wata
- 由緒
- 十三仏について
- 御朱印のいただき方
厳しい残暑が徐々に和らぎだす彼岸のシーズン。少し落ち着いてきたので筑西市の最勝寺に参拝してきました。
美しい境内ということは存じ上げていたのですが、それだけでなく仏教の奥深さにも触れられましたので早速シェアします。
10月以降は紅葉も美しいかと思いますので、癒やしを求めて参拝するのもおすすめです♪
最勝寺とは
由緒
いただいた御朱印に「南無阿弥陀仏」とありましたので、ご本尊は(おそらく)阿弥陀如来でしょう。阿弥陀如来は天台宗に改宗する以前の浄土真宗でもご本尊とされています。
当寺は関東八檀林の宗光寺(真岡市長沼)の住職が晩年を過ごす隠居寺と伝えられています。そのため古くから華美でなく落ち着いた佇まいの境内になっているそう。仏教思想を取り入れた庭園はどなたでも楽しめるようになっています。
特に「十三仏」の教えを大切にしており、庭園にもそれが現れています。十三仏は亡くなった方を導く存在です。ふだん考える機会は少ないかと思いますので、参拝の折にお伺いしてみてはいかがでしょうか。事前申込みをすれば境内の案内とあわせてお話してくださるそうです。
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アクセス
最寄りICは北関東自動車道の桜川筑西IC。下りて約20分ほど。
最寄り駅は真岡線の下館駅。車なら約10分で到着です。
周辺の道路が狭くなっているので運転に注意してください。
駐車場は本堂の南東側と南西側の2箇所ありました。南東の駐車場は上記のピンのある場所です。ご参考に!
名称 | 清瀧山 真珠院 最勝寺 |
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住所 | 茨城県筑西市下平塚57 |
駐車場 | あり |
山門
細い道を通り無事に駐車場に到着。通りに案内板がありましたが、ちゃんとたどり着けるかドキドキ。筑西はあまり出歩いてなかったので期待を胸に初参拝です。
お彼岸の直前ということで境内には参拝者を迎えるように彼岸花が咲いていました。可憐ですね。それに境内に広がる苔がなんとも味わい深い。江戸時代にタイムスリップしたようです。
今年の彼岸花の開花は例年より若干早かったように思います。当寺の彼岸花をご存じの方は数日前にSNSでお写真を投稿されていましたね。市内でも注目の寺院なのでしょう。
非常に歴史ある寺院ですが、被災などもあって古くから残っているものはごく一部。こちらの山門も比較的新しいようです。とはいえ、境内と調和していて自然な趣です。
薬師堂
山門の先、すぐ左手にあるのが薬師堂です。中には鎌倉時代の作とされる木造薬師如来坐像(市指定文化財)が安置されています。
棟札によると薬師堂は貞享2年(1685年)に再建されたもの。それを平成14年から同16年にかけて大修繕されて今に至ります。
本尊の薬師像の製作年代を考えると浄土真宗だった鎌倉時代から続く信仰なのでしょう。寺の本尊の阿弥陀如来がいくら万能といえども、病にかかった者が頼るのはお薬師さまなのだと思います。
ちなみに阿弥陀如来が西方極楽浄土の教主とされるのに対し、薬師如来は東方瑠璃光浄土の教主といわれます。
本堂
厳かな場所かと思いますが、なにやら懐かしい雰囲気の本堂。手前のもみじがいい感じで視界にかかっていますね。紅葉したらきっと美しいと思います。
。。こんなところに仁王像がっ!初めてのパターンで面くらいました。ちょっと可愛らしいお顔をしていますね。
この日は彼岸花の見頃ということもあって、大きなカメラを持った方々が撮影を楽しんでいました。よくお手入れされているのでなにかと心が弾む境内です。
ただ、美しい庭園は単に楽しむだけでなく、仏の教えに触れられる場として造られています。本堂の周囲に広がる十三仏の方も巡ってみます。
十三仏めぐり
本堂左手から入れる美しい庭園は十三仏が安置されています。庭園内に詳しい説明があるわけではないので興味がある方は事前にお寺に申し込んで案内していただくのもよいかと思います。
ここでは境内でいただいたパンフレットをもとに簡単な説明をいたします。まずはそのパンフレットから概要を抜粋。
十三仏とは、私たちがこの世での務めを終えて、彼岸の悟りの境地に至るまで、導いてくださる十三尊の仏さま方のことです。世俗ではお葬式が営まれ、その後も追善供養と言って、故人の安楽往生と成仏を遺族が祈る法要が営まれます。では故人ご本人はどんな旅路をたどって仏様の世界にたどりつくのでしょう。
昔からいろいろな言い伝えがあります。三途の川、賽の河原、閻魔さまのお裁き、剣の山などのお話はどなたにもなじみがあることでしょう。これらのお話には、じつは仏さまの教えがいっぱい込められているのです。
死後の世界はさまざまな場所で捌きを受けながら成仏へと向かいます。だれも確かめたことはないはずなので気が遠くなるほどの人々の営みを通じてそのような考えにたどり着いたのでしょう。
以下は審理の日程と裁判官、そして審理を導く仏です。
審理は7日が区切りになっていて、左の数字を右にかけた日が審理日です。七七だと7×7で49日目ですね。世間ではこの日を過ぎると霊から仏になるといわれます。「御霊前」と「御仏前」が分かれるのも「四十九日」です。
裁判官の中で閻魔王や泰山王は聞いたことあるのではないでしょうか。泰山王は泰山府君として陰陽道で延命を祈願されたりします。そう、泰山府君祭は安倍晴明の得意技。。
それぞれの審理や仏にはさまざまな由来があるかと思いますが、重要なのは供養(法要)を通じて死者が安らかに眠れるという考えがあるということですね。
お葬式といえば仏教のイメージですが、開祖とされる釈迦まで遡ると必ずしもそうではありません。『原始仏教聖典』では釈迦自身が出家修行者が葬儀に関係することを禁じています。
出家は世俗との関係を断ち切るためにしているのだから世俗的な行事である葬儀に関係してはいけない、ということなんですが、現代の感覚ではピンときませんよね。
いまの葬儀が釈迦の教えに反するとか、葬儀がなくても問題ないと言いたいわけじゃないですよ。
ただ、仏教には非常に長い歴史があり、世界各地に伝播する途中で何度も変化があったのはたしか。人々と融和する過程でその土地の習慣が取り入れていったのでしょう。死者の弔いは中国や日本で欠かせないことですし、僧侶は土地の人々ですから。
『日本書紀』によると日本に仏教が伝えられたのは欽明天皇14年(552年)。しかしながら、死者に対する祭祀は『魏志倭人伝』にも記載され、古墳にも残されています。
「ご先祖様は大切」はほぼすべての日本人が賛同できるはず。それくらい大切なことですから十三仏の教えは多くの日本人に受け入れられたのだと思います。
御朱印
最勝寺の御朱印です。本堂右手の庫裏でいただけます。
庫裏の入口の向かい側には小さな池がありますよ!
まとめ
この記事のまとめ
- 鎌倉時代に浄土真宗の寺院として創建。後に天台宗に改宗する
- 十三仏の教えをモチーフにした庭園が造られている
- 御朱印は本堂右手の庫裏でいただける
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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