飯沼の大蛇と大亀|常総市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

民話を集めていると『よくある話』に気付いてしまいます。

雨乞いをしたら龍が出てきた話とか、旅の僧侶によって水が湧いた話とか。。キツネが助けた男に嫁ぐ話は子どもが陰陽師安倍晴明だと語られるのでご存じの方も多いはず。

常総市の『だまされた大蛇』もそんなよくある話。でも、興味深いことにひとつの地域に2説あるんです。どんな違いがあるでしょうか。一緒に考えてみましょう♪

常総市の飯沼とは

民話の舞台は常総市の飯沼。江戸時代に開拓されて水田になりましたので、いまはありません。

飯沼川

飯沼は現在の飯沼川の両サイドへ広がっていました。いまは伊左衛門新田町という住所。下の地図をご覧ください。

つまり、飯沼はとても広かったんです。正確な広さはわかりませんが、長さ28km、幅4kmとも。その沼を開拓してお米がとれるようになったら、貧しさを解消できて水害の恐れもなくなります。そのため周囲の村が協力して16年かけて完成させました。

MEMO

伊左衛門新田の由来は、開拓に尽力した坂野伊左衛門といわれます。現在、坂野家の住宅は水海道風土博物館となっており、一般の方々も足を運ぶことが出来ます。

だまされた大蛇

開拓される前、飯沼は雨ではん濫することがよくありました。そのせいか常総市には水といえばおなじみ大蛇の登場する民話が伝わっています。

むかしむかし、町の中央に飯沼という大きな沼がありました。飯沼は雨が降るたびに増水し、辺りの田畑を水浸しにしていました。そうなると食べ物もとれず、近くに住む人々も心配な日々を過ごしていました。

水害を与える飯沼には、むかしから大蛇おろちが住んでいました。大蛇は沼の端から端まであるような大きさなので飯沼は常に満水。雨が降るとすぐにはん濫してしまうのです。

そこで村人たちは菩提寺の和尚に相談しました。和尚は「よしよし」と言うと、すぐに大蛇の元へ向かいました。

「大蛇様、あなたのせいで村人たちは困っている。ここから東の方に北浦という広くて美しい湖があるから、しばらくそこに住んでみてはどうかな。長いことは言わないから10年ほどで頼む」

大蛇は、いまより広い場所に興味があったので「なるほど」と納得しました。

「わかった。それでは10年だけ留守にしよう。ただし、10年後に戻ってくるから証文を書いてくれ」

和尚は、わかったというと、すぐに紙に筆を走らせました。その間、大蛇が大きなくしゃみをしました。和尚はそれに気付くと、素早く筆に墨をしめらせ紙にぽたりと落としたのです。大蛇は証文を受取ると、飯沼から去っていきました。

それから10年後、大蛇は約束通り飯沼に戻ってきました。待っていた和尚に証文を見せると、和尚は「まだ10年ではないか。約束と違うぞ」と言います。

大蛇は不思議に思い証文を見てみると、そこには十ではなく千の文字がありました。大蛇は悔しがりましたが、約束は破れないので仕方なく北浦へ去っていきました。

そんなことがあってから、飯沼周辺の人々が霞ヶ浦(北浦)で舟をこぐと遭難する、といわれるようになりました。大蛇の怨念かもしれません。

常総市の大蛇は会話の通じる真面目なタイプなんですね。でも、最後に霞ヶ浦で暴れているのでヘビ特有の執念深さがあります。

温厚なのは飯沼が開拓されて水害の心配がなくなったせいかもしれません。個人的には場所の危険性と怪物や妖怪の危険性は深く関係していると思います。飯沼開拓後にできたか、近年手を加えられたお話ではないでしょうか。

弘経寺と大亀

飯沼の大亀

前述のお話は『だまされた大蛇』。似たお話が全国的に見られます。でも、市内にすごーく似たお話があるんです。こちらには亀が登場です。

MEMO

1397年ころ良筆りょうちょう上人は新しいお寺を建てられる場所を探していました。

いまの常総市の豊岡にやってきたときに「いいところが見つかったぞ」。西に飯沼、東に鬼怒川、その間にぽかんとある亀の甲羅のような高台の場所です。

亀は長生きで縁起がいい。さっそく上人は辺りの村人にお願いをして寺の建築をはじめました。

しかし、しばらくすると上人のもとに見たこともない大きな亀がやってきたのです。

「ここはわたしの土地だ。勝手なことをしてもらっては困る。すぐに取り払ってもらいたい」上人はとても驚きましたが、すぐに落ち着きを取り戻して「持ち主にことわらずに申し訳ないことをしました。それでは改めて10年だけこの土地を借してくれないでしょうか」

大亀は「わかった。約束だ。証文も書いてもらおう」上人は10年後に土地を返す証文を書きました。

それから10年が経つと、約束通り亀は上人のもとにやってきました。上人は大勢の村人のため再び大亀との交渉に臨みました。

「すみません。あとほんの僅かな期間だけこの土地を使わせていただきたいのです。十に点をひとつうっただけの期間、改めて貸していただけないでしょうか」大亀は上人の必死な表情を見て「点をひとつだけだな。わかった」ふたたび証文をもらい去っていきました。

それから600年以上が過ぎましたが、いまだに大亀はやってきません。十に足された点によって、土地は千年後に返す予定だからです。そうして、常総市の豊岡には浄土宗 寿亀山 弘経寺ぐぎょうじが建てられました。

こちらは弘経寺の創建につながる民話です。弘経寺は徳川家康の孫娘千姫が眠るお寺です。

弘経寺の創建は1414年なので大亀が再びやってくるのは2414年。気の長いお話ですね。常総市の地域史『水海道市史』にもありますので、由緒正しき物語なんですよ。


参考
飯沼弘経寺常総市/デジタルミュージアム

筋書きの同じ民話が1つの地域に2つ。奇妙なことです。しかも、それぞれ背景がありますので、どちらかがマネたわけでもなさそう。元になる物語があって地域ごとに微妙にアレンジされた。。民話のできる過程をなんとなく想像できますね。

wata

全国的にはヘビのお話のほうが知られているようです。興味深いのは弘経寺。山号に『亀』がありますので、縁起をかついでいるのかもし。
MEMO

かつて弘経寺では年越しの際に百姓たちがいろいろな物を使って騒音を立てる習慣がありました。これは亀に年越しを悟らせないためだといいます。

まとめ

常総市の『飯沼の主』に関する民話は、設定を変えて2種類あります。

わたしが知る限り他にないことで、全国的にも珍しいこと。主の姿や性格の違いを考えると元あったお話が語り手によって変化したのではないでしょうか。

民話の設立過程を想像できる面白いことです。


参考文献
石下町の昔ばなし/渡辺義雄
筑西風土記/中村ときを