wata
「大麻」と聞くとドキッとしてしまうかもしれませんが、「おおあさ」と読んでください。麻は衣類に使われるありふれた素材です。古くから人間の生活と共にあります。
そんな大麻を冠する大麻神社が行方市にあるのです。神社そのものより例祭のほうが知られているかもしれません。毎年10月になると5地区から大きな山車が神幸し、賑やかなお祭りが展開されます。
先日はそちらの様子をブログにしましたので、今回はぜひ神社そのものを知っていただけたらと思います。参拝の助けになれたら幸いです!
由緒
9月15日、大竹の如き丈余の麻の側へ創祀と伝へられている
火災により旧記を焼失
・同地内になる羽黒神社、香取神社、水神社を合併。(いずれも無格社)
・供進指定および村社指定
*本殿修復および拝殿新築記念
御祭神は次の7柱です。
- 武甕槌命
- 経津主命
- 大宮姫命
- 手力男命
- 市杵島姫命
- 倉稲魂命
- 水速女命
このうち①と②は例大祭の大人形にもなっており、主祭神のごとく特別扱いがされています。当地は鹿行地域にあたり同地域に鎮座する常陸国の一宮鹿島神宮(祭神:タケミカヅチ)との関係が考えられます。
また、フツヌシは鹿島神宮と密接な関係を持つ香取神宮の祭神です。同神宮は千葉県の香取市に鎮座し、同市にある佐原八坂神社は佐原の大祭(祇園祭)が非常に有名で当社を含めた鹿行地域の神社に影響しているといわれます。
特に佐原の大祭で演じられる佐原囃子やシンボルでもある大人形は、大麻神社のほかに鹿島神宮(鹿嶋市)や素鵞熊野神社(潮来市)、鉾神社(鉾田市)の例祭でも見られます。
ところで、「大麻」の社号からは、麻を植えたという神祇氏族である忌部氏を連想します。しかし、当社の麻は『常陸国風土記』の記述に由来しており、氏族に関する伝承はありません。
同書の記述(現代語訳)は以下のとおりで、麻生の地の由来になったともいわれています。
麻生の里。昔、麻が沢の水際に生えていた。その麻の幹の太さは、まるで大きな竹ほどもあり、長さも一丈以上あった。
常陸国風土記 全訳中|秋本吉徳
当社は親しみを込めて「大宮さま」と呼ばれる旧村社です。麻生地区を代表する神社のひとつとして、盛大な例大祭とあわせて覚えておきたいところです。
令和5年10月時点で当社に御朱印があるとは確認できていません。
アクセス
名称 | 大麻神社 |
住所 | 茨城県行方市麻生 |
駐車場 | あり |
Webサイト | なし |
鳥居
大麻神社は大通りに面していますが、社叢に囲まれているためその社殿は容易に見えません。立派な警察署が隣接するなど開発されながらも往古の姿を維持しているのではないでしょうか。
ちなみに神社の駐車場は通りを挟んだ反対側にあり、非常に利用しやすくなっています。
大鳥居に並んで立てられている石碑には「天照皇大神宮」と「金刀比羅神社」とありました。あわせて「紀念」とありますので、おそらくは講中などで参詣した記念(紀念)して建てられたのでしょう。
ただし、行方市内には上記の二社に春日神社を加えた三社を並べて祀る石碑がいくつかあります。わたしが知らない地域性のある信仰があるのかもしれません。
参道および例祭について
鳥居の先、短い石段を登ると鬱蒼として薄暗い境内。しかし、参道は整備され手水舎には布巾が提げられていますので人の気配を感じます。
大鳥居は平成期の建立。社殿や神輿なども平成期に新築・修繕しましたので一見すると新しい印象を受ける境内です。それは主に例祭を通じて常に大勢の人が関わっている証でしょう。
当社には次のような例祭があります。
毎年10月の第3日曜日を中心に土曜日、日曜日、月曜日の3日間で行われます。玄通、蒲縄、下渕、田町、本城(宿)の5地区による5台の山車の曳き回しが行われ、土曜日の夜には5台の山車がすべて集まり踊りの競演が行われます。若蓮と呼ばれる若者達が雅で躍動する手踊りを披露します。また踊りが終わった後は「のの字回し」と呼ばれる山車の曲曳きが行われます。のの字回しは山車の半間(車輪)にてこ棒を当て軸とし山車を回します。この時山車の提灯が動かないようゆっくり回すことがよいとされています。
山車、山車の上に飾られた人形、手踊り、お囃子など江戸優りと言われた佐原の祭りの影響を色濃く残しています。
観光なめがた
上記には土日月の3日間とありますが、『茨城県神社誌』には10月16日から18日と載っています。日付指定だと平日にあたり都合の悪い人が多いため土日を含むように変更したのでしょう。
では特定の日付にはどのような意味があるのかといえば、創建の伝承に由来するものだと思います。当社は大同元年の9月15日の創建といわれ、旧暦を新暦に直したときに1ヶ月ほど遅らせたと考えられます
これは旧暦6月の土用にあった祇園祭を現代では7月下旬に開催することに似ています。祭りは区切りの日であり、それは始まりの日がふさわしいと考えられたのだと思います。
境内の整備も上記の5地区によるところが多大です。整備した際に建てられた石碑などにも5地区の名が揃って彫られていました。
参道右手には神輿の収納庫があります。例祭では地区ごとに山車を神幸させますが、それらとは別に御輿も神幸しています。山車も神輿も祇園の影響によるのでしょう。個人的には、始めは神輿のみだったように思います。
社殿
拝殿は平成期の新築です。しかし、こうした環境だとちょっと傷みやすいかもしれませんね。本殿は拝殿の新築にあわせて修繕されたそうですが、さほど傷みは見えません。明治以降の建立でしょうか。
当社の鎮座する麻生には天台宗の蓮城院があります。同院の境内の石碑によると大同2年(807年)に大麻神社の別当寺として創建したとか。極端に古い創建年に加え、神仏習合以前に別当寺とあったかについては疑問ですが、江戸時代は別当を務めたのでしょう。
『なめがた日和』によると、興味深いことに大麻神社の裏には「東光寺(『茨城県の地名』では蓮城院)」という地名があるとのこと。蓮城院は創建以来3度移転しており、うち少なくとも1回は大麻神社に隣接していたようです。
シンプルながら美しい書体の扁額。社号はともかく揮毫者がわからない。。謹書の前が二文字なので雅号でしょうか。
立派な本殿です。縁の下が朱色に染まっているのがカッコいいですね。昔からなのか分かりませんが、密教に属する天台宗は護摩を焚きますから神仏習合時代の名残なのかもしれません。
脇障子の彫刻は抜けていて、リアルの自然と一体となって風雅な世界観を作り出しているようです。
本殿をよく見ると扉が2つありました。二社造りと呼ばれるもので小美玉市の貴布禰神社でも見たことがあります。そのときの神職さんの説明では主祭神が二柱であるためそのような造りとのことでした。
同じように考えると大麻神社はやはりタケミカヅチとフツヌシを中心とする信仰だったのではないかと思います。鹿行に鎮座しながら佐原の影響を受けているので、鹿島と香取の神が特に大切なのでしょう。
wata
・「大麻」の社号と地名は『常陸国風土記』に由来するといわれる
・毎年10月の例大祭が有名。佐原の大祭の影響を受け、大人形やお囃子が名物
・江戸時代は蓮城院が別当を務め、神仏習合していた
・令和5年10月現在、御朱印はないと思われる
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。