ロードパーク美浦と殉難五勇士追悼之碑(美浦村)

休みの日にどんよりとした曇り空・・・気分も晴れませんね。でも、そのままではもったいない!そこでちょっとした調べものを兼ねてドライブに出ました。

行き先は阿見、美浦方面。土浦から125号→120号と霞ヶ浦の湖畔をのんびりと走行。すごくどうでもいいことですが125号は国道、120号は県道です。美浦村の120号沿いには、以前ご紹介した黒坂命古墳がありますよ♪

今回は何気ないドライブで見つけた美浦の注目スポットを紹介します。

ロードパーク美浦

ロードパーク美浦の前の県道120号

県道120号。う〜ん、ひたすら田んぼと霞ヶ浦。。そのせいかほとんど車が走っていません。とてものどかな道路です。

そこに突然50台くらい停められそうな駐車場を発見。ロードパーク美浦です。ロードパークとは要するにドライバーの休憩所。道の駅のように売店はありませんが、手入れされたお手洗いがあります。あとはこの地(馬掛)の方々にお手入れされた花壇があります。

ロードパーク美浦の花壇

120号沿いにはコンビニなどありませんからじつは重要スポットなんですけどね。なにかないかなーとウロウロしていたら、面白そうな看板!

看板「この上から見る景色は最高!」

本当に登れるか心配になる坂道

2枚めは看板が指す方向を撮影したものです。さすがにどうしようか悩みました。坂になっているのですが、それすらわかりませんし。

他の方にはおすすめしませんが時間たっぷりだったので「景色は最高!」を確認することにしました!

注意
この時期はヘビがニョロニョロしているのをよく見かけます

そして。。

ロードパーク美浦の丘から見る筑波山と霞ヶ浦

「ロードパーク美浦の看板に偽りなし!」

wata

微妙な天気だったせいか、幻想的な風景!筑波山、霞ヶ浦、美浦の田園です。今回は曇りでしたが、晴れでも雨でも景色良さそう

と、そこに。。

殉難五勇士追悼之碑

ロードパーク美浦の丘から見える飛行機

風景撮影用の広角レンズなので、うまく撮れていませんね。飛行機が写っています。美浦や稲敷は成田空港に近いせいかよく飛行機を見かけます。

この地で飛行機を見て思い出すことがあります。阿見町にあった霞ヶ浦航空隊です。霞ヶ浦航空隊については、阿見町の予科練平和記念館で詳しく知ることができます。記念館は土浦から美浦に来る途中(125号沿い)にありますので、ぜひお立ち寄りください。

阿見町のとなりにある美浦村も航空隊の歴史と無関係ではありません。じつはゆかりの場所があります。

ロードパーク美浦から車で1分ほど。つまり歩いていける距離に殉難じゅんなん五勇士追悼之碑があります。120号沿いで馬掛不動堂のすぐ近くですので行かれる方はそちらの住所をご参考に。(馬掛不動堂:茨城県美浦村馬掛475)

殉難五勇士追悼之碑

この石碑は1925年(大正14年)にこの地で亡くなった、霞ヶ浦航空隊の隊員を追悼するもの。亡くなった隊員は5名でした。予科練ができる前のことで当時は飛行機の搭乗訓練を霞ヶ浦航空隊で行っていました。その卒業飛行の途中、編隊のうちの1機がこの地の沖あいに不時着したのです。

搭乗していた6名はその時点で全員無事でした。亡くなったのは悪天候の中、船で飛行機を曳いて帰ろうとして転ぷくしたことが原因です。1名は地元の方々の決死の救助活動で救われています。

飛行機の不時着の際、隊員は地元の漁師たちと言葉を交わしています。なんでも、炊き出しをして歓迎したのだとか。

悪天候で船を出す危険性は隊員も認識していました。責任者である少尉が「軍は常に戦争が基準であるから、風待ちするわけにはいかない」と、その日のうちに帰ることになったそうです。

wata

このお話は美浦村村誌編さん委員会の『うるわしき美浦村』という本にあります。本中には石碑が建てられた際の除幕式の写真には遺族が写っていません。式は事故のあった年なので捜索が間に合わなかったのでしょうか

事故から50年が過ぎた1975年(昭和50年)にご遺族が家族とともに美浦村にやってきたことがあります。当時、道路も整備されておらず、場所がわかりにくかったので石碑を見つけることに苦労したそうです。見つけたときには、石碑の周辺が清掃されて花まで手向けてあっりました。ご遺族はそのことに感謝してお礼を残していったといいます。

わたしが訪れたときも同じです。周辺の草木はキレイに刈られていて、お水が供えてありました。当時の方はほとんどいらっしゃらないと思いますが、ずっと語り継がれているのでしょう。

県道120号から見る筑波山

美浦からの帰り道。曇っていた空から光が差していました。わたしはこの道路好きですよ。

アクセス

店名ロードパーク美浦
住所茨城県稲敷郡美浦村馬掛1381