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寺社で楽しめる植物といえば桜やあじさいが思い浮かびますが、日立市の艫神社では見頃なバラが話題です。
もともとは神社と関係なく、知られるようになったのは2年ほど前からです。茨城新聞をはじめ各メディアで報道されているのでご存じの方も多いのではないでしょうか。
今回はそのバラとあわせて神社についてご紹介しますので、参拝の参考にしていただけたら幸いです。
この記事でわかること
- 由緒とご祭神
- 話題のバラ園について
- 御朱印のいただき方
由緒
旧9月19日、山崎田中郷国井浜(現在の川尻町国井浜)に漂着した船の艫に一像が安置してあったという。
浜の住人・勝間田小五郎、高橋五郎三郎、柴田権四郎、落合与一、篠原右京、鈴木宗六の六人がこれを収めて櫛形城主矢田部山直吉憲に献じたところ「鹿島の神の乗りし船」とし艫之大明神として城内に安置する。
同年11月19日、現在地の船見山に遷宮し領内の総鎮守とした。
旧9月16日、光圀公参拝の折、神体を鏡に替え社領6石7斗4升、山林2町3反を附して厚く崇敬
ご祭神は武甕槌命です。日立市には著名な鹿嶋神社がいくつも鎮座しており、武甕槌の信仰も篤いですからその一端といったところでしょうか。
当社は船の艫に置かれた一像が鹿島の神とされて祀られるようになりました。漂流した像を祭神とするのは牛頭天王(八坂神社等のご祭神)の伝承でよく耳にしますが、それ以外では稀なことです。
「艫」は船の後部のことで、当社の絵馬が分かりやすく示しています。輝いているのが像のあった場所ですね。
また、『茨城の地名』によればその像は仏像だったとか。義公が神体を鏡と取り替えたとあるのは、神仏分離の思想によるところなのかもしれません。
仏像から武甕槌命と判断したということは同神の本地仏である十一面観音?なんとも興味深い伝説ですね。
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平成4年(1992年) 棟札(市指定)
アクセス
常磐道の日立北ICを下りて約7分。アクセスは快調なのですが、人気の神社なので駐車場に不安があります。神社の駐車場は二箇所です。ひとつは鳥居の南。そしてもうひとつは以下の画像の場所。
Google Mapでしっかり確認できないので若干不安。ただ、駐車場には神社の立て札がありましたので、それをご確認の上ご駐車ください。路上駐車はもちろんNG。
バラの満開期に参拝したわたしは両駐車場に停められなかったので、駅のパーキングを利用しました。たしか30分100円くらい。精算機が故障していて1000円札が使えなかったので、念の為に小銭を用意しておくといいですよ。
名称 | 艫神社 |
住所 | 茨城県日立市友部東4-1-2 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
SNS | Instagram X(旧Twitter) |
鳥居と境内
3年ぶり2度めの参拝。3年前は三が日の参拝でその日も境内は賑わっており駐車場には苦労しました。その頃からひと手間加えたおしゃれな御朱印が人気となっておりまして、期待しながらお参りしたのを覚えています。
この日は隣接するバラ園が見頃とあって、ふだん神社で見かけないような若者がたくさんいらっしゃいました。なにか御朱印巡りのマップを片手に巡ってらっしゃるご婦人方も目にしましたね。
はじめの石段を登ると少し開けたスペース。右手が社務所となっており、多くの参拝者が御朱印やお守りの頒布を受けていました。お昼の時間にもかかわらず行列ができていて神職の方々はこの時期大変そうですね。
社殿
山頂にそびえる社殿を見上げる形で撮影。こうした建て方はよくあるのですが、登りきってしまうと全体像がカメラに収まらないんですよね。
シンプルな入母屋造で華美な彫刻は見られません。質実剛健な佇まいで武神の社に相応しいのではないでしょうか。
こちらが本殿。拝殿、幣殿と一体化しているタイプで近代的な造りですね。
神社が山に建てられることはよくあることですが、武甕槌命を祀るとなるとどうでしょう。鹿島神宮はじめ鹿嶋神社は平地が多いので個人的には珍しく感じます。
ところで、『新編常陸国誌』によれば、当社を遷座した櫛形城主の矢田部氏は、宝鷲院(艫神社と同じ友部に位置)が城の「鬼門」に位置することから堂宇を建立して再興しました。初めは「菜塚山」と称したとか。
艫神社は同院の延長線上、つまり同じく鬼門上に位置することになります。さらに線を伸ばしていくと国井浜。神体が漂着した地です。
地図で見ると城の巽(辰寄りの東南)の方角ですから、実際には鬼門ではなく地門。ただ、鬼門とは本来変化が起きる方位を意味しますので、実際に変化が起きた方位に注意を払うのは当然なのかもしれませんね。
私見ですが、大抵の人にとって鬼門は恐れる存在ではありません。変化には良いことも含みますからね。為政者や既得権益者のように現状を変えたくない人にとっては脅威ということです。
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船見山天満宮
艫神社の社殿の手前にあるのは境内社の船見山天満宮です。ご祭神はもちろん菅原道真公。例祭は2月25日。この日は道真公の命日ですね。
社殿は元をたどれば艫神社の本殿です。艫神社が平成16年に社殿を再建した際にこちらに遷されました。新社殿は立派で素晴らしいと思いますが、こちらも決して見劣りしません。
天満宮で注目していただきたのは、その彫刻です。特に同羽目板(社殿の書面の扉を除く三方の板)に中国でも人気の古典『二十四孝』の彫物があるのです。
東側の羽目板は『唐夫人』。姑の長孫夫人が年老いて歯がないので乳を与えているシーンです。中国でも嫁姑の問題はあったらしく、姑に親切にできる嫁は貴重でした。
姑の身なりを整えて生活を支えた唐夫人はたいへん尊重され、姑の遺言が現実となり子孫に恵まれた幸せな人生を送ったとのことです。
背面にあるのは『董永』。幼くして母を失い、足が不自由な父のために働く孝行息子です。父が亡くなると葬式をするお金を手に入れるために身を売りました。
葬式を終えた董永のもとに一人の美女があらわれると、あなたの妻になりましょうと申し出ます。美女は絹で精巧な織物を作るとそれで董永の借金は完済。美女は最後に自分が天女だと打ち明け天に帰っていくのです。
西側はまぎれもなく『楊香』です。逃げる父と荒ぶる獅子、それに立ち向かう若者が楊香です。楊香は自分が獅子に食べられることで父を救おうとしているのです。
命を張って楊香のポーズが現場猫みたいでかわいい。遮るもの無く間近で見れますのでぜひご覧ください。
御朱印
艫神社でいただける御朱印は境内社の船見山天満宮と合わせて2種類です。参道の右手にある社務所でいただけます。
大変人気の神社なのでバラの見頃などは混雑するかと思います。あまり時間に余裕がない場合は書き置きですとすぐに拝受できるのでおすすめ。
凝った御朱印や見開きは書き置きが多いですよ!
バラ園
艫神社の名物となっているバラ園は約800種、1000本の規模。見頃に足を運ぶとなんともいえない良い香り。マスク取りたいっ!
こちらのバラ園のお世話をするのは宮司さん。30年ほど前から自宅でバラを育てはじめた超ベテランです。茨城新聞によれば愛好者でつくる「茨城バラ会県北」で会長を務めているとか。
これまでバラ園は神社とは別にオープンガーデンを開くなどしていましたが、近年は禰宜を務めるご長男のすすめで神社と一体となって見物客を受け入れています。
バラが楽しめるのは春と秋に2回。『薔薇之刻』として開催し、それぞれ期間限定のお守りや御朱印の頒布などもしています。
見頃は春が5月中旬〜6月下旬、秋が10月中旬〜11月上旬です。ただ、実際の開花状況については神社の公式サイトやSNSをチェックするといいでしょう。
昨年の春にはNHKで報道されて話題になりました。茨城新聞も定期的に紹介しているので認知度は増す一方といったところ。
この日は晴天に恵まれて気持ちよく過ごせました。ただ、写真を撮るなら雨や曇りの日の方がいいかも。しっとりとキレイな色になりますからね。
五行説と武甕槌命
最後にちょっとした五行説ネタをご紹介。知っておくと艫神社に対する理解が深まるかも。
五行説は古代中国の哲学です。簡単にいえば万物を5つの気に分類してその関係を説明する思想で「鬼門」とか「干支」も五行説の一部となっています。
非科学的なのでその理論は現代で通用しないことが多いのですが、科学が発達していない時代は非常に重視されていました。そのため知っていると昔の人の考えを読み解けるのです。
さて、艫神社のご祭神の武甕槌命は常陸国の一宮である鹿島神宮のご祭神でもあります。茨城県民にとってはおなじみで雷神や武神、東国の守護神として知られる神様です。ちょっと変わった評判として安産の御神徳があるともいわれています。常陸帯の習慣はその一端といえるでしょう。
こうした神格が意味するところは武甕槌命とは五行説における木気に属すということです。木気は木、火、水、金、水の五気のうち唯一の生命です。動物や植物などの生命、それに風や雷など震えるように動くものはみんな武甕槌命に近しい存在というわけです。同じ気であれば近くにあることで気の力が高まるという原則があります。
そう考えるといみじくも境内のそばで植物を育てるというのは、そのご神徳にあやかれるのかもしれませんね。当社のバラ園の見事さはご祭神のおかげもあったりして。
一方で五行説には相剋といって気の優劣関係があります。たとえば水は火に強いといった感じです。基本的には自然法則と同じですね。
それで木気はというと「木剋土」と言って、土気に対して優位となっています。土気は文字通り土に関するものが配当され、その代表は「山」です。
つまり、土気である山に木気の武甕槌命を祀るということは、荒ぶる土気を鎮める意味合いがあると考えられるのです。土気は他の4つの気をつなぐ役目があり、それにより「変化」を生む気ともされています。
変化を生むといえば鬼門のこと。当社の創建に関わった矢田部氏は鬼門除けのために寺院(宝鷲院)を建立したといわれていますので、当社も同じ意図があったんじゃないかな〜と思うんですよね。
・ご祭神の神体は船に乗って漂着。社号の艫はその船に由来する
・バラは初夏と秋に楽しめる。駐車場に注意
・御朱印は境内社の天満宮とあわせて2種類。限定もたびたび頒布される
茨城県神社誌|茨城県神社庁
茨城の地名|編:平凡社
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。