【鉾田市】疫病除け祈願!玄生地区のオオスギサマ

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

茨城県では定期的にある人形が話題となります。それは「だいだらぼっち」などとも呼ばれる巨大な人形で、たいていは辻に置かれて道祖神のように考えられています。

今回はそのひとつである「オオスギサマ」をご紹介します。鉾田市烟田かまた玄生くろう地区にあるので、見ようと思えばいつでも見られます。その御姿に興味を持ちましたらぜひ足を運んでみてくださいね。

大杉様
大杉様

まずはオオスギサマの概要から。

 鹿島郡鉾田町玄生地区では、毎年二月、五月、八月の各一日に、杉の葉で作った大杉様の前で大鼓をたたきながら「そりゃ大杉明神、悪魔を払ってよ―いやさ、よ―いよ―いよ―いやさ。町内安全だよトホヨトホ」ととなえ、村びとの健康や無事を祈る厄払い行事を行っている。祭りの日を農休日と定め、同地区の年中行事として年三回、大杉様が生活の中で生き続けてきた。

 祭日になると、地区内二十一戸の各家から男たちが一人ずつ出て作業にあたる。この日は農仕事だけでなく会社勤めの人も休んで祭りに参加しなければならない。

 大杉様というのは天狗様のことである。その天狗の面は、以前は農具の箕を用いて作ったが、今ではトタン板に紙をはり、色を塗って作るようになった。

(中略)

 青年たちはその大杉様に御神酒を上げ、その前で火を燃し、その火を囲んで大鼓をたたき、村内安全の歌を唱える。おはやしは鹿島の祭頭ばやしと同じというが、よく聞きとれない。

 青年たちは、大杉様の前での行事が済むと、大鼓をたたきながら村の鎮守様に向かう。鎮守ではその社殿を回ったあと、拝殿前でまた同じ歌を歌ってこの日の行事を終わる。

 村びとは「この大杉様が地区内に入ってくる悪霊を防いでくれたので、玄生には今まで疫病がはやらなかった」と言う。行事は年番の世話人二人が一切をとりしきり、戦前はもちろん、戦中、戦後も一回も休みなく行われてきた。

茨城の年中行事 P191 / 茨城新聞社

起源については不詳ですが、大杉神社(本営:稲敷市)に対する信仰と紹介されており、同社の「あんば様」は疫病が流行すると天狗を派遣して病気を防ぐとされていたとしています。

なぜここで天狗が出てくるのかは興味深いところ。実際に大杉神社に参拝した方はご存知かと思いますが、同社の境内には天狗にまつわる造形が少なくありません。特に烏天狗をよく見かけます。

社伝に「勝道」が出てくるくらいですから、かつては修験道が盛んで山伏が大勢訪れていたのでしょう。山伏は基本的に定住しないので「あんば様」が各地に広まるのは自然な成り行きだと思われます。

行き方のヒント

道の奥にオオスギサマ
道の奥にオオスギサマ

場所を探し出すのも面白みの1つだと思いますので、あえて具体的な設置場所は示さないでおきます。でもせっかくなのでヒントを出しますね。

  • 烟田の新宮神社の東側。神社の南側の道路を進む。車なら約3分
  • 車道から人形を目視できる。草木が茂る夏場は若干見つけづらい
  • 「玄生公民館」からもう少し東

車を運転しながらだと危ないので、事前にGoogleマップのストリートビューで探すのがおすすめ。ついでに駐車場所も考えておくといいですね。

周辺の民間信仰

辻の民間信仰
辻の民間信仰

玄生公民館からオオスギサマに向かう道は途中で二股になっています。どうも片側は道路として使われていたようですね。いまは畑に通じており利用できなくなっています。

石碑がいくつか並んでおり、そのうち2つは二十三夜とあるので月待ち講。これはどこにでもあります。

犬卒塔婆
犬卒塔婆

若干珍しいのはY字の木。いわゆる犬卒塔婆いぬそとばですね。犬を供養するために用いられる卒塔婆で、不思議と辻に立てられることが多いのです。鉾田市は他の地域より見る機会が多いと感じます。

ただ、御札と比べて時間が経っているように見えるので、現在はこのあたりで一般的な信仰といえないのかもしれませんね。

寿徳寺の御札
寿徳寺の御札

さらに面白いのは御札。長慶山寿徳寺じゅとくじは烟田にある曹洞宗のお寺。烟田氏の菩提寺です。新宮神社(旧村社)のすぐ北にあるのでお参りするのもよいでしょう。御札の文字はおそらく「大般若理趣分」。護符ですね。

加波山神社の御札
加波山神社の御札

もうひとつの御札は猛烈に読みづらい。でも加波山かばさん神社のもので間違いないでしょう。同社は桜川市から石岡の八郷に連なっており、江戸時代は山伏の活動が盛んでした。県南地域の天狗といえばここが一番有名かな。

どうしてここに加波山が?しかも共有地とも言える辻にあるということは、地域の信仰といえると思います。

この辻はオオスギサマから100mほど離れた場所。いくつもの民間信仰がうかがえ、オオスギサマもそのうちのひとつ、あるいは延長線にあるのではないでしょうか。

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新宮神社は速玉男命を主祭神とする熊野系神社です。本宮を新宿、中宮を長泉寺に祀り三社一体です。

オオスギサマ

オオスギサマの全体像
オオスギサマの全体像

こちらが道路から50mほど奥まった場所に安置されたオオスギサマ。胴体を柱にくくりつけて固定されています。明らかに異様な姿をしているのですが、民家から離れた場所にあるせいか風景には馴染んでいます。

正直なところ、初見ではかなり不気味に感じたものです。そもそも天狗は鬼の類なので、人にとって親しみがもてるものではありません。そのあたりの捉え方も山伏の目線ではないかと思います。

それにしてもオオスギサマの姿形は面白い。天狗や道祖神の性質をあらわしているのは分かるのですが、地面に届くほど長い腕はどうでしょうか。

神ともいえる重要な存在なので、だれかのいい加減な思いつきで姿が決まるとは考えにくい。なにか典拠するものがあると考えています。それがなにかまでは分からないのですけれど。

千勝神社の神紋(社紋)
千勝神社の神紋(社紋)

ちょっとだけ頭をかすめるのはサルタヒコを御祭神とする千勝神社(下妻市)の神紋です。シルエットが同じように見えませんか?サルタヒコは天孫降臨を道案内したとして道案内の神や道祖神とされています。

しかし形が似ているからと言って関係性があるとはいえません。オオスギサマはその由来から神格までサルタヒコとはまったく違うのですから。

種字(梵字)の「キャ」
種字(梵字)の「キャ」

オオスギサマはもともと三輪山の神です。ということは、オオモノヌシやオオクニヌシ(オオナムチ)との関係を考えたほうがよいのですが。。上は種字の「キャ」。三輪山の神の本地仏ともいわれる十一面観音のシンボルです。

とはいえ、三輪山の神の本地仏は大日如来とする説も広く知られるところなので、十一面観音と結びつけようとするのは必ずしも適切とはいえないと思います。

大杉神社、加波山神社、熊野神社(新宮)など、当地玄生にはいくつかの系統の山伏が訪れていたことは間違いありません。そのうちのいずれかがこうした造形をもたらしたとも考えられますね。

柱にしばられたオオスギサマ
柱にしばられたオオスギサマ

これはわたしの仮説に過ぎませんが、オオスギサマは製作は今も昔も大きな手間がかかりますから、わざわざ難しい形にしたことには意味があると思うのです。見物した際にはぜひあれこれ考えてみてくださいね!

オオスギサマの製作過程のお写真は『秋田人形道祖神プロジェクト』でご覧いただけます。

まとめ

・鉾田市の烟田内の玄生地区には「オオスギサマ」と呼ばれる大人形がある

・オオスギサマは疫病を防いだり、地域の守り神とされている

・オオスギサマの姿には何かモチーフとなったものがあるかもしれない