する『芸能』と『明野の史料』はどちらが先か。

こちらの辞典サイトによれば、葛の葉は1734年が初演。ただ、葛の葉にはさらに元にしている物語があります!

それが信田妻しのだづま。作者不明ですが、晴明の母親が狐であることや正体が知られて去ってしまうこと、晴明が陰陽術を使えることなどが共通しています。1674年の本に記録されています。

つまり筑西市の史料は歌舞伎よりも古い。しかし、さらにその前に物語は存在する。筑西市の史料が書かれる前によく似た物語があるということは。。

wata

信田妻はさらに古い物語を組み合わせてつくられています。これ以上はわかりませんでしたが、日本の伝統の奥深さが面白いですね!




まとめ

冒頭になぜ日本の各地に似たような伝説があるのか、と書きました。それは以下のような経緯ではないでしょうか。

伝説誕生の経緯
  1. 江戸で歌舞伎として演じられることで物語がたくさんの人に知られる
  2. 歌舞伎を見た人が地元に戻り、物語(内容)を語り継ぐ
  3. 語りが地元の歴史や伝承と合体して事実のようにさらに語り継がれる
  4. 長い年月が経ち、事実関係が曖昧になり『伝説』誕生!

だから、基本的な部分を同じ物語が各地にあるのではないでしょうか。それなら地域性が出ておかしくないと思います。