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日立のささら(佐々羅)をご存知でしょうか。県指定の無形民俗文化財です。
2019年のゴールデンウィークに日立市で神峰神社の大祭礼が執り行われました。開催した3日間の観光客は3万人。祭の中日(4日)には市内3ヶ所のささらが披露されていました。
日立の神社を巡っている方ならご存知かと思いますが、神峰神社、助川鹿嶋神社、会瀬鹿嶋神社の境内では『日立のささら』が紹介されているんです。
前々から気になっていてやっと見れましたので、この記事ではそのひとつ、助川ささらと助川鹿嶋神社をご紹介します!
鹿島神宮から分霊と伝えられるが、詳しいことは不明
徳川光圀、四神旗を奉納、除地三石三斗三号
水戸藩家老・山野辺義観、助川に築城。当社を守護神として地鎮祭を執行
市内の無格社・住吉神社、厳島神社(二社)、天満神社、稲荷神社を合併
空襲により社殿焼失
拝殿および本殿を鉄筋コンクリート造で再建
助川佐々羅が日立のささらのひとつとして県指定文化財(無形民俗文化財)になる
ご祭神は武甕槌大神です。言わずとしれた常陸国の一の宮、鹿島神宮から分霊された神です。
鹿嶋神社は県央地域辺りまではよく目にしますが、県北になると珍しいですね。でも、日立市には8ヶ所もあるので、どういった由縁か気になるところです。当社の場合は残念ながら不詳。
また、由緒を見ると元禄期に一度廃社になっているのが気になります。まもなく再興しているのでこの時期なにがあったのでしょうか。義公の改革期にあたると思うのですが。。
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市内8ヶ所の鹿嶋神社は、鹿島町、会瀬町、成沢町、多賀町、大久保町、南高野町、大和田町、神田町にあります。
アクセス
駐車場は少し変則。一の鳥居ではなく、二の鳥居の近くにあります。国道6号ではなく細い道路(県道245号)沿いにあるので注意してくださいね。
日立駅から歩いて15分ほどなので、徒歩でお参りできますよ!
名称 | (助川)鹿嶋神社 |
住所 | 茨城県日立市鹿島町2-4-4 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
大鳥居と二の鳥居
いつも車で移動するわたしですが、この日は神峰神社の大祭礼。神社を避けて駅前の有料駐車場へ。
ささらは境内で12:30からです。12:00頃に行けば混雑しているものの場所取りは可能だと思います。
一の鳥居から10mほど進むと道路を挟んで二の鳥居が見えます。左側に写っているのは西上町舞屋台。日立市の有形文化財で、この上でお囃子を演奏します。
狛犬と武甕槌大神像
ある意味で有名人?石段を登った先にある狛犬は御朱印になるほどチャーミング。顔でかっ!このくびれのないフォルムがなんとも愛らしいではありませんか。狛犬の口元は阿吽になっているものですが、こちらはあやしい?
祭日にはありませんでしたが、ぜひ注目していただきたいのが令和4年に建立された御祭神のタケミカヅチ像です。手水舎の隣で豪快な笑顔を見せています。これ最高じゃないですか?
記紀神話には神々の姿があまり詳しく記されていませんので、神道では神の姿を示すことには消極的です。恐れ多いので描くことなどできないという意見を耳にします。ごもっとも。
しかし現在の神社と氏子・崇敬者に受け入れられるのであれば、このような造立は「あり」ではないかと思うのです。わたしはこの像を見て爽やかな気分になれます。
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社殿
参道の中央は四角く仕切られており、この中でささらが奉納されます。社殿には献燈と書かれたたくさんの提灯がありますね。祭の日ならではの光景です。
社殿(拝殿・本殿)は鉄筋コンクリート造です。歴史があるのに木造じゃないの?って思いますよね。
こうなったのは1961年(昭和36年)から。それまで木造でしたが、1945年(昭和20年)に米軍の空襲によって焼失してしまいました。再建は将来の不安から頑丈にしたと考えられますが。。当時の方々はどんな思いだったのでしょうか。
昔は茅葺きの小さな社でした。それを1936年(昭和11年)に立派な社殿に造営。わずか9年で焼失は残念すぎます。この社殿は二度とそうした理由で失いたくないですね。
本殿は幣殿を通じて拝殿と一体となった複合社殿の形式。実際には覆屋のようになっているかもしれません。ここまで頑丈な本殿はまず見かけることはないでしょう。歴史的経緯があってのことです。
境内社:天神社(天満社)と天道念仏塔
社殿に沿って左側に進むと天神社(天満社)があります。ご祭神はもちろん菅原道真公です。この日は爽やかな青縁の旗が揺れていました。
立て札には『ご神徳』が書いてありました。なになに。。学問・合格・出世・至誠・書道。。書道!?そういえば昔の教養人はとにかく字がうまかったと聞きます。
平安時代だと嵯峨天皇、橘逸勢、空海を平安時代の『三筆』と呼ぶそうです。ただ、この中でも空海は別格。『弘法も筆の誤り』は書の達人だから生まれた言葉なんですよね〜。
天神社とは直接関係ないと思われますが、神社の左手前に天道念仏塔が建っています。わたしはまったく詳しくないのですが、郷土博物館では次のように説明されていました。
日の出に向かい膳を打って拝む姿は、数こそ少なくなったが現在もみられる。農村・漁村・山村を問わず、人びとは太陽の恵みに感謝し、その働きの衰えぬことを祈って念仏を唱えた。
天道念仏は、テンマツリ・テントネンブツ・テンネンブツなどともいい、旧暦2,3月に行う所が多い。
日立地方の山間部では小高い山の頂、海岸部では岬に、天道塚と称して大きな塚を築き、塚の前で光明真言などを唱える。
始めの説明からすると日待ち(月待ちに対して太陽を待つ)に似た印象です。ただ、時期が独特だし真言宗に寄った土着の信仰なのかもしれません。
助川ささら
日立のささらについて境内の案内から引用します。
日立のささら(助川佐々羅)
日立地方には、「ささら」と呼ばれる獅子舞が各集落に伝えられています。ささらとは、竹を擦り合わせる楽器のことですが、現在では、獅子舞を指す言葉としてだけ残っています。
日立市教育委員会
ささらは珍しい言葉ですが、日立だけではないんですよ。有名なのは北茨城市の花園神社でしょうか。毎年、同時期(ゴールデンウィーク)の例祭で見ることができます。(2019年は5月5日)
ささらは民俗芸能なので、地域ごとに特色があるんです。助川鹿嶋神社は以下のように紹介されています。
助川ささらは、大獅子、中獅子、雌獅子が、腹に抱えた小さな太鼓を両手の撥でたたきながら舞い、その回りを「しゃぐま」と呼ばれる女装した童子たちが、笛役の奏でる曲に合わせて囃し立て雰囲気を盛り上げる伝統芸能です。特にしゃぐまは日立地方の獅子舞に特徴的なものです。
助川ささらは、地元の助川鹿嶋神社の例祭に際して、五穀豊穣の喜びと集落の平和を願い奉納されるものです。また、江戸時代から、宮田町に鎮座する神峰神社の大祭のときには、宮田、会瀬のささらと共に神幸に先立ち露払いの役もつとめてきました。
助川ささらは、助川鹿嶋神社助川佐々羅保存会によって保存伝承されています。
日立市教育委員会
助川ささらを見れるのは例祭(10月15日)と神峰神社の大祭礼のときだけです!
ささらの予定時間に達するとお囃子がスタート。子どもたちは緊張した表情でしたね。見物客がたくさんいて、カメラを向けられていますから。。
お囃子の演奏は5分くらいでした。続いて助川ささらの獅子やしゃぐま、笛役が境内に登場。そしてその間を通って『殿様』が。。社殿内でご祈祷を受けていました。
この辺りから境内はささらを中心に人だかりが出来上がりました。後から来たらほとんど見れないレベル。前の人座って。。
はじめは獅子たちが荒々しく太鼓を叩いて、しゃぐまは静かにうつむいていました。しばらくするとしゃぐまがステップを踏みだします。
獅子は大きく頭を振り回すのですが、これが空をかける龍のようでかっこいいんですよ〜。
終盤、一体の獅子の動きがさらに激しくなり、「ダメダメ!」という感じで撥を大きく横に振ります。舞というより芝居じみているので、なにか物語があるのかもしれませんね。
ささらは25分ほどでした。一行は次の目的地会瀬鹿嶋神社に向かってご神幸。非常に天気が良くて大変かと思いますが、大変楽しませていただきました!
御朱印
助川鹿嶋神社の御朱印です。社殿の右手にある社務所で9:00-16:00の時間帯にいただいてください。払いが非常に力強くてかっこいいと思います。近年、人気になっておりましてネット上でよくお見かけします。
御朱印は鹿嶋神社が3種類。天神社が1種類ありました。料金は同じです。ユニークな差紙にも注目してください。その年の干支が登場しますよ♪
ときどき限定の御朱印をだされるようです。こちらは令和記念の御朱印です。数量限定でしたが、神峰神社の大祭礼の日にいただけました!
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・社殿は鉄筋コンクリート造。戦争で焼失した後に建てられた
・助川ささらは県指定の無形文化財。神峰神社の大祭礼でも見れる
・御朱印は社殿右手の授与所でいただける。種類が豊富
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。