衆宝山 無量光院 浄光寺(常陸御坊)〜二十四輩二十一番|ひたちなか市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

歴史、伝説、ミステリーのある寺院。ひたちなか市館山の浄光寺じょうこうじです。

歴史を辿ると親鸞、佐竹義宣、徳川光圀、天狗党など。伝説だと『鍋かぶり如来』なるユニークなお話が伝えられています。

境内は広くありませんので、事前に由緒を振り返ってからお参りすると細かな部分にも気づけて楽しめますよ。

この記事では浄光寺の由緒を中心に鍋かぶり如来の伝説などをご紹介します。気楽に読んでいただいたら、ぜひ足を運んでみてください!

浄光寺とは

山門

山門

衆宝山 無量光院 浄光寺はひたちなか市の館山にある浄土真宗(本願寺派)の寺院。浄土真宗の開祖である親鸞とゆかりの深いお弟子のひとり唯仏房ゆいぶつぼうが創建しました。

唯仏房のもとの名は藤原隼人佑頼貞。稲田(笠間市)にいた親鸞聖人に帰依して唯仏房浄光と名乗るようになりました。寺伝によると1222年(貞応元年)に創建です。

親鸞は24の高弟(二十四輩)がいました。唯仏房はその21番目にあたり常陸御坊と呼ばれることもあります。親鸞聖人は稲田御坊でしたね!

浄光寺ははじめ常陸吉田枝川(水戸市)にありました。1591年(天正19年)に時の領主・佐竹義宣によって水戸城内に移転。1696年(元禄9年)に光圀公によって現在の館山へ。

義宣は浄土真宗を信仰していたんですね。光圀公が浄光寺を重んじていた理由はよくわからないのですが、十九代住職のもとに養女を嫁がせています。興味深い。。

館山七ヶ寺(看板)

館山七ヶ寺(看板)

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浄光寺の周辺にはさらに6つも浄土真宗(本願寺派)の寺院があるんです。合わせて館山七ヶ寺といいます。もともと霊山(お墓が集められた場所)だったそうですよ。
MEMO

配布されているパンフレットの由緒には水戸市の枝川に創建とありますが、境内の石碑には那珂郡枝川とあります。『茨城の寺』なども参考にするとひたちなか市の枝川と考えられます。

境内

本堂

本堂

山門の先のすぐ左手に手水舎。20mも直進すれば本堂です。この本堂は明治以降に再建されたもの。あとで紹介しますが、天狗党の乱で焼失してしまいました。

本堂に安置されているご本尊は阿弥陀如来です。佐竹義宣も深く帰依していたとか。この如来様にはとても不思議な伝説も。。後述します。

ふだんは閉まっていますが、庫裏でお声掛けをして中でお参りできます。そこまでいらっしゃる方は少ないかと思いますので、心静かにお参りできるのではないでしょうか。

MEMO

先に紹介した山門は佐竹氏の旧門といわれています。

しだれ桜

しだれ桜

春には本堂右手のしだれ桜にも注目してください。驚くほど立派です。

茨城県の桜に美しく開花したお写真がありますので、ぜひご覧ください!


参考
【ひたちなか市】浄光寺の枝垂れ桜茨城県の桜

天狗党の乱

幕末の二ヶ月ほど、浄光寺は武田耕雲斎率いる天狗党の本拠となっていました。

敵対する幕府軍・諸生党との激戦の舞台となったので、本堂が焼失。その後、天狗党は大勢を立て直すために大子方面に脱出していきました。

維新後は幕府の命によって住職が館山から追放されました。諸生党の頭領(市川三左衛門)と親戚関係で通じていたこと原因だとか。。

一時的に廃寺となりましたが、明治11年(1878年)に檀家の運動によって再興しました。

以上はお寺の由緒にあります。でも、幕末の諸生党は幕府と一緒に天狗党と戦ったはず。なにか別の問題があったように思いますが。。

境内の墓地に天狗党の追討のために亡くなった幕府や福島藩の兵のお墓が十基あります。

当時の浄光寺がどのような立場だったかわかりませんが、天狗党にも幕府軍にも与しなかったような気がします。そもそも敵は外国のはずなので。。

『鍋かぶり如来』の伝説

浄光寺のご本尊にまつわるとても不思議な伝説があります。

浄光寺が水戸城内にあった頃、当時の住職・唯空房を訴えたものがいる。佐竹氏にとって重要な宝剣を隠したというものだ。

藩主・佐竹義宣は烈火のごとく怒り、唯空房に対して鍋焼きの刑を命じた。熱した鍋を頭に被せる刑で命に関わる拷問だった。

唯空房は抵抗することもなく刑を受入れ、磯部の領地(いまの常陸太田市内)に渡った。

家老とその家臣が見張り役としている中、熱した鍋をかぶらされた唯空房。しかし、声一つあげることはなかった。いよいよ激しく攻め立てるが、やはりようすは変わらない。

そのうち、「上意!上意!」と大声で馬を走らせてくる者がいた。義宣の命によって唯空房を即刻解放せよというものだった。

その少し前、磯部から離れた浄光寺の本堂から煙があがっていた。城の者が火事の心配をして中に入ると、本尊の阿弥陀如来の表面が真っ赤になって煙を出していたのだ。

さらによく見ると血のような赤い涙を流しているではないか。

その者は住職・唯空房の拷問を知っていたので、すぐに義宣に伝えた。義宣は罪の証拠が不十分であったと刑の取りやめを命じたのだ。

刑場の役人は阿弥陀如来のありがたさに懺悔の涙を流し、以来真宗に帰依するようになった。

なんともありがたいお話ですよね。

わたしが注目したのは最後の懺悔の涙の部分です。住職が無実の罪、あるいは証拠不十分で罰を受けたことは問題です。でも、家老や役人は命令を覆せませんよね。

そもそも宝剣を隠した犯人が見つかっていません。懺悔という表現はもしかして。。

wata

真相はともかく阿弥陀如来はすべてを見通していてるので、悪しきことはするべきでないということですね!

御朱印

参拝スタンプ

参拝スタンプ

浄光寺の御朱印はありません。。止めてしまったそうです。

ただ、本堂にはお寺のスタンプが用意されていて自由に押せます。御朱印代わりですね。本堂右手の庫裏でお声掛けしてからどうぞ。あわせてご本尊も見れますよ。

wata

丸い方のスタンプは向きに気をつけてくださいね。持ち手のへこんでいるのを上にしたらズレました。。

アクセス

名称衆宝山 無量光院 浄光寺(常陸御坊)
住所茨城県ひたちなか市館山9015
駐車場あり

まとめ

浄光寺は館山七ヶ寺のひとつ。浄土真宗(本願寺派)の寺院です。

親鸞聖人とゆかりの深い唯仏房が創建。唯仏房は二十四輩に数えられています。

ご本尊の阿弥陀如来像には『鍋かぶり』のユニークな伝説があります。