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- ご本尊と由緒
- 「犬塚薬師」について
- 御朱印のいただき方
桜の開花時期はその年の気温によって決まるものですから、同じ品種であれば基本的には北にあるほうが遅く咲きます。なので南北に移動すれば少しだけ長めに桜を楽しめるんですよね。
枝垂れ桜はエドヒガンという種類の変異です。エドヒガンは名前にあるように(春の)彼岸の頃に開花しますので茨城では3月中旬から下旬にかけて話題になることが多いかと思います。
しかーし!県北となると、それから少しだけ遅れますので4月上旬になっても枝垂れ桜が咲いていることが少なくありません。見逃した方にも楽しめる仕様となっております。ありがたいですね。
今回は常陸大宮市の上檜沢にある満福寺をご紹介します。見事な枝垂れ桜のあるお寺ですので、「お花見に出遅れた!」という方はこちらで再チャレンジしてみてはいかがでしょうか。
満福寺とは
由緒
※『開基帳』による
ご本尊は大日如来です。真言宗としてのご本尊ですので一般的といえるのではないでしょうか。
当寺の歴史はいくつかの説があって定かでありません。概ね共通して語られるのは、満福寺はもとは下檜沢にあって、江戸期の水戸藩の寺社改革の際に破却となった浄因寺に代わって上檜沢に移ってきたというものです。
水戸藩が藩内の寺社の由緒を調査した『開基帳』には上記の旨が記載されており、補足すると大原(下檜沢)の鍛冶師であった岡崎五朗左衛門が招いた宥真法印によって享徳3年(1454年)に開山したとあります。
当寺の山号が「大原山」で、今も下檜沢に大原家があるということから考えると、ここまではかなり確度が高いと思います。満福寺の公式サイトに大原家のことはありませんが、移ってきたことは記載されています。
また、『開基帳』は「大原山と改号した」とあるので、それ以前にも別の山号で寺院があったと読み取れます。文政11年(1828年)に満福寺住職が書いた由緒書によると、それが禅宗の浄因寺とのことですが、不確かです。
同書によると真言宗として顕祐阿闍梨によって中興されたのが応永18年(1411)。『美和村史』はこれについて「満福寺の前身の話に、禅宗時代の浄因寺の状況が混入されてしまっているようにみえる。」としています。
浄因寺については記録がないため不詳ですが、同寺の梵鐘に暦応2年(1339年)に源義長(佐竹一族・中賀野氏)が大檀那となって製作されたと刻まれているので、満福寺より古いことはたしかです。
満福寺と浄因寺は本末関係といわれていますが、どちらが本寺であるかは文献によります。『開基帳』では満福寺、満福寺の公式サイトでは浄因寺が本寺です。後者は前述の住職の由緒書によるのでしょう。
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アクセス
最寄りICは常磐道の那珂IC。下りてから約40分。距離にして32kmほどです。県民でもさすがにこれは遠いなと感じますが、常陸大宮市には寺社の名所が多数ありますので、行くならあわせて巡りたいところ。
駐車場は山門の先に用意されています。桜はお彼岸の時期よりも遅く咲くので満開の頃でも混雑はしていませんでした。ありがたいことです。
名称 | 大原山 常楽院 満福寺 | |
---|---|---|
住所 | 茨城県常陸大宮市上檜沢112 | |
駐車場 | あり | |
Webサイト | 公式サイト |
山門
お寺から少し離れて位置する山門。本来は境内に位置する薬師堂のもので、お寺の山門というわけではありません。山門隣の柱には「市指定文化財」とありました。
再建された薬師堂に対してこちらは修復を重ねて現在に至ります。『広報常陸大宮』の平成23年8月号では次のように紹介されていました。
屋根の部分は寛政期(十八世紀末から十九世紀初め頃)、屋根より下の部分は戦国時代末の天正期(十六世紀末)頃のものと推定されます。
切妻の屋根は板葺だったものを、現在はトタンで覆っています。また屋根の下の垂木は繁垂木で、古い形式を残しています。門などの見どころのひとつである蟇股(木組を支える部分)には猿面が彫られ、他では見ることのできない珍しい造りとなっています。猿には古来、魔除けの意味合いがこめられていたためでしょう。
猿面は山門脇の2ヶ所に見られます。まるで梁(横向きの柱)を咥えているようで面白いです!
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枝垂れ桜
山門に差し掛かった段階で目を引く満福寺の枝垂れ桜。新しく建てられた鐘楼堂と並んでなんとも美しい景観を生み出しています。
南面する本堂に対して右手前に桜を置くのは紫宸殿の左近の桜と同じですね。この配置は相対的に桜が東にあることを意味します。東は古来から生気が生じる方位とされておりますので名桜にふさわしい配置かと思います。
高く伸びた幹から全方位に垂れた枝が根本より下まで伸びています。大きく広がった淡い桃色が別世界を表現しているよう。植物はさまざまあれどこれは桜以外では見られない光景ではないでしょうか。
公式サイトには樹齢約80年とありますが、更新されたのはだいぶ前(サイト自体は2010年から)。プラスαといったところでしょう。若いだけに花つきがよく、美しさを後押ししています。
当寺の場合はお釈迦様の誕生日すなわち4月8日の花まつりの頃に見頃を迎えるのだとか。撮影日は2022年の4月9日。彼岸同様に地元の方々が集まる時期にあわせて咲くのがなんともありがたいではありませんか。
梵鐘
満福寺は江戸期に破却となった浄因寺の跡地に移ってきました。梵鐘はそのままありましたので満福寺で引き継ぐことになりましたが、幕末の水戸藩主・徳川斉昭公の「毀鐘鋳砲ノ令」によって持ち去られてしまいます。
梵鐘には紆余曲折あったようで、今ではひたちなか市の華蔵院に渡っています。こちらはその鐘を模して鋳造されました。新造されたはずなのに古くからあるような印象を受けるのはそのせいでしょうか。
満福寺は浄因寺の信仰を引き継ぎましたので、浄因寺の鐘はその証のようなもの。檀家の中でも必要とする声が大きかったのかなと思います。
ちなみに華蔵院(浄因寺)の梵鐘は昭和49年に県指定文化財となっています。いみじくも華蔵院は真言宗智山派の寺院で本尊は大日如来です。
戒珠山 密厳寺 華蔵院|由緒・御朱印・猫の伝説|ひたちなか市
本堂
平成期に再建された本堂は非常に立派なお姿です。寺社といえば古くて歴史を感じるといったことも魅力ですが、各時代の信徒が良いと思える建物にご本尊をお祀りするというのも大切なことかと思います。
寺紋は梅紋が目立ちますが、大棟の中心にあるのは「丸に二つ引き」と呼ばれる引両紋。足利氏との関係があるかもしれないといった考え方もあるようですね。
満福寺の犬塚薬師
境内の薬師堂には不思議な民話が伝えられており、「犬塚薬師」とも呼ばれています。
満福寺の公式サイトからその民話の一部を引用します。
鎌倉に幕府があった頃、鎌倉の建長寺に住んでいたお坊さんが隠退して浄因寺にやってきました。お坊さんは幕府の執権・北条氏ゆかりの人で、鎌倉との連絡役に犬を使い、犬に手紙を持たせてたびたび往復させていました。
あるとき、鎌倉に急ぎの用件ができたお坊さんは、いつものように犬の首に文箱を結びつけると「この手紙を大至急鎌倉まで届けておくれ。今回は特別急ぐ用事なので必ず明日中に戻ってくるのだよ。」と犬にいいきかせました。
犬はすぐに鎌倉をめざして出発しました。昼も夜も休まずに走り続け、鎌倉に到着して無事用事を済ませると、すぐに帰路を急ぎました。
次の日の昼ごろにやっと村にたどり着いた犬は長い距離を休まずに全力で走ったため、寺まであと一息という高岡の坂で力尽き死んでしまいました。
お坊さんと村人たちは、この忠義な犬をあわれに思い、手厚く葬りました。
やがて、その犬の亡がらを埋めた塚(墓)にある辺りを「犬塚」という地名になりました。(現在満福寺のある台地周辺を指します。)
その後、鎌倉の執権から「大変立派な犬だったので、これから犬神として祭れ」との上意があり、犬塚薬師として浄因寺(現在の満福寺)に移されました。
犬塚薬師/満福寺(公式サイト)
冒頭に「鎌倉に幕府があった頃」とあるので鎌倉時代の出来事なのでしょう。
ここさいきんは当寺が位置する常陸大宮市の寺社をブログにしていて気づくのは、吉田八幡神社(小田野)、諏訪神社(高部)など、鎌倉期の佐竹氏に関係を示すものが多いことです。
それも単なる伝承にとどまらず、ご神木や棟札、そして当寺の梵鐘のように物証が伴っています。今から700年〜800年ほど前の出来事なのにすごいことですよね。他国であれば国自体ないのがほとんどですから。
なお、上の物語は『水府志料』にもう少し詳しくあって、それによると犬塚薬師と呼ばれる前には犬塚権現と呼ばれており、犬が知らせたのは弘長2年(1262年)に奥州那須で起きた乱についてです。
興味深いのは、前述の吉田八幡や諏訪と同様に那須とのつながりが見えることですね。前者は同社で戦勝祈願した三浦大介が九尾の狐を那須で退治した伝説があり、諏訪には那須の僧が社殿再建に関わったと棟札にあります。
現常陸大宮と那須と佐竹氏。それらは「鎌倉時代」で通じるものがあります。このあたりの寺社巡りをするにあたって面白いキーワードになる気がしますので、ぜひ頭の片隅においていただければと思います。
薬師堂は山門を直進した先にあります。薬師堂は本堂と同時期に再建されましたが、安置されている薬師像は鎌倉期の作といわれています。堂内は暗いもののお姿はしっかり拝観できます。
高さ71cmでほぼ人間の等身大の坐像。広報誌によれば平安から鎌倉期に活躍した仏師の一派「院派」を感じさせる作風だとか。大きめでどっしりしたフォルムなので個人的には重厚さを感じました。
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犬塚権現と薬師堂は元来別物でいつしかひとつになったとする説があります。
上檜沢の「ナキダイラ(仲平)」、「箱地」の地名も民話に由来するといわれます。箱地の箱は犬が首からぶら下げていた文書を入れる箱を指します。
御朱印
満福寺の御朱印です。ご住職が不在とのことで書き置きを頂戴しました。
本堂右手にある庫裏でお声掛けください。
まとめ
この記事のまとめ
- ご本尊は大日如来。江戸時代に下檜沢から当地上檜沢に移った
- 犬塚薬師は鎌倉時代の忠犬にまつわる民話に由来する
- 御朱印は本堂右手の庫裏でお声掛けしていただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社
美和村史/茨城県美和村史編さん委員会
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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