wata
ポックリ逝きたいですねぇ!!というと、かなりヤバい人ですが、なるべく苦しまずにというのは正直なところ。
まぁ、わたしの場合はあと50年くらいしたら考えるとして、いわゆる「ピンコロ」を望む声は太古の昔からあったかと思います。
そんな人々の拠り所が、今回ご紹介する坂東市のポックリ不動尊(正式名称は慈光寺)。将門公ゆかりのお寺なので近くの国王神社などとあわせて参拝してみてはいかがでしょうか。
由緒
行基菩薩の高弟が衆魔降伏の道場、真理融通の勝地として不動尊を安置して創建。当時は法相宗に属し知恩院と称する
伝教大師の法孫・俊仍上人が下総に派遣され、現岩井市の泉福寺を薫ずるに至り、当山も天台宗に帰属し寺号を慈光寺に改める
下妻城主・多賀谷氏と弓田城主・染谷氏の合戦に巻き込まれ堂宇炎上。阿弥陀堂と不動明王の尊像は焼失を逃れる。不動明王を阿弥陀堂に仮安置する
岩井郷の名門・中山傅右衛門の材料寄進により本堂再建
大戦に際して梵鐘を献納する
御本尊は阿弥陀如来像(市指定文化財)です。それとは別に不動堂の本尊として不動明王をお祀りしています。由緒によると歴史的には明王信仰のほうが古いとのこと。
不動明王は明王の中でもっともポピュラー。山のように不動だから不動明王。『北斗の拳』の山のフドウとか『デビルマン』の不動明なども多分ここから。
不動明王は主に密教(真言宗と天台宗)で信仰されています。密教は遣唐使の空海と最澄が持ち帰りましたから、日本で広く信仰されたのは8世紀の終わり頃からですね。ただ、奈良仏教も密教を取り入れていたとか。そのため法相宗でも信仰することがあります。
密教には仏が変身するというユニークな思想があります。「自性輪身」「正法輪身」「教令輪身」の3種類があり、学校の先生のように生徒にあわせて姿かたち、指導方法を変えるのです。対機説法ですね。
不動明王は大日如来の教令輪身。教令輪身とは救いがたい者に対して地獄を見せながら強引に教化する姿です。いわば鉄拳制裁で導くわけです。
当不動尊は平将門が岩井(石井)の館の鬼門除けとして帰依したといわれています。思えば将門公も治世の乱れを正すために戦ったので明王のような側面がありました。将門公の胴体が眠るという神田山の延命院では「大威徳将門明王」として祀られているのがその証拠のひとつです。
アクセス
圏央道の坂東ICを下りて約5分。周辺は民家と畑なので細い道となっております。運転にお気をつけください。
駐車場は充分な広さなのでご安心ください。
名称 | 明王山 慈光寺 |
住所 | 茨城県坂東市弓田388 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 北関東三十六不動尊霊場(公式) |
冠木門と大銀杏
境内の入口にあるのは冠木門。鳥居のように見えますよね。昔は武家屋敷の門などに使われていましたので宗教性はあまり高くないようです。
昭和初期に建立されたのが面白いですね。当時、このような形はどのような意味を持っていたのでしょうか。
参道をまっすぐ進むと不動堂なんですが、ちょっと左にずれると大銀杏がそびえ立っています。
なんでも本尊の不動尊が天正の火災に遭わなかったのは銀杏の中に隠されたからだとか。どの銀杏なのかはハッキリしませんが、こちらの大木だったりして。どうやら伝説の大銀杏はすでに枯れているらしく、その木片が不動堂に安置されています。
不動堂
冠木門をまっすぐ進むと不動堂。ご本尊の不動明王が安置されています。先にお見せしたお不動の写真は御前立です。本尊は秘仏となっており、24年に一度の御開帳(次回は2041年)。一生に何度見れるやら。
しかしそれもじつは短くなってのこと。本来は干支が一周する60年に一度、酉年に限っての開帳とのことです。守り本尊の思想において不動明王が酉の方位(兌)を守護するとされる関係かも。
不動堂の天井には湯浅又兵衛が元禄期に描いたという百人一首の歌絵があります。「元禄期」は専門家が作者の文字(ひらがな)から判別したそうですよ。
年季の入った建物だと思いますが、所々色合いが明るく、たびたび改修されているかと思います。ガラス張りなのはもちろん近年のことでしょう。
奥の方はよく見えませんでしたが、通路の上部に「ポックリ不動尊参拝紀念」の額が置かれていました。額には千社札のような木札が50枚ほど。おそらく参拝者のお名前が並んでいます。
社殿や堂宇に勝手に貼る千社札は許されないと思いますが、このようにご住職公認であれば大変結構なこと。ご年配の方々の切なる思いがお寺の歴史の一部になっているようです。
さて、こちらのお不動さんは将門公も帰依したということなんですが、そうすると公もあまり苦しまずに「ポックリ」だったのでしょうか。だとすればほんの少しだけ救われる思いますね。
本堂と鐘楼
不動堂の右奥の方に本堂があります。伝教大師の像に迎えられて参拝。
当寺の本尊は不動明王となっておりますが、御本尊は阿弥陀如来です。ありがたいことに実際に拝見させていただいたことがあります。やや細身の印象を受ける体つきで、明王とは違って非常に穏やかな表情をされていました。
阿弥陀如来は浄土宗、浄土真宗の本尊としても知られています。帰依者を分け隔てなく救う阿弥陀仏はなんともありがたい存在ですね。
せっかくなので境内を少しだけ散策。立派な鐘楼堂。勝手には叩きませんよ。お寺によっては「時の鐘」とされている場合がありまして、勝手に叩くと時間を誤解させてしまうかもしれません。(過去にやらかしかけたので慎重)
こちらの梵鐘は昭和43年に鋳造されました。意外に歴史が新しいのは先の大戦の際に献納してしまったせいです。檀徒の協力によって再鋳できたと鐘に彫られていました。
境内には花々が植えられていて心地いいですね。もうちょっと早く行けばユリの見頃だったかと思います。
季節を楽しめるお寺なので、また坂東にきたときにはしっかりと思い出すようにしたいですね!
御朱印
慈光寺の御朱印です。ご本尊の不動明王に「ポックリ」とついているのがいいですね。本堂右手の庫裏でお声掛けください。
北関東三十六不動尊霊場の35番となっています。最後の36番は同じ茨城県内の不動院(通称:板橋不動尊)です!
近年は新しい御朱印帳も頒布しています。山門は当寺というわけじゃないかな?
・元法相宗の寺院。現在は天台宗で千年以上の歴史があると言われる
・平将門は本地の不動明王を館の守本尊としていた
・御朱印は本堂右手の庫裏でいただける
茨城の寺(四)|今瀬文也
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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