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- 由緒と御本尊
- 「宝来」について
- 御朱印のいただき方
寺社にはお祀りしている神仏の他に大小さまざまな違いがあるもの。そんな違いのひとつに「慣習」があります。続けていることですね。
観光協会のサイトを見ていたら、今回ご紹介する小美玉市の修善院にも「宝来」という珍しい慣習があることを知りましたので、お寺のこととあわせてぜひご覧ください!
修善院とは
由緒
御本尊は虚空蔵菩薩です。智慧を授ける仏として知られており、当寺では毎年3月に十三参りが行われます。数えで十三歳になった子どもたちの儀式ですね。
御本尊の「木造虚空蔵菩薩坐像」は市指定文化財。背面には「天平十六年行基」と彫られていますが、実際には江戸時代初期の作で佐竹義重が奉移したのだとか。
『茨城県の地名』によれば安置は明治期なので奉移は当寺に渡る以前のことでしょう。「行基」の記載などの謎を残しますが、江戸時代初期であれば300年ほど前なのでかなりの古さですね。
毎年3月第一日曜日の大祭では御本尊が御開帳されますので興味のある方はぜひ足を運んでみてください。子どもたちはこの日に十三参りかな?昔は十三日に十三参りがあったそうです。
何度か火災に遭っていますが、享保4年(1719年)の過去帳が残されており、それによるともとは讃岐国の善通寺末として創建され、その後に大和の長谷寺の末寺となりました。
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アクセス
最寄りのICは(あまり利用する方はいないかもしれませんが)常磐道の茨城空港北ICです。下りてから約8分。わたしのナビはおかしなルートを選びましたので、ぜひ県道144号側から境内に入ってください。
駐車場は非常に広いので安心して停められます。
名称 | 泰永山 修善院 果雲寺 |
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住所 | 茨城県小美玉市下吉影631 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 小美玉市観光協会 |
境内入り口
多くの方が車で通過すると思われる境内入り口。右手には如意輪観音の石仏や月待塔などの石碑が並んでいます。
その向かい側にある石碑は天保3年に建てられたという芭蕉の句碑です。少し読みにくいのですが、「春もやや気色ととのふ月と梅」とあります。春の訪れを喜んでいるんですね。
今ではすっかり整備されて新しい印象のお寺。しかし、創建が江戸期まで遡るのは確実で、かつては周辺に7つほどの末寺・門徒を抱えていました(現在では廃寺)。
葬儀等の儀礼が当寺だけでは間に合わず指導にあたりながら地域の信仰を守っていたのでしょう。そうしたお寺が現代でも存続し、写経や法話を通じて人々に教え続けていると思うとありがたいことです。
山門
砂利の駐車場に停めていきなり本堂に行けるのですが、それでは少々味気ない。というわけであえて、いや正規の参拝通路として山門を通ります。
道中見かけたのがこちらの看板。「お大師さまのファンクラブ」。。参与会の名前からは格式を感じますが、ずいぶん親しみやすいフレーズをお使いのようで。
「こうやくん」もかわいい。ただし、手にあるのは武器(金剛杵)と思われるのでギャップがなんとも。
境内の石碑によると山門は平成元年に建てられました。この日は天気があまり良くなかったのですが、写真はふだんから暗くなりそうです。
なぜなら、山門は北西向きなので逆光になりやすいんですよね。山門は先にあった本堂の向きにあわせてのことかと思いますが、この向きは非常に珍しいです。
ご本尊の虚空蔵菩薩は丑寅(北西)の守り本尊とされておりますので、同方位を意味する南西向きならわかります。北西は意味深でとても興味深く感じました。
参道
山門の先に広がる参道の光景。ややいまいちな天気でしたが、心地よい空間です。
境内は非常に美しく手入れがされています。向かって右手に見えるのは聖観世音菩薩でしょうか。観音様は救いを求める人々にあわせてその姿を変えます。聖観音はその基本形ですね。
その姿は三十三種類ともいわれますが、観音様はおそらく万能でしょうから人間の姿になることはたやすいでしょう。ということは、ふだん我々が接する人の中にも観音の化身がいるかもしれません。
よほど事情がない限りはどんな相手にも礼儀と敬意を持って接したいものです。観音様かもしれませんからね。
観音像より少し先に進むと同じく右手に見えてくる藤棚。こちらはだいぶ立派ですね。見ごたえがあります。藤は晩春の季語なので5月ごろに開花するのでしょうか。
反対側には檀家さんが奉納したという涅槃像。お釈迦様のお姿でしょう。仏教といえばこの方ですから大切ですよね。
本堂
向かって右手にある手水舎で清めてから本堂へ。その間には「こうやくん」のモデル。。と言うのは変ですね。弘法大師像が建てられています。
真言宗の開祖として有名ですが、治水などでも活躍した万能の天才です。学問に限らずそれを実用したのは超人的ですね。弘法大師像は宗派を超越して目にすることがありますから、それだけ偉大だと思われていたのでしょう。
本堂は見たところコンクリート製。かなり頑丈にできています。市観光協会によれば、毎月21日は「お大師様の日」としてこちらで写経体験やお礼参りの儀礼が学べるそう(予約不要)。
法話もあるので勉強になりそうですね。お近くの方は試してみてはいかがでしょう。写経体験は数珠、お賽銭、納経料(千円)が必要となっております。
庫裏の中には「写経道場」の看板が掲げられています。こちらは本山から授かったありがたいものだとか。
ところで、寺門と思われるこちらは茨城県内ではとても珍しいと思いました。調べたところ「三つ寄せ雀」かと思います。この紋は名字にも通じていることがあるそうでなかなか面白いですね。
不動堂
わたしが聞きそびれてしまったのがこちら。小川町史(上編)によれば、境内には不動堂と薬師堂があるそう。近くに不動堂改築碑もありましたのでそれにあたるのではと思います。
中に安置されているであろう不動明王は大日如来の教令輪身とされています。大日如来は真言宗の本尊ということからも、どちらかといえばお不動さまの建物を残していそうなんですよね。
建物の前には小さな柵がありましたので覗き込んだりはしませんでした。わたし、そういう礼儀正しいところあるんですよ。。
「宝来」
宝来は庫裏の中にありました。境内をいくら探しても見つからないはずです。御朱印をいただく際に目の前にあってびっくりしました。
名前の響きからして金属を思い浮かべたのですが、実際には念を込めた切り絵です。実際に「切り絵」と呼ばれることもあるのだとか。
役割としては神社で使われるしめ縄と同じで社殿や御神木などの周囲に張り巡らせて邪鬼を祓うといわれています。天の岩戸神話でも天照大神が岩戸を出たとき岩戸に張られました。
なぜしめ縄でないのかというと、この地域では昔から藁がとりにくかったせいだとか。しめ縄に用いる藁はいくつか種類があるので、もしかしたら稲わらではなく真菰がなかったという意味かもしれませんね。
真菰は植物の中でも特に神秘的な力を持つといわれており、今でも由緒ある神社のしめ縄の素材として使われています。わたしにはその違いが今ひとつわからないんですけどね。
こちらの宝来はウサギの形をしていました。しめ縄は大晦日や例祭などの節目に取り替えるものなので、大晦日に今年の干支にあわせて変えたのでしょう。かわいい。
御朱印
修善院の御朱印です。本堂向かって左側の庫裏でお声掛けください。
宗派としての御本尊は大日如来かと思いますが、当寺は寺宝にもなっている虚空蔵菩薩。年に1度の御開帳。わたしも見てみたいですね!
まとめ
この記事のまとめ
- 室町期の創建。本尊は虚空蔵菩薩
- 「宝来」はしめ縄と同じ役割。藁がとれないために代用したという
- 御朱印は本堂向かって左の庫裏でいただける
参考文献
茨城の寺(四)/今瀬文也
茨城県の地名/編:平凡社
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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