wata
- 由緒・ご祭神について
- 海野(うみの)さんとの関係
- 御朱印のいただき方
茨城の東征神社といえば青柳(水戸)を思い浮かぶ方が多いのではないでしょうか。
でも、じつは那珂市にもあるんです。そちらは県神社庁に登録されていないので、知っている方は多くないと思うのですが。。
しかしながら、大変興味深い歴史を持っておりますのでぜひシェアさせてください。あと茨城の「うみの」さんにとって重要な意味があるかもしれません!
東征神社とは
東征神社は那珂市の鹿島に鎮座する神社です。明治時代に吉祥院の一画に建てられたので比較的新しい神社といえます。
ただ、複雑な思想を持つ修験の創建とあってかあまり詳しいことは分かっていません。現在、当社は県神社庁に登録されていないことから、私的な意味合いが強かったのかもしれませんね。
わかっている由緒は次のとおりです。
由緒
そしてご祭神は次のとおりです。
- 天之御中主神
- 天照皇大神
- 木花之左久夜毘売
- 大物主大神
- 宇迦之御魂神
- 大和武尊
修験による創建ということで、さまざまな祈願されていたかと思います。祭神が多いのもそのためでしょう。
このうち①は妙見信仰、②は富士権現信仰として修験道と関係が深いです。これら民間信仰を広めたのも修験といわれています。
社号は大和武尊に由来する可能性が高いです。記紀では父の景行天皇から東征を命じられ常陸国を訪れたとされています。常陸国の三の宮・吉田神社のご祭神なので県民としては馴染み深い存在ですね。
ただ、旧那珂町のこの辺りには吉田神社と同じくらい鹿島神社が鎮座しています。武甕槌命も東征と関係がありますから、もしかするとそちらと関係しているかもしれません。
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記紀のヤマトタケルについてはこちら
アクセス
常磐道の那珂インターを下りて10分ほど。アクセスはほぼ車になるかと思います。
駐車場はありませんが、神社前の通りに駐車スペースがあります。交通量は非常に少ないので安全でしょう。
名称 | 東征神社 |
---|---|
住所 | 茨城県那珂市鹿島1800 |
駐車場 | なし |
境内入り口
いま思い返してみると鳥居も山門もない珍しい神社です。ちょっとプライベートな空間という気がしますが、どなたでも参拝して大丈夫です。
見ての通り境内は広くなく、すぐに社殿にたどり着けます。境内には特に案内がありませんので、このブログが参考になれば幸いです。
社殿に続く参道の右手には銀杏。気根(下に伸びる根)がユニークですね。しめ縄が張られていますので神聖な存在なのでしょう。
銀杏の裏側に見えるのは真言宗の開祖・弘法大師像。修験は密教(天台宗と真言宗)から大きく影響を大きく受けていますし、吉祥院が真言宗に属していたのかもしれませんね。
銀杏の反対側には立派な藤蔓。ぐるぐると巻き付いて隣の木に渡っています。6月には白い花を咲かせるといいますから見てみたい!
当社の境内は他にもハナモモやアジサイなども咲きますので、暖かい季節は毎月のように見どころがありますよ♪
社殿
東征神社の社殿です。少しだけお堂の雰囲気が漂っています。
賽銭箱の前に目を向けてみると。。かわいらしい動物たちがお参りしています。ガチャガチャかな?
『広報なか』によると、当社の宮司を務める海野家の祖先は吉祥院の修験でした。なんでも江戸時代から寺子屋を運営し、明治になると近隣の朋来小学校で教師をしていたとか。
修験は悟りを開くために過酷な修行を積みますが、肉体だけでなく豊富な知識を持っています。神仏習合どころか陰陽道や道教、占星術なども学ぶので教鞭を執る能力は充分だったのでしょう。
ちなみに明治5年(1872年)に修験道が廃止されたことをきっかけに修験の多くは神職になりました。海野家は同市鹿島の鹿島神社の神官になったそう。神官という呼び方は、当時神職が公務員だったためですね。
社殿に向かって右奥にはお墓があります。「東潮先生」とあるのは、寺子屋で教えていた海野照睿氏のことです。詩歌と俳諧が得意で算術にも通じていたとか。
もし、修験について興味を持たれましたら神社検定のテキストがオススメです。神道史の一部として書かれているので理解しやすいと思います。
修験道を含めた神道史について知るならこちら
八方権現
東湖先生のお墓の向かいあたりにある八方権現。修験の祈祷所として建立されました。
謎のストーンサークルとされていますが、一応由来が伝わっています。
中央が権現さまにあたり、ご祭神を次のようにしています。
- 国之常立神
- 高御産巣日神
- 天之御中主神
- 神産巣日神
- 天之常立神
造化三神と天之常立神は古事記に記述されていますが、日本書紀にはありません。興味深いことです。
周辺の石は講の紀念碑などで八方権現とは別もの。でも、「八方」を表現しているので、やっぱり権現さまの一部かもしれないですね。
「海野さん」の話
気になるお話をひとつ。この記事でご紹介した「海野家」ですが、日本姓氏語源辞典で苗字の由来を調べてみると発祥は長野県。
ウンノ 【海野】6 日本姓氏語源辞典
静岡県、茨城県、東京都。続いて神奈川県、埼玉県、宮崎県、長野県、千葉県、大阪府、愛知県。ウミノも含む分布。宮崎県ではウミノが主流。アマノ、ウノ、カイノは稀少。和歌山県東牟婁郡太地町でカイノが存在。長野県東御市本海野発祥。奈良時代に記録のある地名。山梨県甲州市勝沼町勝沼で伝承あり。神奈川県鎌倉市雪ノ下・小町が政庁の鎌倉幕府の幕臣に鎌倉時代、長野県長野市松代町松代が藩庁の松代藩士に江戸時代にあった。善隣。香川県小豆郡小豆島町橘甲ではウミノ。
海野(うんの / うみの / あまの / うの / かいの)さんの由来と分布/日本姓氏語源辞典
続いて『広報なか』の記述。
海野家三代(英彦・照睿・瑞彦)
海野家の祖先は信州(長野県)の滋野氏で、鹿島字堂山吉祥院の修験です。
「海野」は那珂市内の看板などで目にしますので、発祥地から来た方の話は感慨深いものがあります。
茨城の「海野」はここから広がった!。。のかもしれませんね。全部ではないと思いますが。
御朱印
東征神社の御朱印です。神社から2軒隣の建物でいただけます。
境内の銀杏が判子で描かれています。黄色いのはシールなのでちょっと立体的な御朱印となっています♪
宮司さんは近くの鹿島神社と門部の鹿島静神社を兼務されています。そちらの御朱印もいただけますので、参拝していた併せてらお願いできますよ!
まとめ
この記事のまとめ
- 東征神社は明治に創建。大和武尊のほか5柱がご祭神
- 宮司の祖先は「海野」の発祥地である長野からやってきた
- 御朱印は神社から2軒隣の建物でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
今回ご紹介した本
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
御朱印巡りをされる方へ