wata
- 由緒とご祭神
- 五行説における五十猛命
- 御朱印のいただき方
五十猛命を知らない方は多いハズ。素盞嗚命の子供というのは立派なことですが、いかんせん記述が少ない。『日本書紀』にちょろっとあるだけ。
茨城県内でお祀りしているのは、おそらく今回紹介する城里町の青山神社だけだと思います。(境内社以外)
非常にレアな神様ですし青山神社は式内社ですから、これはもうぜひ参拝してみて欲しいですね。憶測混じりですが可能な限り詳しくお伝えしますよ!
式内社は平安時代に編纂された『延喜式』に記載のある神社で千年以上の歴史があるとされます。
青山神社とは
由緒
※遷宮説もあり
※圭田一石八斗三合寄進、後に斉昭公が五石七斗五升五合に加増
ご祭神は五十猛命です。境内の立て札では「いたける」の表記が混在しています。そちらは分霊元とされる伊太祁曽神社(和歌山県)に由来するようですね。
また、同神について以下のように説明されています。
由緒沿革
五十猛命は、素盞嗚命の御子でまたの名を大屋彦命といい、御母は、大夜之神である。五十猛命は、父君に従って神羅の国(韓国)に渡り、杉、桧、樟等の八十木種と播種された後、その樹種を持ち帰り、筑紫(九州)の島より、広く大八州の国々に播種された。山林はうっそうと茂り、貴重な用材となった。爾来、五十猛命を有功う社名と地名も、御神徳より出たものと伝えられている。
境内由緒書
上記は『日本書紀』の記述がベースとなっており、「大屋彦命」は『古事記』の記述と結びつけたもの。茨城県内ではほとんど目にすることがありませんが、全国的には林業の神とされているようです。
正史と延喜式に社号の記載があることから、極めて古い神社であることは間違いありません。ただし、社記の焼失により詳しい由緒は不明。そのため中世は鹿島明神や若宮八幡宮と呼ばれた時期がありました。
鹿島は当地を支配していた大中臣姓那珂氏の影響、八幡宮は那珂氏退転後にやってきた佐竹氏によって祀られたといわれています。『新編常陸国誌』によればかつて神体は八龍神型だったとか。
それを往古の社号に戻したのが水戸黄門。同時に祭神も五十猛命に戻ったということのようですが、延喜式などには祭神まで書かれていないはず。青山神社と五十猛命との結びつきはいつ頃なのか気になりますね。
wata
アクセス
最寄りICは常磐道の水戸北IC。下りてから約15分です。
駐車スペースは県道61郷沿い(日立笠間線)にあります。かなり広いので安心して駐車できるでしょう。
駐車場は社殿よりも近くの上青山公民館(茨城県東茨城郡城里町大字上青山436)を目指すとわかりやすいですよ。
名称 | 青山神社 |
---|---|
住所 | 茨城県城里町上青山229 |
駐車場 | あり |
鳥居
通り沿いで非常に目立つ鳥居なので、知っている方は多いかもしれません。
ただし、この先に行こうとする方はごく僅かでしょう。正直、先がよくわかりませんし式内社でもなければ敬遠しちゃうかも。。
非常に長い参道。320mほどあるのだとか。地面には木の根やタケノコが生えておりますので意外と険しい道程だったりします。さすが林業の神の神域。
ちなみに『茨城県神社誌』には由緒書の後半に「木の国の大神を分霊した」とあって、これが紀の国の伊太祁曽神社から分霊したとする説に繋がっているようです。
当社の境内は「アジサイの杜」ともいわれています。わたしが参拝した6月中旬はまだまだといったところ。本当にアジサイあるのかなと思ったくらいですが、『茨城VRツアー』ではなかなかのものでした。
二の鳥居
二の鳥居は平成15年に建立されたそう。苔のせいなのか緑がかっていてかなり古そうに感じますね。
現在は行われていませんが、当社には高祓と呼ばれる特殊神事がありました。この二の鳥居はそのちょっとした舞台となっております。概要を『茨城県神社誌』から引用します。
高祓
旧九月二十九日秋季例祭の午前一時、丑満時に久保田、川又両家の二人の「巫女」によって奉仕される重儀。拝殿内で神前の儀がすむと神職の先導で本殿の開扉、つづいて注連縄と細竹を手に暗闇の参道を進み、二の鳥居の処で口にくわえた紙をすてる。神職ここで本社へもどる。みこと付人は大声で「ホーイ」「ホーイ」の合図をしながら第一鳥居に進む。更に田園道を凡そ三丁、志女津久志の元宮跡の神木杉へ注連縄をはる。はり終わると大声で「ホーイ」「ホーイ」と神社に合図する。合図にあわせてお神楽奏上。みこと付人は神社にもどり草履の鼻緒を切ってはきかえ全く神事を終える。
うーん、ミステリアス。神事の主役はおそらく巫女。社殿内の儀式が終わると注連縄で結界をはりつつ社殿を離れていくようです。まるで巫女の後ろに「なにか」がついて来ているよう。
二の鳥居は口に加えた紙を捨てる場所。神職がそれを見届けて社殿に戻るということは、それまでになにか起こる可能性があるということなのでしょうか。色々と意味深です。
「志女津久志」はおそらく「シメツクシ」と訓み上青山の小字のこと。境内南の田んぼの中に元宮跡があったようで今でもその場所だけ人が人の手が加えられていません。基本的には禁足地なのでしょう。
実際に行ってみたところ神木らしきものはありませんでした。もし「元宮跡はそこじゃないよー」という方いらっしゃればぜひ教えて下さいね。
wata
社殿
雰囲気満点の拝殿。手前の地面が赤っぽいのはカーペットらしきもの。2019年に参拝したときはそこそこ赤かったのですが。。雨のせいもありますしね。
拝殿の扁額にあるのは「神霊清天壌」。神霊が天壌(天地)を清めるという意味ですね。同様の扁額は同町の阿波山上神社と高根の鹿嶋神社にもかけられています。
本殿は神明造。男千木で鰹木は五本です。雨に濡れて存在感を増しているようでした。
本殿裏手の境内社は八幡神社(祭神:誉田別命)と天王宮(祭神:素盞嗚命)。たしか八幡が丑寅、天王宮が戌亥にあったような。。逆はよく見かけるんですけどね。
御朱印
青山神社の御朱印です。本務の水戸八幡宮(水戸市八幡町)でいただけます。
書き手によって印だけであったり筆が入ったりと色々なようです。どんな仕上がりになるかはお楽しみということで。
少し前まではあまり公に対応していなかったようですね。わたしは念の為電話してからいただきました。
五行説で読み解く五十猛命
最後になりましたのでいつものように五行説を用いて五十猛命について読み解いてみたいと思います。
五行説は中国の古い哲学です。漢字と同時代に日本に伝来したとされ朝廷をはじめ日本人の民俗に大きな影響を与えました。簡単にいえば万物を五気(水木火土金)に分類してその関係を説明する思想です。
昔の人は五気が法則に則っていることが好ましいとしましたので、今でいう風水のように配置や行事、さらには歴史書などにも取り入れられました。
日本最古の神様の記述は『古事記』や『日本書紀』とされますが、それより古い時代に伝わった五行説は少なからず神々の神格や神話自体にも影響を与えているのです。
さて、五十猛命は素盞嗚命の子供であり、林業の神とされています。植物に関係が深い神様ですから、単純に考えれば五気のうち木気との繋がりが思い浮かびます。
しかし、五行説には「相性」という関係があります。これはいわば気の親子関係で木気は水気から生まれるという法則(水生木)があるのです。つまり、植物の生みの親であるなら木気ではなく水気に属します。
そこで興味深いのが、当社の分霊元といわれる伊太祁曽神社の由緒です。公式サイトから一部引用します。
伊太祁曽神社についての具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝2年(西暦702年)です。
神代のことはわかりませんが、伊太祁曽神社が現在の社地に静まります以前には、日前神宮・国懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかがすじんぐう=通称:日前宮にちぜんぐう)の社地にお祀りされていたようです。
日前宮のご鎮座が垂仁天皇16年と伝えられていますので、その頃に山東(さんどう=現在の伊太祈曽)に遷座せられたようです。
しかしその場所は現在の社殿のある場所ではなく、南東に500mほど離れた「亥の森」と呼ばれる所でした。
現在も田んぼの中にこんもりした森が残っており、いかにも神奈備の様相を呈しています。
亥の森は旧社地として、小さな祠を祀っており毎年旧暦十月初亥日に「亥の森祭」が執り行われます。
神代から古代
「亥の森」に鎮座していたこと、祭りが旧暦十月亥日にあるのは重要ですね。
五行説で十二支を分類すると旧暦十月は亥月であり水気のはじまりの月。その亥の日ですから五十猛命は亥(イノシシ)と関係が深いとわかります。
亥は木気の三合のはじまり、さらに寅との組み合わせ(支合)で木気に変化しますので、考え方によっては木気の神様といえるかもしれませんね。
続いて青山神社の創建はといえば旧暦九月二十九日、祭の日も同じです。これは旧暦戌月の末日ということで、戌月と亥月の間、あるいは両方を指す「戌亥」が意識されていると思います。
戌亥の神といえば八幡神が有名ですが、わたしが思い浮かべるのは『古事記』でヤマトタケルの前に立ちふさがった伊吹山の神。伊吹山はヤマトタケルがいた尾張国の西北(戌亥)にあり、神の姿は白いイノシシでした。
イノシシは十二支の亥、白は金気の色ですから「戌」の存在を示しているのでしょう。伊吹山の神は戌亥の神であり水気(亥)と土気(戌)を兼ね備えていたことになります。
五十猛命はそのご神徳から水気、神号から土気があると読み取れます。神号の「五」は土気の生数、「十」は同じく土気の成数です。別名の「大屋彦命」の「屋」は八卦の「艮」に配当され、その方位(東北)が九星の八白土星にあたることからやはり土気を意味します。
土気は配当表の通り各気の間に位置する「つなぎ」の存在。大屋彦命が『古事記』で大穴牟遅神を道案内したのも土気の存在ゆえかと思います。
ちなみに同じように神話で道案内をした猿田彦命も土気に属します。同神の故郷は五十鈴川の周辺。五と十を含む地名は土気にとって好ましいのでしょう。
土気の本性は稼穡(種播と収穫)です。土気単独であれば農耕神ですが、木々を生み出す水気を含むことから林業の神として祀られるようになったと考えられますね。
また、土気は「土剋水」の法則により水気を鎮めるとされますので航海安全や大漁のご神徳に繋がります。「土生金」の法則で金気を生むとされることから商売繁盛といったことも期待されたかもしれません。
話をまとめると五十猛命は「戌亥」の神。植物(木気)を生み出す存在であり土気の特性も備えています。
五行説で五十猛命の神格について推理してみましたがいかがでしょう。こうした背景をもとに各地にある五十猛命を祀る神社を巡るとさらなる発見があるかもしれません。ぜひ参拝にお役立てください!
wata
まとめ
この記事のまとめ
- 青山神社は式内社。江戸時代に水戸黄門によって復された
- 五十猛命は林業の神。五行説では山の神ともされる
- 御朱印は本務の水戸八幡宮でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
この記事で紹介した本はこちら
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。