wata
- 華蔵院の由緒
- 猫の伝説
- 御朱印
古い民話に登場する動物といえばキツネです。数えきれないほどでダントツと言っていいでしょう。茨城の場合、陰陽師と深く関係しているのが面白いですね。
キツネの次に多いのはサル。人間よりも知恵や力で優れたものとして登場します。サルの登場はなにかとハラハラする展開が多いです。
でも、今回はキツネもサルも差し置いてわたしが好きな猫伝説をやります!ゆかりの華蔵院と合わせてご紹介します。
華蔵院とは
華蔵院はひたちなか市の那珂湊にあります。以前、那珂湊にあるお魚市場をご紹介しましたが、そこから車で10分ほど。港のそばですから、もちろん海にも近いです。
お寺の概要は『茨城県大百科事典』(茨城新聞社)が詳しいので引用します。
華蔵院。真言宗智山派の寺。号は戒珠山密厳寺。寺伝では、応永年間1394~1428) 宥尊の開基と伝えらている。江戸時代には境内に七堂伽藍・四塔堂・六供院があったが、 元治元年(1864)天狗党の乱の兵火により、寺宝とともにすべてを焼失した。明治十四年(1881)現在の堂宇が再建されている。本尊は大日如来。江戸時代には徳川幕府より朱印地15石を受けていた。境内には、八大竜王をまつった竜神堂、破魔薬師如来を安置した金堂などがある。梵鐘は県の文化財に指定されている
茨城県大百科事典
むむっ!ここも天狗党によって文化財が失われているのですね。いまは再興されて快適にお参りできます。
華蔵院の梵鐘
茨城県の指定文化財にもなっている華蔵院の梵鐘です。鐘には1339年に造られたと書かれています。
江戸時代、茨城の梵鐘は大砲を作るため、地金に戻すことになりました。尊王攘夷の本家・徳川斉昭が水戸藩主だったからです。でも、鐘を大切に思った人たちによって救われたと云われています。
梵鐘は華蔵院に置かれる前、常陸大宮市の満福寺にありました(当時は浄因寺)。
仁王門
迫力のある仁王門!ちょっぴり秋の色合いになっていますね。鮮やかなので新しい印象があります。調べたら1957年に再興されたもの。50年前に暴風によって倒れてしまったものを個人の寄付によって建て替えられました。。スゴイ。
左側の石碑に『華蔵院 破魔薬師尊』とあります。ご本尊は大日如来ですが、本堂を正面に見て左側にある薬師堂に薬師如来像があります。文字通り、魔をやっつけてすべての願いを叶えてくれる如来様です。
御朱印
華蔵院の御朱印です。御朱印料は300円。
御本尊の大日如来が力強く書かれています!
民話『華蔵院の猫』
華蔵院にまつわる猫伝説をご紹介します。
むかし、湊(いまの那珂湊)で仕事を終えた行商人が家路を急いでいたときのことです。あたりはすっかり真っ暗でだれも歩いておらず、遠くで海の音が聞こえるだけです。
ところが、だれもいないはずの原っぱを通りかかった時。ピーヒャラドンドン、ピーヒャラドン。どこからか笛や太鼓の音が聞こえてきました。不思議に思った行商人は音のする方へ。すると、なにやらたくさんの人影が踊っているではありませんか。
近づいて見てみると踊っているのは人でなく人の服を来た大きな猫たち。驚いた行商人は腰を抜かして動けなくなってしまいました。すると、猫たちは「さーて、やっと盛り上がってきたニャ」人の言葉で話し始めました。行商人は驚くばかり。もし、自分のことが知られたらと思うと怖くて仕方ありません。そこに「華蔵院のやつ今夜は遅いニャ。あいつがいないと調子がでないんだよニャー」華蔵院は近くにある立派なお寺のことです。
猫たちが会話していると、袈裟を着た猫がやってきました。「ごめんニャ。和尚の帰りが遅くって、袈裟が持ち出せなかったニャ。さあ、はじめるニャ!」華蔵院と呼ばれた猫が呼びかけると、休んでいた猫たちも集まりました。そして華蔵院の音頭によって、さきほどよりさらに賑やかに踊りが始まりました。猫たちは一晩中踊り続けましたとさ。
行商人はいつしか気を失っていました。日が昇って気がついたとき、あたりにはなにもありません。昨夜のことは夢か幻かわかりませんでしたが、『華蔵院』は覚えていました。そしてお寺の猫なのかどうしても知りたくなりそのまま華蔵院へ向かいました。
和尚に昨夜のできごとを話したところ「猫はいるが、そんなバカなこと」。しかし、袈裟を着ていたというので和尚は自分の袈裟を見てみると。。そこにはビッシリと猫の毛がついていました。和尚はいつもの猫を探しましたが、その日以来姿を見ることはありませんでした。
華蔵院の猫でした。民話には10年以上生きた猫は猫又という妖怪になるという説明があります。猫又は恐ろしいものもいますが、このようなパターンもあるんです。
華蔵院の猫は可愛くて愉快。歌や踊りが好きでみんなと楽しむために和尚の袈裟を着て出かけます。
ネコは犬などと違ってずっと人と一緒にいません。ときどき姿を消しますからミステリアスなイメージがあるのでしょう。犬よりも妖怪や化物として登場する理由はそこにあると思います。人も動物も歳を重ねるほど知恵がつくものですから、長生きした猫は猫又として怖がられることもあった。。。
たくさんの猫又が登場する理由は那珂湊だからかもしれません。毎日新鮮な魚がある町なので猫たちは栄養充分で食べものに困らなかった。猫又になるほど長生きできた!そう考えるとこの伝説もそれほど怖くはないですね。
wata
華蔵院の猫は市報ひたちなかなどでは人を食い殺す化け猫となっています。
アクセス
名称 | 戒珠山 密厳寺 華蔵院(真言宗智山派) |
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住所 | 茨城県ひたちなか市栄町1丁目1-33 |
駐車場 | あり |
駐車場
入り口が少しわかりにくいかもしれません。以下の地図を参照してください。広さは充分です。
まとめ
この記事のまとめ
- 華蔵院は応永年間の創建。天狗党の乱で焼失したことがある
- 華蔵院には住職の袈裟で踊った猫の伝説がある
- 御朱印あり
参考文献
いばらきのむかし話/編:藤田稔
茨城の民話/編:日向野徳久
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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