wata
- 堀出神社の由緒、ご祭神
- ほしいも神社の由来
- 御朱印のいただき方
この記事ではひたちなか市の堀出神社と境内社のほしいも神社をご紹介します。ご神体が掘って出たから堀出神社!そんな洒落のきいた神社なのです♪
堀出神社とは
由緒
ご祭神は誉田別命です。応神天皇の和風諡号が「誉田別命」なので同一ということですね。
誉田別命は八幡宮(八幡神社)に祀られていることから親しみを込めて「八幡さん」と呼ばれ、堀出神社も地元での呼び名は「八幡さん」だそうです。
ただ、ご祭神の由来はとても気になるところ。由緒には「磯前明神の本体」とありますから、少彦名命や大名持命(大国主命)のことかと思いますが。。誉田別命と一体どういう関係??
また、公式サイトによるとご神体の鏡は徳川光圀公が塚から掘り起こしたとか。でも、同サイトの由緒だと水戸藩の役人が掘り出している。。細かいことを言っても仕方ないですね。
創建の経緯の詳細にご興味を持たれましたら、以下をクリックしてご覧ください。
寛文11年(1671年)8月13日、岡見伝五右エ門尉吉高(14才)の記した由来記によると、磯崎大明神(酒列磯前神社)をはさんで前浜、平磯両村の境界論争がつづいたので、寛文3年(1663年)8月13日、岡見弥次右衛門尉吉為、前浜村庄屋弥右エ門、組頭太郎右エ門等検分途中、路中吹きはげの所に備前焼で忌垣二重に囲い内くぼみになっておる処を見つけ、案内にそこを掘らせたところ、石廊あり、中から刀、折れた脇差、槍、鉾3枚、矢の根、具足、州枚形からがね2枚、天目などが発見された。
この品々はさっそく水戸城中へ送られ、詮議の結果「磯前明神の本体であろう」と結論されたので、前浜村鎮守を望む地元の意向をくんで、岡見吉為が小社を建てた。
その後同11年正月、寺社奉行北河原甚五右エ門、山県源七、横田庄三郎等のはからいで水戸藩の許可を得、同年8月13日に社殿造営竣功し、遷宮式が厳修されたという。神体の御神鏡は藩主光圀公の奉納。古墳の発掘されたところは現在不明であるが、町内小池親氏神に堀出宮神魂石という石が祭られている。
由緒沿革/堀出神社(公式サイト)
アクセス
車の場合、東関東自動車道路のひたち海浜公園ICを下りて約り5分。駐車場は充分な広さが用意されています。
電車だとひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅を下りて徒歩2分。意外と本数があるので実用的ですよ!
名称 | 堀出神社(境内にほしいも神社) |
---|---|
住所 | 茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町178番地 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
鳥居
神社の入口は北、西、南の三方向。そのうち西と南には鳥居が建てられています。写真は西側の鳥居です。
ところで、鳥居の右手の方にあるのは案内板です。すっごく可愛いと思いませんか?地域活性化のためのプロジェクトで『いばらきデザインセレクション』に選定されているんです。
ここに限らず市内の観光スポットにありますので、ぜひ見つけてみて下さい♪
ちなみに南の鳥居がこちらです。「村社」の社号標があり、鳥居の先の参道沿い手水舎が置かれていることからこちらが本来の入口なのかも。
新しく道路が引かれ、この周辺に駐車場が設けられないことから西鳥居がメインになったのでしょう。
社殿
鳥居をくぐり数十メートル歩けばすぐに社殿が見えてきます。写真左手は駐車場があり、そこから大海原が望めます。晴れの日の参拝はとっても気持ちいですよ♪
入母屋造の拝殿は鎮座300年を記念して平成8年(1996年)に新築されました。柱の色が若々しくてなんだか干し芋っぽい。
この狛犬、かなり強そう。わたしは好きです。対になっている「阿」の方は大きく欠けていて顔がよくわからなくなっているのが残念。
本殿は拝殿と同時期に修繕されました。彫刻をよく見ると波を模しているので「港町っ!」って感じがします。
当社は光圀公の時代に創建され、光圀公自身とのゆかりがあると言われています。そこで思い出すのが光圀公の「八幡改」や「八幡つぶし」と呼ばれる政策。
理由としてよく言われるのが「佐竹氏との関係が強く、神仏習合の要素が強いため光圀公は八幡神社を嫌った」というもの。その時代に「八幡さん」の堀出神社が創建したのは興味深いところです。
わたしは光圀公の考えを「氏神は鎮守にしない」と捉えています。佐竹氏の氏神である八幡神は佐竹氏と関係のない人々の神にしない、という意味です。佐竹氏は秋田に移りましたからね。
光圀公は多くの神社があるより統合して祀るほうが信仰を維持できると考えたのではないでしょうか。それも無理やり神社を廃するのではなく合祀したり、境内社とするなど穏便な形をとって。
そのため、もし領民が揃って「八幡さまを鎮守にしたい」というなら禁止しなかったと思うのです。どうして八幡さんなのかは明らかでないですけどね。
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ほしいも神社
堀出神社の社殿の左手に進むと令和元年(2019年)に創建されたほしいも神社が鎮座しています。
ひたちなか市では明治41年(1908年)に干し芋の製造をはじめ、昭和30年(1955年)頃に生産量が日本一に。現在では全国の干し芋の8割を占めているのだとか。まさに干し芋タウン!
わたしが普段食べていた干し芋もほとんどはひたちなか産だったのでしょうね〜
神社創建のお話は以前から耳にしておりましたが、創建から1年以上経っての参拝。噂通りの。。圧倒的な鳥居の数。鳥居の色もユニークでいいですね。
ほしいも神社は鳥居や社殿など全額寄付によって建てられたのだとか。すごいな〜!
創建の経緯は水戸経済新聞に次のようにありました。
「ほしいも神社」は、掘出神社の宮本正詞(まさのり)宮司が、3年前に発案。干し芋の分析・研究などを行う「ほしいも学校」の小池勝利理事長、同市商工会議所の鈴木誉志男名誉会頭の協力を得て、今年5月から話を進め、完成にこぎ着けた。神社のコンセプトやデザインは、大手メーカーの商品デザインや、NHK教育テレビ「デザインあ」の総合指導など、多岐にわたって活躍するデザイナーの佐藤卓さんが手掛けた。
ひたちなかに黄金色の「ほしいも神社」 生産地1位生かし聖地目指す/水戸経済新聞
記事にある創建当初の写真を見て気づいたのですが、鳥居が増えています!稲荷神社のようにご利益をいただいた方々が奉納したのかもしれませんね。
ご祭神には干し芋作りに貢献した以下5名が並びます。
- 小池吉兵衛
- 宮崎利七
- 湯浅藤七
- 大和田熊太郎
- 白土松吉
加えて、笠間稲荷神社から分霊された宇迦之御魂神もご祭神です。魅力度ランキング1位を目指し、令和元年11月11日午後1時に分霊を行ったのだとか。
社殿は一般的な神社と同じ。賽銭箱にあるのは神紋ですね。丸に星(いも)、星に「しわ」で干し芋をイメージしているそうです。
パンフレットによるとご利益は「ホシイモノは総て手に入る」。本家の稲荷のご利益を超えてますねぇ。。
創建の工事の途中、偶然見つけたといわれるご神木。樹齢380年の夫婦杉になっているそうで子宝、縁結び、夫婦円満などのご利益が得られるとか。
これまでの堀出神社はあまり知られておらず厳かな雰囲気でしたが、令和になって一気に観光地化しましたね。この日も若い方々が多く参拝していましたので大変良きことかなと思います♪
御朱印
堀出神社とほしいも神社の御朱印です。ついでに新たに頒布された御朱印帳もいただきました。
御朱印はいずれも書き置き(コピー)でシールタイプとなっています。シールの御朱印は県内で初めて見ました〜!
まとめ
この記事のまとめ
- ご神体が掘って出たことで堀出神社と名付けられた
- 令和元年、境内にほしいも神社が創建された
- 御朱印はシールタイプ。境内の社務所でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。