wata
このブログを読んでいる方なら「御神木」がなにかご存知でしょう。それでは印象に残っている御神木はありますか?大きいことは覚えていても、御神木の多くは大きいので意外に覚えていないのではないでしょうか。
この記事ではわたしがもっとも印象深い御神木のある神社についてシェアします。ずばり石岡市の東大橋に鎮座する香取神社です。行ったことある方なら忘れることはないでしょうね〜♪
この記事でわかること
- 由緒とご祭神について
- 境内社の稲荷神社について
- 御朱印のいただき方
由緒
兵火によって神職宅が全焼。社記を失う
篆額「敬神」は鹿島神宮宮司・岡泰雄による謹書
ご祭神は経津主命です。香取神社なら当然ですよね。なんでも剣道や柔道、野球などの勝負事の必勝祈願が叶うとか。
また以下を配祀しています。
- 武甕槌命(二柱)
- 倉稲魂命(二柱)
- 高龗神
- 天道根命
- 櫛御気野命
- 誉田別命
配祀はおそらく合祀された神社の神々です。『石岡市史(上巻)』には摂社として、鹿島、根当、日熊、白旗神社が挙げられていますので、これらのご祭神ではないでしょうか。
二柱も祀られている武甕槌命は言わずとしれた鹿島神宮のご祭神。当社が位置する高浜地区といえば、地名の由来となった高浜神社(祭神:武甕槌命)が有名。同社は鹿島神宮の遥拝殿の役割もあったとか。
天候によっては船に乗れませんので、それでも行かなくてはならない場合は高浜神社で済ますということですね。経津主命は海上守護の御神徳があるとされますので、高浜神社とセットでお参りされたと思います。
アクセス
最寄りのICは常磐道の千代田石岡IC。下りて約12分(約7.5km)です。
石岡市を通る国道6号の八軒台東の交差点を南東(ショッピングセンターの方)へ。突き当りを左折し、1kmほど進むと左手に社号標が見えてきます。駐車はその近くにどうぞ。
最寄り駅は常磐線の石岡駅ですが、5kmほど離れていますので徒步だと難しい場所ですね。
名称 | 香取神社 |
住所 | 茨城県石岡市東大橋1561 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 茨城県神社庁 |
鳥居
こちらが境内入り口となる鳥居です。わたしはこの左手側に駐車することが多いですね。
鳥居の左手には明治20年に建立された月読尊の記念碑。深々と彫られておりこの先半永久的に残りそう。境外にありますので香取神社の境内社とは区別されているようです。
御神木
薄暗い参道を進むと驚くべき光景。なんと拝殿前に御神木っ!!幹周り約4.5m。樹齢は400年余りといわれますから、ちょうど社記が焼失した慶長年間の頃に植えられたことになります。
本殿裏の御神木はよく目にしますが、こういうのは激レアといいますか。。しかし、間違いなく意図的に植えたか社殿を建てたのでどういう意味があるのか気になりますね。
ところで、御神木とは神を降ろしたり宿るための依代(神籬)です。ただ、本社の神体は社殿に安置されている幣とされていますので、そちらも同じ役割ですよね。どうして依代が複数あるのか不思議に思いませんか?
その理由はわかりませんが、神様は分霊により複数の場所に同時に現れることができるので、たとえ依代が複数あっても問題ない。。ということになっています。そもそも同じ祭神を祀る神社はたくさんありますからね。
社殿
面白いのでなんとなく御神木とセットで撮ってしまう。。いや、そのようにしてくれと御神木が語りかけている気がします。
この造りは寄棟造になるのかな?社殿として珍しく、寺院で見かけることが多いと思います。神仏習合の名残なのかもしれませんね。
本殿は流造。こちらは一般的ですね。旧村社にふさわしい立派なものでした。
同羽目がシンプルなので見落としがちですが、意外にしっかりとした彫物が残されています。ぱっと見ただけでも手挟の鶴は注目してしまいます。これは脇障子の亀と対になっているのではないでしょうか。
脇障子は左右とも亀。長寿の動物として知られる縁起物ですね。見ての通り荒れる海原を悠々と泳ぐ姿ですから、航海守護の願いが込められているのかもしれません。
これまで何度か参拝しておりますが、境内で別の参拝者とお会いしたことはありません。しかし、崇敬者がいないのかと言えばぜんぜんそんなこともありません。
石岡市議のといた和之さんが例祭のようすをブログにしていますが、とってもにぎやか!石岡らしく大きな山車が練り歩き、山車の上には新田義貞の山車人形が飾られています。どんな関係??気になりますねっ!
境内社:稲荷神社
香取宮の向かって左手に鎮座しているのが、境内社の稲荷神社。もとは原稲荷神社といいまして、大正2年(1913年)に市内の原から遷されました。
神紋をよく見ると宝珠の形をしています。稲荷神社のシンボルですね。境内が暗いのでよほど意識してみないとわからないと思いますが。。
ご祭神は宇迦御魂神です。神社庁のサイトには大物主も主祭神とされ、相殿神として崇徳天皇と経津主神が挙げられています。こちらは金刀比羅(金毘羅権現)と香取のご祭神なので遷座前に合祀されたのでしょう。
扁額には「霊場」の文字。神社に掛けられる言葉ではないですよねぇ。。相殿神の崇徳天皇と関係があるのでしょうか。
扁額にある文久2年(1862年)は、坂下門外の変や寺田屋事件、生麦事件が起きた幕末真っ只中の年です。なかなか意味深ですね。
香取同様に稲荷のほうも凝った彫刻が見えます。手挟にあるのは花弁と葉の形から牡丹かと思います。
懸魚は鶴、蟇股は鳳凰でしょうか。鳥に対するこだわりは強いようですね。特に鶴が好まれたのでしょう。個人的には懸魚に鳳凰、蟇股に鶴を目にすることが多いので、よほど鶴が好きなのだなと思いました。
wata
御朱印
香取神社の御朱印です。神社近くの宮司宅でいただけます。歩いて行ける場所なのでご安心を。玄関前のしめ縄が目印です。場所と連絡先は茨城県神社庁のサイトをご覧ください。
・東大橋香取神社の拝殿前には巨大な御神木
・境内社は稲荷神社。大正時代に遷座された
・御朱印は宮司宅でいただける。電話で事前連絡を推奨
茨城県神社誌|茨城県神社庁
石岡市史(上巻)|石岡市史編さん委員会
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。