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幕末の水戸藩を象徴する神社、それが弘道館鹿島神社です。駅から近いのですが、少しわかりにくい場所にあるので意外と足を運んだことのないが多いかもしれませんね。
この記事でしっかり紹介しますので、ぜひ参拝のご参考になればと思います♪
この記事でわかること
- 由緒とご祭神について
- 社殿について
- 御朱印のいただき方
由緒
創建に先立ち仁孝天皇の勅許を得て社殿造営
第九代水戸藩主・徳川斉昭が弘道館建学の精神(神儒一致)の象徴として孔子廟と共に創建。
藩内の派閥闘争により神楽殿および神酒錫、楽器などが焼失
皇紀2600年を記念して建立
空襲により社殿および神輿などが焼失
常磐神社の旧社殿の譲与を受けて造営。社務所も新築する
伊勢神宮より特別譲渡された唯一神明造りの社殿を造営
ご祭神は武甕槌大神です。常陸国の一の宮、鹿島神宮から分霊されました。創建の儀式の際、静神社の宮司が祝詞を奏上していると社殿が振動する不思議な現象が起きたとか。。
武甕槌大神は神話で活躍する最強の神ですが、自らの力をいたずらに振るいません。話し合いやを筋道を重視しますので幕末の水戸藩にとってふさわしい祭神だったかと思います。
創建した安政4年はペリー来航の4年後。翌年には井伊直弼が大老となり、日米修好通商条約が締結されます。続いてイギリス、ロシア、フランス、オランダといわゆる安政の五カ国条約を結び「鎖国」時代は終わりを迎えました。
そして翌年には安政の大獄がはじまり国内に大きな混乱が生じます。水戸藩は藩内でも深刻な派閥争いがあったのですが。。弘道館はまさにその舞台。
鹿島神社はそうした争いが起きないよう願って創建されたと思いますので、なんとも複雑な気持ちになりますね。
昭和40年(1965年) 御神刀(市指定)
平成29年(2017年) 本殿・拝殿・中門及び瑞垣(附設計図9点)(市指定)
旧藩校の弘道館に隣接しています。(もとは弘道館の一部)
アクセス
場所は至ってシンプル。水戸駅から900m、10分ほど歩けば到着です。
車の場合、距離的には水戸南インターが近いのですが、多少混みます。水戸北で降りるとスムーズに到着できるかと思います。
駐車場は社殿の目の前です。県道118号から横断歩道を渡る形で境内に入っていきます。
名称 | (弘道館)鹿島神社 |
住所 | 茨城県水戸市三の丸1-6-4 |
駐車場 | あり |
Webサイト | なし |
年中行事 | 1月1日…元旦祭 2月節分…節分祭 5月9日…例大祭 8月上旬…水戸黄門まつり(神輿渡御) 10月中旬〜11月中旬…七五三祭 |
鳥居
鹿島神宮と同じ鹿島式の大鳥居です。神明式に似ていますが、貫(上からニ本目の横向きの柱)が突き抜けています。
右手の社号標は皇紀2600年を記念して建立されました。戦中、戦地に向かう人々は県内各地の鹿島神社で武運長久を祈願しました。県社だった当社は特に多くの方々がいらしたことでしょう。
孔子廟
参道左手に見える孔子廟。。の門。ここはたしか特別なとき以外は中を見れなかったはず。
外観すら見せられず申し訳ないので立て札で概要をご紹介します。
孔子廟
孔子廟は、「神儒一致」「文武一致」の建学精神にもとづき、鹿島神社と併置されました。廟は、孔子の出生地である中国山東省曲阜(西)を向き、大成殿(中国の孔子廟の本殿)を模した入母屋造りの瓦葺きで、屋上には2種類の架空の動物(鬼犾頭・鬼龍子)が置かれています。昭和20年(1945)の空襲で戟門(正面の門)を残して焼失し、同45年に復元されました。
楷の木は、孔子の墓所に植えられたことに由来する学問の聖木です。
補足します。儒教は中国発祥の思想です。個人的には、縦の人間関係を強調することで社会秩序を保つ考えと捉えています。会社とか部活の上下関係に近いです。上が立派ならいいですが。。
孔子は儒教の始祖とされていますが、じつは儒教とはほとんど関係がありません。儒学者が持論に説得力を持たせるために人格者の孔子を利用したのでしょう。孔子の言葉が書かれた『論語』にあるのは、弟子の質問に対して誠実に答える謙虚な知恵者の姿です。
儒教や儒学者には色々と問題があると思いますが、孔子が立派な人物だったことは間違いありません。論語にある孔子の考えはたしかに素晴らしいものがあります。知識や技術は正しい方向に用いること。そんな思いが孔子廟の存在から読み取れます。
社殿
弘道館鹿島神社の最大の特徴がこちらの社殿。本来、伊勢神宮(正式名称は神宮)でしか見られない唯一神明造りです。
じつはこちら神宮の別宮である風日祈宮でした。神宮が20年ごとの式年遷宮で建て替えをする際に特別に譲渡されたんです。
本来は装飾のない白木造りなのですが、再建した際に施したとのこと。わたしはそっちの方がよかった気がしますが。。もとの姿は社務所の写真で拝見することができますよ。
ところで、風日祈宮はもともと風社と呼ばれていました。宮号がついたのは元寇の後です。風社が神風を吹かせて敵を追い払ったとされたので崇敬の念が増したとか。元寇を退けたは鎌倉武士のガッツだと思いますが、風(台風)はダメ押しになったでしょうね。
ご神木『鈴梅』
社殿の向かって左手にあるのがご神木の白梅『鈴梅』です。
ご神木といえば杉や欅が思い浮かびますが、当社の場合は斉昭公が愛した梅です。本来は3本あったのですが、戦火によって古朴となってしまいました。この木の幹もちと厳しい状況。
斉昭公の遺した偕楽園、弘道館にも梅が植えられています。梅は「文好む木」の故事を持つ学問に縁の深い木。武闘派な印象の斉昭公でしたが、学問や風流のわかる奥深い藩主でしたね。
八卦堂
神社と直接は関係ありませんが、境内の八卦堂についてもご紹介します。社務所の西側にあります。
この中には弘道館記碑が建てられています。八卦堂はそれを雨風にさらさないための建物です。記碑には弘道館建学の精神がありますので、鹿島神社と同様の存在といえるでしょう。
ちなみに弘道館記の冒頭は「弘道とは何ぞ。人、よく道を弘むるなり。」ではじまります。弘道館とは道(道徳)を広めるために建てられた、という意味につながると思います。
八卦堂に冠する詳しい考察を別にまとめましたのでぜひご覧ください。
御朱印
弘道館鹿嶋神社の御朱印です。いまは書き置きのみ。書体は書き手によって何種類かあります。
平日はわかりませんが、土日であれば社殿に向かって右手の授与所でいただけます。
御朱印は金紙に書かれたものも。以前はお正月のみでしたが、いまは普段から頒布しています。
・弘道館鹿島神社は水戸藩主・徳川斉昭公によって創建
・社殿はもと風日祈宮。式年遷宮の際に特別譲渡された
・御朱印は社殿そばの授与所でいただける
茨城県神社誌|茨城県神社庁
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誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。