wata
- 由緒・本尊について
- 境内社の粟嶋神社について
- 御朱印のいただき方
大変です。お寺でとても珍しいものを見つけてしまいました。まさに珍品。
場所は常総市(旧水海道市)の松岳寺。境内の案内より突っ込んだ解説をしますので、ぜひご参拝ください。特に女性に「いい」らしいですよ!
松岳寺とは
由緒
ご本尊は十一面観世音菩薩です。曹洞宗の本尊(釈迦如来)と思いきや、お寺独自の本尊なんですね。
由緒では開山と開基が分けられています。簡単に説明すると開山は寺院の創始者。開基はそれを資金面で支えた人です。開山はもちろん僧侶、開基は武将や領主などさまざまです。
創建は江戸時代初期。幕府がカトリック(キリスト教)を禁止し、寺請制度が始まった頃です。同制度では誰もがどこかの寺に属します。カトリックの排斥や戸籍管理の狙いがありました。
しかし、開拓地の場合は既存の寺から離れているので葬祭などが何かと面倒。そこで開拓者のリーダーが資金を調達して伽藍を整備し、住職を招いたのではないかと思います。
お寺の歴史は400年近くありますが、たびたびの水害で記録を失ってしまったそう。ここは鬼怒川と小貝川に挟まれていますから治水が難しかったんでしょうね。
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アクセス
圏央道の情操ICを下りて約5分。
最寄り駅は常総線の中妻駅です。駅から車で5分ほどなので、20分ほどかければ徒歩でも参拝可能です。
駐車場は広いので問題なく駐車できます。
名称 | 龍谷山 松岳寺 |
---|---|
住所 | 茨城県常総市沖新田町434 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
境内入口
駐車場に車を停めていざ参拝。山門はありませんが、立派な寺号標がそびています。
境内は平地にありますので山号の「龍谷山」はどんな由来でしょう。本寺の乗国寺の山号「見龍山」と関係があるでしょうか。それとも東西に流れる鬼怒川と小貝川を龍に見立てているのでしょうか。
乗国寺(古くは福厳寺)も鬼怒川と田川に挟まれてたびたび水害に遭ったといいます。そのたびに復活したという意味でも松岳寺とよく似ているんですよね。
西国三十三所
詳しいことはわかりませんが、西国三十三所の石碑が立っています。
この名称は一般的には西日本の観音霊場巡りのことかと思いますが、当寺は含まれていませんのでオリジナルの霊場です。境内を回るだけで結願ができます!
たしかに古い観音像がずらりと並んでいます。三十三の数字は相手に合わせて三十三通りの姿に变化する観音さまに由来するのでしょう。
というわけで、どんな方でも救われる霊場となっております。短時間で周れますので特にお願い事がある方は試してみてはいかがでしょうか。
本堂
近年できただけあってピカピカの本堂。曹洞宗の2種類の寺紋が輝いて見えます!
彫刻が柱と違う色をしています。だいぶ古く見えますので旧本堂のものを移したのではないでしょうか。歴史を伝えているのですね。
ご本尊の十一面観音と釈迦如来にお参りしたところで個人的なメインイベントへ。。
粟嶋神社
本堂の向かって左手には。。粟嶋神社です。なぜお寺に神社がっ!
それになんというビジュアルでしょう!いやーまさかこんな木が自然にあるなんてびっくりですよね。
公式サイトから由緒を引用します。
この地方には古くから観音さまのご化身として粟嶋さまの信仰があり、松岳寺の住職が村内はもとより、近隣住民の皆様の信仰心におこたえして、建立されたものと聞き伝わっております。
あわしま様神仏混合時代には粟嶋神社として祭神を少名彦、という女神で、和歌山県海草郡加太村(現 和歌山市)の淡山神社に祀るともいい、また、鳥取県西伯郡彦名村上粟島にも粟島神社があって少彦名命は常世の国(とこよのくに)へは此処から渡らせられたとも云われています。
婦人病に効があり、安産の神様でありまして、祈願して無事安産すると、産着に似せた着物を川に流すと神様に届くと言われています。また、針供養をしたとも云われております。そして、縁結びの神様としても信仰され、成就された方のご婦人の黒髪を束ねられたものが(旧堂社)前の扉にたくさん供えられてありました。現在は観音堂としてあわしま様の名を残し、松岳寺にて管理しています。
「少名彦」が女神とされているのが興味深い。「彦」は男性を意味する言葉かと思いますが。。記紀には性別が記されていません。女神説は微レ存ということで。
また、「あわしま様」が観音様の化身というのも珍しいのではないでしょうか。少彦名の本地は薬師如来とされることが多いですね。少彦名≠あわしま様なので特別な考え方があるのかもしれません。
中を覗いてみると。。隷書体(Twitterで教えてもらいました)で「常世国神社」とあります。『記紀』の少彦名は常世国に去っていきましたので馴染みのある言葉ですね。
由緒に和歌山の淡山神社とありますが、住所からするとおそらく和歌山市加太の粟嶋神社のことでしょう。同社の由緒には次のようにあります。
その昔、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。
沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。
「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」
その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。
その島が、友ヶ島です。その島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后さまは助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物をお供えになりました。
その後、何年か経ち、神功皇后の孫にあたられる仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来られ、いきさつをお聞きになりました。そこで、島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、ご社殿をお建てになったのが、加太淡嶋神社の起こりとされています。
淡嶋神社の起こり/淡嶋神社(公式)
『記紀』には神功皇后が三韓征伐のため身ごもったまま半島に渡ったとあります。そこで出産しかけたのですが、まだ産めないとお腹を落ち着かせ石で押さえつけて作戦を続けました。そして平定した後に帰国の途に就きます。
由緒はその帰国中のことなのでお腹には赤ちゃん(後の応神天皇)がいたということですね。母子の大ピンチを二柱の神が救ってくれたということでしょう。安産や子育てのご神徳があるとされるのは皇后と応神天皇を救ったことに由来するようです。
それにしてもあまりにもあからさまなので衝撃を受けます。和合のシンボルということなのでしょうが。。
ちなみに仁徳天皇(応神天皇の皇子)が社殿を建てたのは3月3日のこと。桃の節句、ひな祭りの日ですね!(参考:和歌山県文化情報アーカイブ)
当寺と和歌山の神社の祭神が同じとされていることから、こちらの粟嶋神社にも同等のご神徳があるということなのでしょう。
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神功皇后のエピソードはこちら
鳥取の粟嶋神社には八百比丘尼の伝説があります。(参考:米子観光ナビ)
御朱印
松岳寺では2種類の御朱印がいただけます。
1つは曹洞宗の本尊である釈迦如来(釈迦牟尼仏)。
もうひとつは境内社の粟嶋神社です。お寺で神社の御朱印を頒布するのは極めて稀。わたしが知っているのはこちらだけですね!
本堂の右手の庫裏でお声掛けください。
まとめ
この記事のまとめ
- 松岳寺は江戸時代初期に開山。開拓者のための寺院だったと思われる
- 境内に神社があり、少名彦という「女神」が女性に大きな神徳を与えるといわれる
- 御朱印は2種類。本堂右手の庫裏でいただける
この記事で紹介した本
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誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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