wata
先日、お友達に筑西市の船玉神社の竣工式があるよと教えてもらい初参拝してきました。同社は東日本大震災により社殿が倒壊してしまい、それから10年をかけて再建に至ったのでした。
船玉(船魂)信仰に基づくユニークな神社なので、ぜひ広めねばと記事にまとめてみました。ご参拝の参考になれば幸いです♪
由緒
山城国八幡宮及び船玉神社を合わせ祀る
将軍徳川家光より朱印地5石を賜る
※船玉古墳の上に遷座したと考えられる
東日本大震災により社殿倒壊
ご祭神は以下の通りです。
- 誉田別命
- 底筒男命(住吉三神)
- 中筒男命(住吉三神)
- 表筒男命(住吉三神)
住吉三神は伊耶那岐命の禊によって生まれた水神と考えられています。神功皇后の三韓征伐を導いた神としても有名ですね。この三神が「船玉」とされているようです。
とはいえ、本来の船玉は船の霊のことで「船魂」の字を当てることもあります。近世になると船玉のご神体を船に乗せて船の守護や安全を祈願されるようになりました。神仏に置き換えて考えられるようになったのはやはり近世以降であるようです。
船玉は住吉三神の他にも猿田彦命や弟橘姫命、あるいは道教の媽祖神など置き換えられています。これらには何らかの共通点があるのでしょう。興味深いことです。
由緒にあるように、社殿は別の場所にあったものを大正期に船玉古墳の上に遷座したようです。古墳が県指定の史跡となった後(平成11年以降)では許されなかったでしょうね。
アクセス
最寄りのICは北関東自動車道の桜川筑西IC。しかし、下りてから30分ほどかかると思います。駅からも離れており交通の便はあまりよくありません。
駐車場は公式Xの画像を参考にどうぞ。
名称 | 船玉神社 |
住所 | 茨城県筑西市船玉248 |
駐車場 | あり |
Webサイト | X(旧Tiwitter) |
鳥居・お手洗い・手水舎
一見するとなにやら珍しい境内。こちらが船玉神社の鳥居でして直進すれば社殿となっています。
船玉神社の旧地は現在より100m程度北の船塚古墳の上でした。この鳥居は新たな境内の広さを示すために少し離れたところに立てたのでしょう。
手水舎に向かう途中のお手洗いには三猿の巨大な画。神社の彫刻や庚申塔では目にしますが、こうした描かれ方は斬新。境内にはこのような画が多数飾られていました。
立派な建屋に対してちょこんと手水鉢が置かれています。よく見ると「宝永六年八月十五日」の文字。西暦で1709年ですから、じつに300年も歴史のある手水鉢です。
巨大なカエルの画も特徴的ですね。古い硬貨を身にまとっているのですが、おそらくこれは五行説に由来しています。
カエルは人間と同じ「裸」の動物なので土気に配当され、土気は「土生金」という相生の法則によって金気を生みます。金気はお金などの金属に通じるのでこうした画になったんですね。
社殿
珍しい造りの社殿ですよね。住吉三神を祀るだけに住吉造なのでしょう。
サイズといい3面ガラス張りといい住吉造の中でも珍しさがあります。境内の案内によると災害対策として避難所の役割も兼ねているのだとか。
社殿が倒壊したのは2011年の東日本大震災です。2017年には関東・東北豪雨によって鬼怒川が氾濫。常総市の水害が有名となりましたが、船玉地区も床上・床下浸水の被害に遭ったそう。
地域の信仰だけでなく、住民の安全や生活を守るためにこのような立派な建物の建築に至ったという経緯のようです。
この日は社殿内に入ることができました。驚くべきは天井絵。境内にある絵画のすべてがパネルのように張り巡らされています。
よく見ると七福神や十二支、風神・雷神なども描かれているんですね。「神」をだいぶ幅広く捉えているようです。
「船玉」の神格
船玉は船の霊であって特定の神仏に置き換えることは難しいと思うのですが、それでも明治以降はさまざまな神様として祀られています。
わたしがざっと調べたところ、住吉三神の他にオトタチバナヒメ、シオツチノオジ、アメノトリフネ、サルタヒコなどがご祭神とされていました。住吉三神とアメノトリフネは水と船なのでわかりやすいですが、他はピンとこないのではないでしょうか。
水上の安全について考えるとき、わたしがいつも思い浮かべるのは港町の稲荷神社です。稲荷神社のご祭神の多くは稲の神や穀物神として知られるウカノミタマやウケモチですが、川や海とは結びつきません。
なのになぜ祀られているのかといえば、お稲荷さまはキツネを神の使いあるいは神の化身とし、キツネの姿が黄色いことから五行説における土気とされたことに由来します。
土気は「土剋水」という法則によって水の力を弱めるとされるので、水面が荒れずに仕事ができる。だから大漁だし商売繁盛というわけです。
「船玉」もそれと同様の神徳があるとされますので、お稲荷さまと同じように土気に属すのではないでしょうか。陸と陸をつなぐ船は言い換えれば中間の存在。五行説のおいて中間は土気です。
人間も土気なのでオトタチバナヒメが該当し、高天原と葦原の中つ国の間にいるサルタヒコもやはり土気と考えられます。船玉の神格、なんとなくわかりませんか?
竣工祭
竣工祭のこの日は各挨拶と餅まき(お菓子まき)、それに囃子があってお開きとなりました。
境内には子どもや若い方が多く、大変にぎやかな雰囲気でした。夜には社殿のライトアップもありましたし、再建した神社のよい門出になったのではないでしょうか。
船玉神社の境内社の七鬼神社です。
「七鬼」の読み方は「しちき」だと思いますが、地元では「しちふく」と呼ぶそう。そのほうが郷土の神に相応しい呼称ということでしょうか。
ご祭神は不詳です。地元の方でも知らないというのですから面白い。珍しい神社ですが、関本神社(当社と同じ旧関城町)の境内社にも同名の神社があります。船玉の七鬼の例祭には関本神社の太々神楽が奉納されますので何らかの繋がりがあるのでしょう。
また、両社の七鬼はいずれも船玉神社と関本神社の社殿から東北(もしくは東)に位置しています。船玉神社が旧地にあった頃(船玉古墳の上)も同様の位置関係だったようです。
「九星」で読み解く七鬼神社
七鬼神社が鎮座する東北(風水的には北東と言わない)はいわゆる鬼門の方角です。そのため七鬼神社は鬼門除けの意図があるのではないでしょうか。「鬼」とついていますしね。
鬼門と「七鬼」の関係で思い浮かぶのは九星です。九星は五行説と同じように中国発祥の哲学で、現代では九星気学の一部として主に占いの分野で目にする機会があります。
神社やお寺で上のような図を見たことはないでしょうか。主に方位除けをする場合に用いられます。
九星とはこの図にもある四方(東西南北)と四隅(東北、東南、西南、西北)に中央を足した9つの方位に配当されている数字です。
9つの数字にはそれぞれ色があてられ、さらに八卦を配当すると後天易図となります。図は八卦の方位と「気(五行説と同じ五気)」を配当した占い用の後天易図(後天定位盤)です。
ただし、後天易図の方位はわたしたちが通常見るものと逆さまになっているので注意してください。北が下、南が上です。そのため北東は右上ではなく、左下にあります。
さて、鬼門除けのために七鬼神社を創建したとして、具体的にどうしたらいいのでしょう。五行説でも用いられる考えで、もっとも強い気である「金気」を鬼門にぶつけることが有効とされます。
図にある金気といえば「六白金星」と「七赤金星」が該当します。「しちせき」は「しちき(七鬼)」と音が似ていますよね。七鬼神社は「七赤の神社」に由来するのではと思います。
ちなみに六白と七赤では、後者のほうが純粋で強い金気だと思います。六白が西北(戌亥)、七赤が西(酉)に配当されるわけですが、五行説で細かく分類すると亥は水気です。五行説と九星や易(後天易)は異なる思想ですが、リンクしている部分も多く合わせて用いることは少なくありません。
また、船玉神社に合祀されている八幡神(誉田別命)の本地仏は阿弥陀如来でして、戌亥の守本尊として信仰されることから、七鬼が同じ意図とは考えにくいです。
鬼門除けに金気を用いる考えは、昔話の『桃太郎』も同様です。桃太郎のお供は犬、猿、キジで、これらは十二支なので五行説の配当表に当てはめると。。3匹とも金気です。
桃太郎自身も金果と呼ばれる神秘的な桃の化身とされますのでお供と同じく金気。桃太郎は金気で鬼退治をしたのですから、七赤金星も鬼退治が可能なのかなって思います。
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船玉神社と境内社の七鬼神社の御朱印です。竣工祭の日は社殿向かって右手の授与所でいただきました。式典以降も変わりません。
立派な御朱印帳も頒布しています。受付時間は9〜16時までとのこと。確実にいただきたい場合はXで確認してから参拝してはいかがでしょう。現在は基本的に書き置きになるかと思います。
・ご祭神の船玉は元来船の霊。船上や交通の安全を司るとされる
・船玉古墳上に鎮座していたが、それ以前は別の場所にあったと思われる
・御朱印は社殿右手の授与所でいただける。境内社・御朱印帳もあり
茨城県神社誌|茨城県神社庁
茨城の地名|編:平凡社
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
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