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お寺には名前(寺号)の他に山号や院号があって、よほど関心のある方でなければとても覚えられません。ちょっと難しい字を使うことが多いですしね。
でも、寺院巡りをしていると同じ名前をたびたび見かけるので自然と覚えられるのです。たとえば、今回ご紹介する水戸市大場の醫王山 福性院 東光寺(天台宗)。慣れた方ならこれだけでご本尊が想像できるはずです。
こちらは「関東九一薬師霊場」の第六七番札所、そして「関東百八地蔵尊」の第五六番札書に数えられています。それぞれの御朱印も頒布しておりますので、御朱印巡りをされている方もぜひ足を運んでみてください!
この記事でわかること
- お寺の由緒とご利益
- 霊場のご本尊について
- 御朱印のいただき方
由緒
中興にあわせて薬師堂(+厨子)を再建。
ご本尊は阿弥陀如来です。中世以降の天台宗寺院では御本尊とすることが多く見受けられます。また、薬師堂でお祀りされている薬師如来(秘仏)も当寺のご本尊です。
ひとつのお寺に二つの本尊は少し分かりにくいのですが、建物が別にされておりますのでそれぞれにあると捉えるのがよいかと思います。
ただ、当寺の山号が「醫王山(医王)」で寺号が「東光寺」ですから、個人的には薬師信仰が非常に篤かったのではないかと思います。薬師如来は医療を司る東国の浄土(瑠璃光浄土)の教主とされます。
一方、阿弥陀如来は西国浄土(極楽浄土)の教主です。そのため阿弥陀如来を本尊とするお寺では西光寺とか西光院など「西」とつく場合が多々あります。ぜひ注目してみてください。
なお、こちらのお薬師は眼病治療に霊験があるといわれています。ピンポイントなので驚く方がいらっしゃるかもしれませんね。でも当寺に限らずお薬師さまで特筆されることが多いご利益です。
昭和56年(1981年) 木造薬師如来坐像(市指定)
昭和59年(1984年) 算額(市指定)
平成2年(1990年) 薬師堂(市指定)
アクセス
名称 | 醫王山 福性院 東光寺 |
住所 | 茨城県水戸市大場1369 |
駐車場 | あり |
Webサイト | なし |
境内入口と地蔵堂
境内入口は本堂側と薬師堂側の二ヶ所あります。駐車場を目の前にしているのは本堂側ですね。それぞれご本尊がありますので、お好きな方から入ればよいのではないでしょうか。ちなみに上は本堂側です。
手水舎で清めてから参道を進むと、すぐ左手に地蔵堂が見えるかと思います。こちらの中央にある半跏坐のお地蔵さまが「関東百八地蔵尊」に数えられる子安延命地蔵尊です。
文化9年(1812年)に女人講によって建立されたと刻銘があります。現在はありません、かつては毎月24日の縁日に地蔵念仏講が行われていたそうです。「子安」とあるので安産・子育てのご利益があるのでしょう。
ちなみに本堂にも年代不明の延命地蔵尊(木造)が安置されております。どちらも同じお地蔵さまなのですが、霊場の御本尊としては地蔵堂のものだけとなっております。
本堂
本堂に向かう石敷きの参道は芝とのコントラストが美しいです。当寺の境内はお手入れが行き届いていて気持ちよく参拝できます。特に暖かい季節になったら足を運んでいただきたいですね。
本堂は観音堂のような独特の造りで、梔子色と呼ばれるような黄色がかった向拝柱が印象的です。その蟇股には立派な三つ葉葵。近世に水戸藩領に帰属していたことに由来するのでしょう。
『天台宗茨城教区寺史』によれば、当寺は水戸藩の寺社改革により廃寺の対象でしたが、檀家と本寺(上野寛永寺)が相談の上、他の寺院とともに上野輪王寺門跡に直訴したことで水戸藩から再興が認められました。
『茨城の寺(一)』には、その時無住だったとあるので、上記は檀家が住職を介さずに寛永寺へ訴えたという意味なのかもしれませんね。同書では「その後、現在のご住職の祖父が来たことで再興した」の旨が続きます。
ということは、「寺社改革」は後期水戸藩(斉昭公の時代)でしたこと。前期(光圀公の時代)と違ってだいぶ荒っぽかったので檀家の努力は多大だったこと間違いなしですね。
寺社改革のとき、大場村には七ヶ寺ありましたが、東光寺以外は廃寺となりました。
薬師堂
薬師堂は本堂の東側にあります。石敷きの細い参道を進んでください。石段があって本堂よりも少し高いところにあります。やはりご本尊はこうでなくては。
参道には赤いのぼり旗が掲げられており、我らがお薬師を讃えるという雰囲気。のぼりにあるのはお念仏そのままなので、お参りする際には「南無薬師如来」と唱えましょう。
ご本尊は秘仏ですから基本的に拝観できません。記録上は昭和12年(1937年)に一度だけのようなので、おそらく檀家の方でも見たことがないはずです。
なんでも不用意に開けてしまうと「たたり」があるともいわれているとか。でも…市の文化財に指定されており、教育委員会が発行している『水戸の指定文化財』には御姿が載っています。引用を控えておきますが。
彫刻は赤みがかっています。薬師堂は部分的に新しい箇所がありますので、たびたび修繕していると思います。彫刻は状態が良くそのまま残っているから本来の色が見えているのでしょう。
ところで、『茨城の寺(一)』に面白いお話があるのでご紹介しておきましょう。東光寺には「盆前寺」という通称があり、「ぼうまい寺」と呼ばれているとか。
それは旧暦7月7日の昼にお盆の施餓鬼があり、夜にお薬師のための田植えがあることに由来するそう。つまり、一般的に昼にするはずの田植えを夜にする慣例なので、「盆が(お薬師の)前にある」で盆前です。
なぜ夜に田植えをするのかはまったく分かりませんし季節的にもおかしいのですが、なんともユニークですよね。今もあったらけっこうな話題になるんじゃないかと思います。
鐘楼堂
平成になって再建されたという鐘楼堂。本来はお寺にあって自然なものですから、幕末や戦中に供出してしまったのでしょうか。ちなみにわたしは勧められてひと撞きさせていただいたことがあります。癒やしの鐘。
鐘には檀信徒一同と沙門融慶によって奉納されたとあります。この融慶住職が現存する本堂、庫裏、書院、鐘楼堂を再建しました。
御朱印
当寺の御朱印は以下の二種類です。いずれも草書体で書かれています。ちょっと珍しいですね!
- 薬師如来(関東九一薬師霊場・第六七番札所)
- 延命地蔵尊(関東百八地蔵尊・第五六番札所)
御朱印は本堂に向かって左側の授与所でいただけます。
・戦国時代に創建、薬師信仰は少なく見積もって約400年の歴史
・薬師堂のご本尊である薬師如来は眼病治癒のご利益があるといわれる
・御朱印は霊場に数えられている二種類。本堂左手の庫裏でいただける
茨城の寺(一)|今瀬文也
天台宗茨城教育寺史|天台宗茨城教区寺史刊行委員会
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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