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神社にはさまざまな神様がお祀りされています。現代ではそのほとんどが『古事記』『日本書紀』の神話に見られるものばかりですが、明治の神仏分離令以前は本当に多様な神様を積極的にお祀りしておりました。
そのひとつが道祖神。道端や辻で石碑として祀られていますので、日本人であればなんとなく記憶の片隅にあるかと思います。素朴な民間信仰なので社殿を設けてとなると非常に珍しいといえるでしょう。
今回はそんな道祖神をお祀りする下妻市の高道祖神社をご紹介します。なにかを話題になりやすい神社なので、覚えておくと下妻トークに花が咲くかと思います!
この記事でわかること
- 由緒とご祭神
- 例祭について
- 御朱印のいただき方
2023年3月19日、道祖神社の社号および神号について追加・修正しました。「さやじんじゃ」→「どうそじんじゃ」、「さやのかみ」→「どうそじん」。
由緒
初め日枝神社と尊称
村内の旧無格社道祖神社と合併。高道祖神社と改称
※大正5年ともいわれる
*社殿基礎より
道祖神祭を旧暦1月14日から3月第一日曜日に変更
ご祭神は次の5柱です。
- 大山咋命
- 道祖神
- 誉田別命
- 天日鷲命
- 菅原道真
『茨城県神社誌』ではこれに素盞嗚命と天香久都知命が加えれれています。(なぜか道祖神がいない)
由緒にあるように元は日枝神社なので主祭神は山の神として知られる大山咋命かと思います。他の5柱は道祖神社とは別に合祀された神々でしょう。氏神の性質が強い天日鷲命はこの中では異質と感じます。
日枝(山王・日吉)はよく知られた社号ですが、村社以上となると県内では決して多くはありません。下妻市内には他に中郷と新堀にありますので地域的に信仰されていたのかもしれませんね。
『下妻市史 別編』によると、高道祖の土地が中世に田中庄三十三郷に属していたことにより郷社の日枝神社(つくば市田中)の影響で創建されたとする説を紹介していました。有力な説だと思います。
とはいえ、当社といえば道祖神です。由緒に「合祀」とあるものの本殿は山王社の本殿と並べられていて同格の雰囲気が漂います。また同社にはいくつもの「シンボル」が並べられていますのでインパクトは大。
それもあって神社全体としては性神としての信仰が強く、子宝・安産の他に下の病など生殖器保存の守り神とされています。
そちらのご祭神は八衢比古神と八衢比売神です。記紀には登場しない神様ですね。道祖神社は境内社なのに主祭神を超える知名度なのでぜひ覚えておいてください!
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アクセス
整備された専用駐車場はありませんが、ふだんであれば鳥居前の道路を挟んだ場所に駐車できるかと思います。(鳥居の目の前はNGらしい)
例祭などの混雑する日の場合は近くに臨時駐車場が設けられます。毎年同じかは不明なので場所は示せませんが、鳥居前のとおりにいくつか出来るかと思います。
名称 | 高道祖神社 |
住所 | 茨城県下妻市高道祖4480 |
駐車場 | なし ※例祭等であれば臨時駐車場あり |
Webサイト | なし |
鳥居
高道祖神社は非常に小規模な神社です。駐車スペースも非常に限られておりますので、基本的には近所の方々の信仰の場となっております。
ただ、目立たなかいかといえばそんなことはありません。ご覧のとおり巨大なケヤキがそびえ立ち、奥には派手な社殿。遠目からでも爛々としているように見えます。
参道は30mほどでしょうか。道祖神祭では午後から露天が並ぶそう。わたしは早い時間にお参りしてしまったので、賑わう境内も見たかったですね。
参道の左手に見えるのが手水舎。その反対側に授与所と参集殿があります。土地開発の結果かと思いますが、境内はかなり整理されている印象でした。
拝殿
切妻屋根の拝殿。基礎がしっかりしており柱などはコンクリート製。鮮やかな朱色といい現代になって再建されたのでしょう。
寺社で見られる朱(赤)は魔除けの意味があるといわれます。また染料が高価なので崇敬者の権威を示したり、神様に対する御礼であるとかさまざまな説があります。
ただ、わたしとしては五行説との関係を強く意識しています。五行説は大陸から渡来した古い思想で日本文化の基礎として今でも根付いていると思います。
五行説では万物を木火土金水の五気に分類してその関係や働きを説明します。赤であれば火気に分類され、火気は「火生土」といって土気を生じる働きがあります。
土気は文字通り土の気ですから、土の集積ともいえる山は土気を表します。火は土を生む。それが山の神を祀る神社で赤が使われる理由ではないかと思うのです。
五行説は陰陽道や修験道では積極的に語られるものの神道や仏教ではさほどではありません。しかし、古い時代の哲学として浸透していたことは間違いありませんから慣習には少なからず影響していると思われます。
ちなみに稲荷神社の総本営である稲荷大社でお祀りされているのは稲荷山に鎮座した山の神です。初午の日に鎮座したとのことですが、午はもっとも盛んな火気ですから生じた土気(神様)も偉大というわけです。
祭りの日はこの拝殿が開放され、中の様子をうかがえます。さっぱりしていて特に目立った装飾等は見えませんでしたが、両サイドの天狗の面は興味深いものがありました。
天狗といえば山伏の格好で描かれることが多いように山と非常に関係がふかい妖怪(?)です。置いてある位置からすると眷属の位置づけかもしれませんね。山の妖怪が仕えるのは山の神に違いありません。
やはり当社は大山咋命を中心とした信仰として間違いないのでしょう。この拝殿の裏に山王社と道祖神社の本殿が並べられています。後者は無格社でしたが、村社の山王社に並ぶ存在と考えられます。
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本殿
拝殿からぐるりと周って背面へ。すると格子で保護された2つの社が見えます。格子の中で向かって右手が山王社。左が道祖神社です。その前には2つの男性のシンボルが。おおっ。。
一般的に道祖神社は「どうそじんじゃ」と読みますが、当社に関する史料(下妻市史別編)には「さやじんじゃ」と振り仮名がありました。神様は「さやのかみ」だそうなので、塞の神に通じているのでしょう。
ただし、当ブログにコメントをお寄せいただいた地元の方によれば、社号を「どうそじんじゃ」、ご祭神を「どうそじんさま」「どそじんさま」と一般的な呼称で呼ぶそうです。
元来、塞の神は移動の安全を守護する導きの神様ですが、江戸時代の頃に性神とされるようになりました。なんらかの思想がブレンドされたようですね。
山王社は一般的な境内社といったところ。高道祖神社と違って特に石造が並べられることはありません。
社殿の両サイドには猿の顔。これは山王社の御祭神である大山咋命の神使が猿であることに由来するのでしょう。いわゆる「神猿」です。それにしてはちょっと怖い顔してますけどね。
「魔が去る」とか「縁(猿)を運ぶ」から縁結びに通じるといった面白い説もあります。両社は一緒にお参りしておいたほうがいいですね。
道祖神社の本殿のアップがこちら。以前より少し数が減ったでしょうか。そのインパクトは変わりませんけどね。ちなみに令和6年には「恋愛成就」の提灯がありました。そうだったのか…!
ところで、当社は山の神を祀る神社であり、山は五行説でいうところの土気にあたると前述しました。じつは道祖神も同じように土気に属すと考えられます。道端の神ですしね。
記紀にないご祭神(八衢比古神と八衢比売神)は五行説と密接な関係を持つ『易』に由来するのではないでしょうか。易では五行説のように万物を8つに分類する八卦の思想があり、そこで土気は「坤」と「艮」にあてられます。
注目すべきは艮の方で九星思想を結びつき数字では「八」が象(象徴)とされます。道祖神の神号に八がつく理由はここにないでしょうか。八は他にも「多い」とか「度重なる」といった土の特性を表現する意味で使われます。
また、下から上に突き出た形は艮の象と見做されます。これは艮の卦が同様の形状であることに由来します。自然であれば山、人体であれば鼻、男性に限れば。。という感じです。
上がその卦です。縦に並んだ3つの記号(爻)のうち、下2つが穴あきです。爻は下から上に変化する法則があり、下2つに細く長いものが当てはまることから、同じ特性があれば艮の象とされるのです。
こうした発想はわたしの想像によるところが大半で出典が示せません。しかし、昔の人々が同じように想像しなかったのかといえばわかりません。重要なのは目の前の事実から一貫性や共通性があるかを見つけることで「文字で説明されてなければわかりません」では、発見という楽しみの半分も味わえないのではと思います。
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例祭:道祖神祭
当社について取り上げられるのは、なんといっても道祖神祭の日でしょう。概要は次のとおりです。
旧一月十四日。当社の道祖神は性神として近郷近在の人に信仰され、毎月旧暦十四日は道祖神様のお祭り日として参拝する人も少なくない。特に旧暦十四日には、紅白の餅で賜物(サヤリボウ)をつくつて参拝者に頒布する。お受けした人等は身上安全、縁結び、安産のお守りとして自宅の神棚に納める。全国的にも珍しい特殊神事で社頭賑ふ。
茨城県神社誌/茨城県神社庁
平成31年(2019年)から3月の第一日曜日に変更となりました。これまで平日に開催されることが多々ありましたので、足を運べなかった方は多かったことでしょう。今後はさらに賑わいそうですね。
祭りが本格的に賑わうのは午後からのようです。わたしが午前10時頃にお参りしたときには境内にトラックが入っており、拝殿の中もまだ準備中でした。
授与品の頒布はすでに始まっていましたので、混雑する前に「さやりぼう」や御朱印を授かりたい方は午前中に行ってしまうのがいいかもしれません。
拝殿はこのように前面に拡大されていました。夜になるとここで豆まきが行われます。追儺祭は迎春の行事なので旧暦の名残でしょうね。拝殿の中の様子はおそらくこうした祭りの機会でなければ見られません。
豆まきの様子はこちら。境内はぎゅうぎゅう詰め。ふだんの様子からは想像できない光景です!
なお、さやりぼうと呼ばれるのは授与所にあるこちらのお餅のことです。うーん、センシティブ。
価格によりサイズが変わるというシンプルな料金体系。500〜10,000円の間で5種類だったかと思います。
上のクラスだと「松」の飾りが付いてきます。松は木偏に公。公の旧字は「㒶」です。八白とは易において艮の象ですから、やはり当社の道祖神は艮の神なのでしょう。
艮は「丑寅」とも書き、方位では鬼門(東北)を意味します。丑の刻参りが行われるのも丑寅の時刻で、とかく「変化」が起きるとされることから、それを鎮めるために祭りが催されます。
丑の月は12月で寅の月は1月。丑寅とは大晦日であり、古くは追儺祭(おにやらい)が催されました。現代では節分のことですね。道祖神祭の豆まきはそうした背景に由来するのでしょう。
メモ:元宮
たびたび引用させていただている『下妻市史 別編』によれば、日枝神社に合祀された道祖神社は高道祖本田神取に本宮があるといいます。Googleマップで検索してみるとたしかにすぐ近くに道祖神社がありました。
同書には道祖神社の創建にまつわる伝承や遷座に関する奇妙な話があったのでご紹介します。まずは創建について。
嘉祥三年(八五〇)の創始と伝えられる。その昔男を慕ってきた旅の姫が、この地で死んだのが十四日だったので、毎月旧十四日夜村人は参拝を続けてきた。
下妻市史 別編
それがなぜ道祖神を祀ることになったのかよくわかりませんが、男女の不縁があったとされることから縁結びや性に関係が深い神が選ばれたということでしょうか。
ちなみに近くにあった「道祖の池」の水でわかした風呂に入ると神徳あらたか(!?)という噂があって境内に風呂が設けられたとか。それ大丈夫か。
そしてもうひとつのお話も同書から引用します。
大正五年に村当局の指示により、村社日枝神社へこの道祖神社の本殿が遷され、合併。本殿を遷す際、御神体の陽石がひとりでに転がり出した。これは遷されたくない神意であろうと、近くの古老が神棚に供え、ごしん入れの日を待ち望んだという。また合祀の先頭にたった駐在所の巡査は、その後狂死したといううわさがささやかれた。昭和の初めこのあたりで悪疫流行、これは神の祟りと、昭和六年地元の神取と新田(神田)両坪の有志の提唱により、「道祖神移籍保存会(神様略称さや保存会)」が結成された。趣意は「道祖ノ園設置奉納帳」に次のように記されている。「道祖神が日枝神社へ合併されてから十五年、その跡たるや、ここが神威おごそかな霊域であったことを想起せしむる何ものも存せず、その荒廃ぶりを氏子として目視するに忍びず、跡地に手を加え、道祖ノ園を設け、神苑としてまた児童遊園地として神徳を後世に伝えたい」と道祖神社は再建され、ごしん入れが旧二月十四日に執り行われた。
下妻市史 別編
巡査について穏やかでないことが書かれていますが、これはさすがに事実でない可能性が高いと思います。噂は同時代にあったはずなのに亡くなったこと自体が定かでありません。亡くなった理由もよくわかりません。
個人的には旧地を開発する理由のひとつとして噂が広められたのではと推測しています。もう真実はだれにもわからないことでしょうが、わたしのブログで誤解が広まっては困りますので取扱いは慎重にお願いします。
本宮は小規模ながら高道祖神社と同様の石像が並べられており、間違いなく同じ信仰があるとわかりました。数的にはむしろこちらの方が多いくらいです。
少し気になるのはこの五輪塔の空輪(宝珠形)に似たこちらの石像。これだけでなくいくつかありました。はじめは五輪塔のかけらかと思いましたが、周辺には残りの残骸が見えないのでこれ自体に意味があるように思います。
二段のものもあれば三段のものあったり。まるでとぐろを巻いた蛇のようにも見えます。そういえば蛇は男性のシンボルとされることもあるので何やら繋がりがあるのかもしれませんね。
ちなみに十二支の「巳」を六十四卦(八卦を二つ重ねた卦)で表現すると陽爻が6つ並ぶ極陽です。男性は陰陽のうち陽にあたりますから、極陽の巳もまた男性のシンボルであるわけです。
八卦の艮であったり十二支の巳であったり。道祖神は本当に複雑ですね。
御朱印
高道祖神社の御朱印です。わたしが知る限り、これをいただけるのは例祭の日のみ。つまり毎年3月の第一日曜日です。
たいへん珍しいお祭りの日に受けられますので、季節になりましたらぜひ思い出していただきたいですね!
・日枝神社と道祖神社が合併して誕生。ご祭神は6柱
・毎年3月第一日曜日に道祖神祭を催す。以前は旧暦の1月14日だった
・御朱印は道祖神祭の日だけいただける
茨城県神社誌|茨城県神社庁
茨城県の地名|編:平凡社
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。