wata
この記事で那珂市の旧木崎村地区に鎮座する鹿島神社と鹿島静神社をご紹介します。二社とも同地区の東征神社が兼務しており、御朱印もございます。
境内には特に案内がありませんのでこの記事が参拝の参考になれば幸いです。三社ともすぐ近くなのでぜひ足を運んでみてください!
鹿島神社とは
由緒
ご祭神は武甕槌命です。社号に「かしま」と付いているから当然ですよね。
由緒を見ると神社についてほとんどなにもわかっていません。なんとも惜しい。創建の年代についても極端に古いので果たして。。
県北地域の寺社の創建は大同元年に集中しています。その多くは坂上田村麻呂が蝦夷討伐のため常陸国を通過した際に創建したといわれるのですが、すべて事実となると東征する気があるのか、というくらい忙しくなってしまいます。ルートもおかしいですしね。
ただ、当社が旧木崎村の村社として古くから崇敬を集めていたことはたしか。武甕槌命は雷神とされ農業神の面もありますから五穀豊穣を祈願されていたのではないでしょうか。
wata
アクセス
常磐道那珂ICを下りて15分ほど。東征神社からも非常に近いです。
駐車場は北側の通り(那珂瓜連線・県道104号)から入れます。
名称 | (鹿島)鹿島神社 |
---|---|
住所 | 茨城県那珂市鹿島1460 |
駐車場 | あり |
鳥居
鳥居はいまから約100年ほど前の大正13年(1924年)に建立。
この鳥居を見たことある人は熱心な参拝者。駐車場は社殿の隣しかありませんので、100m以上行って来いすることになります。
鳥居の正面には畑が広がっていて長い年月の中で地主の変遷があったことを思わせます。
杉並木の参道はなかなか情緒があっていい。現代を思わせるものが見られないので鎮守の森がそのまま保たれています。
武神を祀る神社なので流鏑馬やっていたのかな〜と思いましたが、この狭さだとちょっと厳しいですね。
社殿
拝殿および社殿の向きは南東。鹿島神社の本営である鹿島神宮は北向きなので、色々と想像が膨らみます。
すなわち、もしかしたら当社は鹿島神社でない時代があった、と。この辺りは徳川光圀の命によって八幡神社から改められた神社が数多くありますので、ここもその可能性が考えられます。
。。しかし、もしそうなら、さすがにそのことは記録に残しているかな?
当社の鎮座地は「那珂市鹿島」。鹿島は大字なので江戸時代まで「鹿島村」があったということ。村名になっているのですから鹿島神社が存在したのはほぼ確実でしょう。
社殿の向きは「鹿島」らしくありませんが、じつは他に「らしい」ことがあるんです。
要石
当社の一番の注目ポイントであり、鹿島神社らしさ爆発なのが社殿裏手の要石!
この要石は小さく見えますが、それはいわば氷山の一画。じつは途方もなく巨大で地面の奥深くまで埋まっているのです。
そして石の下には大ナマズがいて、要石が頭上にあるため動き回れず得意のアースクエイクも使えない!!この石は封印の石。パンドラの箱、マスターソード。動かしてはいけないのです!!
という説明は鹿島神宮の要石と同じ。分社であるこちらにも同様の石があるということですね。せっかくなので見つけてみましょう♪
御朱印
鹿島神社の御朱印です。
なまずのイラストの頭には要石が置かれています。とってもかわゆし!
続いて門部の鹿島静神社をご紹介します!
鹿島静神社とは
由緒
ご祭神は武甕槌命と手力雄命です。重要なことなのでもう一度書いちゃいますが、手力雄命を祀っています。
静神社のご祭神といえば機織りの神ともいわれる建葉槌命。手力雄命は相殿にお祀りしています。しかし、江戸時代までは手力雄命を主祭神としていました。
これは非常に興味深いことです。光圀公は日本でもっとも徹底的に寺社改革をした藩主です。怪しげな祭神は決して認めないので、忖度した氏子が本来の祭神を変えることさえありました。
その光圀公の命によって祀り始めた、ということは、当時手力雄命は静神社のご祭神として広く知られており、由緒正しいとされていたのでしょう。ではなぜ建葉槌命になったのでしょうか。
わたしがこの件を気にするのは日立市の大甕神社の伝説と関係しているためです。大甕神社の宿根石は高天原に従わない香香背男を建葉槌命が撃ち倒した際に生まれたといわれます。伝説では建葉槌命が静神社の祭神とされていますが、当時の認識とは違うということですよね。
江戸時代の静神社の祭神はどんな存在だったのか。謎は深まるばかりです。
アクセス
常磐道那珂ICから約15分。東征神社や鹿島神社(鹿島)神社からもすぐ近くです。
東征神社の方から行く場合、104号沿いの右手に郵便局が見えたらその信号を右折。その直後に左折すると神社が見えてきます。
そのまま鳥居を見ながら少し進むと左手に駐車場があります。
名称 | 鹿島静神社 |
---|---|
住所 | 茨城県那珂市門部2735 |
駐車場 | あり |
鳥居
広い駐車場に停めていざ参拝。
こちらも鹿島神社(鹿島)と同じようにコンパクトな境内。周辺の道路などを考えるともっと広い境内だったのでしょう。
境内社がいくつのかあるのですが、社号まではわからず。茨城県神社誌にある足尾神社(猿田彦命)、浅間神社(木花開耶姫命)、加波山神社(国之常立命)のどれかのはず。
この三社はいずれも本営が山頂付近に鎮座しておりますので修験との関係が深いと考えられます。
社殿
鹿島静神社の拝殿です。社殿は西向き。鹿島神宮(北向き)とは違いますね。
西向きはかつて八幡神社だったせいでしょうか。いえいえ、八幡社も含め一般的に神社は日が昇る方(東)か日が差す方(南)を向いていますから、かなり特殊です。
社号標には「海野」の名がありました。宮司さんでしょうか。この辺りは海野さんが多いので崇敬者の可能性もあります。
本殿はずいぶんカラフル。平成28年(2016年)の修復工事でこうなったと思いますが、シンプルな鹿島神社としてはかなり珍しく感じます。
茨城県神社誌によると本殿は鎌倉時代の作とのことですが。。その面影は感じられません。古い社殿もちょっとだけ見てみたかったですね。
素鵞神社
鹿島静神社の社殿のお隣にあるのは素鵞神社。素戔嗚命がご祭神です。
中には社殿と比較的小さなお神輿が。。あったはず(うろ覚え)。
神社の北には久慈川、その南には久慈川の支流が流れています。祗園祭では疫病除けなどを祈願して川に霊を流していたのかもしれませんね。
御朱印
鹿島静神社の御朱印です。
東征神社、鹿島神社(鹿島)と同じように宮司宅でいただけます。
まとめ
この記事のまとめ
- 鹿島静神社はかつて鹿島八幡神社だった。光圀公の命により現在のようになった
- 鹿島静神社は静神社の神として手力雄命を祀っている
- 両社とも投資神社近くの宮司宅で御朱印がいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。