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近津神社の中田植をご紹介できます!
できます、というのは正直見るのが大変だからです。中田植は夏至にありますので土日とは限りません。そして雨天決行。
県南に住む者にとって大子町はもっとも遠い地域。。とにかく貴重で大変ありがたいおまつりです。
神社の面白い由緒や伝説もご紹介しますので、ぜひお参りの参考にしてくださいね。福島の近津神社や都々古別神社との関係も気になるぅ。。
近津神社とは
近津神社は大子町の下野宮に鎮座しています。創建は慶雲4年(707年)、旧社名を石都々古和気神社といいました。
大子町は上野宮と町付(中野宮とも)にも近津神社があって合わせて近津三社と呼ばれます。
もともとの近津三社とは福島県の都々古別神社(棚倉町馬場)と八槻都々古別神社(棚倉町八槻)にこちらを加えたものなんですけどね。近津=都々古別です。
パンフレットに載っているのはここまでなのですが、大子町の郷土史などで調べると興味深い伝説を発見しました。次のようなことです。
名だたる武将が戦勝祈願。陸奥国(奥州)の戦いと深い関わりがあるようです。
この伝説だと創建は日本武尊。慶雲4年は創建ではなく造営で霊鏡・霊剣・霊鈴を賜った年となっています。
ご祭神は面足大神、惶根大神、級長津彦大神です。
面足大神と惶根大神は神仏習合の時代に第六天魔王として修験道から信仰されていたとか。あまり語られませんが、大子町と修験道はとても深い関係なんです。
近津神社の由緒についてさらに知りたい方はりんさんのブログをご覧ください。なにを隠そう、この日境内を案内していただきましたらね!
情報元はおそらくわたしも読んだ大子町史など。さすがに社伝にある藤原富得の鬼退治の話はありませんけどね。ふふふ。いつかわたしが書きましょう。
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下野宮、中野宮(町付)、上野宮の近津神社は水戸藩に組み込まれる際に「近津三社」と呼ばれるようになりました。東国三社のように合わせてお参りする慣習があり、戦中は遠くからいらっしゃる方も多かったそうです。
社殿
社殿は天保4年(1833年)に建立されたといわれます。光圀から斉昭の時代は作り変えるたびに水戸藩から木材を寄進されたといいます。
絵に描いたような神明造りの本殿。見事ですよね。近津三社はご祭神も本殿の造りもすべて同じです。
ところで、大子町史によると水戸藩の開基帳(1663年)には近津神社(近津大明神)について少々不思議なことが書かれているようです。
当時は近津大明神と呼ばれていて下野宮、中野宮、上野宮に三社あったとのこと。ここまではわかるのですが、神社のパンフレットには町付と上野宮への分祀は元禄年間(1688〜1703年)と。あれれ??
どちらかの書き間違えでしょうか。それとも、元禄に分祀される前からなにかお祀りしていたのでしょうか。
開基帳には下野宮も含めて奇妙なほど近津大明神の情報が少ないんですよね。そこにあったのは本当に近津大明神?。。興味ある方は図書館へGO!
開基帳の調査の結果、大子から54の寺がなくなっています。ただし、すでに住職がいなかったり活動をしていない寺も多くありました。
鉾杉と都々母杉
境内の巨木は源義家(八幡太郎)の伝説付きです!
社殿の左手に見えるのが鉾杉です。奥州征伐に向かう義家が鉾を立てかけたといいます。
樹齢1300年。樹高50m、根周囲12.5m。昭和6年(1931年)に県の天然記念物に指定されています。圧巻のサイズ。大杉神社のご神木より大きいです。。
その少し手前(写真右)にあるのが都々母杉。こちらは義家のお手植えといわれています。
はしかくぐり
境内の神馬の模型(木彫り)は面白い伝承があります。
なんでも馬の口に寒竹(冬の竹)を咥えさせて、お腹の下をくぐるとはしかにかからない、あるいは軽くすむそうです。
茨城県ってむかしは馬の名産地だったんですよね。戦にも欠かせませんから、神のように大切な存在だったのでしょう。
神馬は酒列磯前神社(ひたちなか市)や大宝八幡宮(下妻市)などが有名ですよね。そちらは白馬ですが、こちらは真っ黒。。
ちょっと珍しいと思って調べたら、有名な武将が大子町産の黒い馬に乗った伝説がありました。上野宮の近津神社と関係ありますので、そちらでご紹介します。
中田植
この日のメインイベント。中田植を簡単にご説明します。
中田植は、下野宮近津神社で毎年夏至の日に行われる田植祭です。夏至の日は二十四節気の中に当たり、昔の田植え時期のほぼ半ばであるところから、中田植の名があるといわれています。
この田植祭がいつ頃から行われているのかはっきりしませんが、かつては水戸義公(徳川光圀)寄進の神饌田に植える習わしであったと伝えるから、江戸時代前中期にはすでに行われていたものと思われます。その後、神饌田はより拡張されたといわれています。
近津神社の中田植/大子町公式
中田植は田植えを終わらせる目安でもありました。無事に田植えを終えたことを田の神に感謝してお祝いする日(さなぶり)です。
この日はあいにくの雨でしたが、非常に多くの方々が見物にいらっしゃいました。今年(2019年)の夏至が土曜日だったこともあるでしょう。
到着したときは神職、早乙女、お囃子の皆さんが祈祷のために拝殿に出発するタイミングでした。参道には溢れんばかりの見物客!
正直、よく見えなかったのですが、手水舎のあたりでも祈祷があったようです。拝殿のご祈祷はいつもだとすぐに終わるそうですが、この日は大雨のせいか少し長めだったとも。
11時頃に神饌田へ移動。早乙女はお祓いを受けるとお囃子に合わせて田植えをスタート。早乙女の衣装は浅葱の襦袢、赤襷、赤いもんぺ、菅笠と決まっています。
15名の早乙女が一列になって一斉に田植え。ぬかるんでいるし雨だしちょっと大変そう。若い子たちははじめはぎこちなかったですが、どんどん慣れていって素早く植えていましたよ♪
実際の田植えは雨でも作業しますから、日々の食事にありがたさを感じますね。
中田植が終わると境内で餅まきや汁物の配布がありました。あぁすごくいい香りでした。。(都合でいただけなかった)
社務所には早乙女や関係者が集まって直会をしているようでした。いまでは数少ない近津神社の賑やかな時間。この先も見守り続けていきたいですね。
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2013年に中田植保存会が発足。翌2014年に『近津神社の中田植』として大子町指定無形民俗文化財にとなりました。
駐車場
駐車場は神社の向かいにある旧下野宮中学校の校庭です。かなりの広さでしたが、雨天にも関わらずお祭りが10時には一杯でした。
少し離れたところにも駐車場があるようでしたので、混んでいても誘導員から話を聞いてみましょう。
御朱印
近津神社の御朱印です。初穂料は各300円。
右側が今回ご紹介した下野宮、左が上野宮のものになります。上野宮につきましては後日ご紹介します。
社務所でいただけますが、お正月とお祭りのときだけのようです。
アクセス
名称 | 近津神社 |
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住所 | 茨城県久慈郡大子町下野宮1626 |
駐車場 | あり |
まとめ
大子町の近津神社は三社あります。その中でも下野宮の近津神社はもっとも古い歴史を持っています。
毎年、夏至になると中田植が執り行われます。15名の早乙女が田植えを行い、田の神に感謝する神事です。
前日には宵灯篭もあって幻想的な景色が広がります。来年(2020年)の夏至は土曜日です。ぜひ足を運んでみてください♪
大子町史/大子町史編さん委員会
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
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