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- 由緒とご祭神
- 五行説における猿田彦命について
- 御朱印のいただき方
神社といえば多くの場合、江戸時代以前に建てられていて150年以上経過しているものがほとんど。
有名神社はその中でも特に由緒がある、つまり歴史のある神社というわけですが、近年建てられたものでも地元では知られ参拝者で賑わうことがあります。
そのひとつが今回紹介するつくば市の千勝神社。下妻の元宮から遷座されたのでそちらまで含めれば非常に歴史ある神社です。
千勝神社とは
由緒
ご祭神は猿田彦命です。天孫降臨を助けた神様で天狗と似た見た目をしており、「導きの神」としても知られています。
猿田彦命は「謎の神」と言われることが多いのですが、特徴的な風貌で神話の記述は他の神よりも明らかに多いので、個人的にはさほど謎めいていないと思います。
おそらく系譜が不明なことと対面した瓊々杵命一行が猿田彦命の存在を知らなかったためそのようにいわれるのではないでしょうか。
当社は坂井(下妻市)の千勝神社から分霊して創建されました。パンフレットには次のように説明しています。
社伝によりますと、その土地の人々が、度重なる水害に困り果てていたところ、白鳥に乗られた大神様がご降臨され、平安を取り戻すことが出来たとされています。
以来、幾度か鎮座地も遷されましたが、五百数十年前に現在の茨城県下妻市坂井の地に報賽され、今日に至るまで、御神徳を仰ぐ崇敬者の方が絶えません。
興味深いのは水害のある地に祀られていたこと。現在地(泊崎)も地図を見ればわかるようにかつては同様の心配があったことでしょう。
また、猿田彦命を祀る神社は県西だと雨引千勝神社(桜川市)が有名ですが、「雨引」とあるようにやはり水とは深い関係です。このことは猿田彦に対する信仰を考える上でとても大切だと思います。
今回は詳しく紹介しませんが、猿田彦命は『記紀』の記述から五行説における土気と捉えられており、「土剋水」の法則(五行相剋)を期待され水害(水気)を避けると考えられてきました。
以前ブログにした船玉神社(筑西市)の「船玉(船魂)も土気とされますので同記事をご覧になれば猿田彦命に対する理解がより深まるかと思います。
創建した502年の干支は壬午。午は火気の正位でもっとも火気が盛んになるとされます。そして火気は「相生」の法則により土気を生む(火生土)ことから、土気を祀る当社にふさわしい年とされたのかもしれません。
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【元帥陸軍大将も研究】本木の雨引千勝神社|桜川市【道案内の神】
アクセス
最寄りICは常磐道の谷田部IC。下りて約12分ほど。神社周辺は三方が川と牛久沼によって囲われています。ここは本当につくば市なのかという気分。。
駐車場は2箇所に渡り大変広大です。社殿に近いのは北側で階段もありません。
北西の駐車場は少し歩きますが、大鳥居をくぐる基本的な参拝ができますので、個人的にはそちらをおすすめします。
名称 | 千勝神社 |
---|---|
住所 | 茨城県つくば市泊崎173 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
大鳥居と社号標
社殿近くに車を停める方が多いかと思いますが、参拝するならぜひここから!創建から100年も経たずにここまで巨大な鳥居と境内を持つ神社は珍しいと思います。
鳥居の材質は台湾檜、高さは約10mで柱の太さは90cm(目通り)と巨大。檜の鳥居としては日本屈指の大きさだとか。
社号標は鎮座25周年を記念して明治神宮の宮司が筆を執りました。寄贈者の「東京福勝講」は元宮との関係が深い講で、そのうち上京した方々を意味するのでしょうか。
『茨城県神社誌』によると当時の元宮の氏子はわずか10戸余り、ところが崇敬者は2500人とあります。一般の神社と少し違った信仰の広まりがあるようですね。
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歌碑と初代宮司
参道の右手にひっそりと歌碑が建っていました。近くの石碑を見ると初代宮司である千勝重次の遺歌集から選ばれた一首とのこと。
石碑には同宮司の経歴も書かれており、それによれば國學院大學の文学部に進学し折口信夫に師事したとか。民俗学者として柳田國男に並ぶ偉大な方ですね!
折口信夫は歌を深く親しんだ方なので、弟子もとなると感慨深いものがあります。それに歌と猿田彦命はじつは深い関係があったりして。
社殿
晴れた日は太陽を正面に参拝するのでカメラによる撮影はなかなか難しい。参道から離れて撮ってみました。
敷き詰められた砂利の上に石畳が敷かれ、整然とした通路ができあがっているのがわかるでしょうか。
拝殿はおそらく鉄筋コンクリート。かなり頑丈な造りです。屋根以外のほとんどの部分は朱色に塗られていてまるで稲荷神社のよう。
お賽銭箱にある神紋(社紋)をドアップ撮影。わたしはここでしか見たこと無い神紋。なんとなく羽を広げた鳥のように見えますね。う〜ん、神社の方に聞いてみればよかった。
Twitterで尋ねたら「千」の図案化ではないかとのこと。素晴らしい発想。なにか別のモチーフと組み合わさっているのかもしれませんが、もはやそうとしか思えない。
巨大な拝殿と両脇に摂社がある関係で本殿を見ることは叶いませんが、公式サイトやパンフレットでその姿が見れます。三連の本殿はとっても珍しい!
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山根彦神と八栄根彦神
当社は本殿の左右に摂社を設け、それぞれ山根彦神(左殿)と八栄根彦神をお祀りしています。
摂社の「左右」は本殿から見てのことなので、参拝者側だと本殿を正面に見て右側が左殿、左側が右殿です。右大臣・左大臣と同じことですね。
それぞれ『古事記』『日本書紀』および日本神話にない神でパンフレットでは次のように説明されています。
山根彦神は、私たちの願いや祈りが大神様により強く届きますよう、また大神様の御神徳を人間が支障無く受けられますよう教え導いて下さる仲立ちの神様です。
加えて、学問の神・教育の神としての御神徳が顕著で、試験合格・学業成就・人間育成を願う人々が崇敬しています。
左殿は天満宮のような位置付けなんですね。摂社ということで猿田彦命との関係が深く本殿と合わせてお参りするようになっているのでしょう。
続いて右殿について引用します。
摂社右殿は「祖霊浄魂社」と称し、霊界浄化を目的とした、祖霊神たちの修行の場となる御社として建立されました。
八栄根彦神は、山根彦神に次ぐ千勝大神の随神であり、祖霊浄魂社で修行を重ね、高きを目指す祖霊神たちを導く守護者として、お祀りされています。
左殿とはだいぶ趣が異なっており、強い宗教性を感じます。建物の張り紙には「成仏の世界」の言葉が用いられており、仏教的な世界観の中に神や魂を位置付けているようです。
神葬祭は江戸時代にもありましたし、神道は死後の世界を否定しません。わたし自身も神葬祭にお世話になっております。
とはいえ、当社最大の特徴はここにあると思います。難しく感じる方が多いはずなので、神社側のスタンスの確認のため令和2年(2020年)の当社フォーラムの案内にある宮司のプロフィールを引用します。
創建1500年の千勝神社社家に生まれて、18歳の時にご祭神である猿田彦大神様がお下がりになり、「代人」という特殊な霊能を授かりました。
以来、半世紀近くに渡り様々な方々の悩みや苦しみに向き合い、自らも高き成長を求め、御嶽山や三峰山にて行を続けて参りました。
その間、数々の心霊体験と、魂の存在や見えない世界のしくみ、人間の生きる使命など、多くの御神教を授かりました。
それらの御神教を一人でも多くの人々にお伝えし、先行きが不透明で誰もが不安を抱えるこの時代を、より力強く、より幸せに生きるための知恵として活かして頂きたいと願っております。
「特殊な霊能」といった表現を踏まえると、右殿は一般的な神道とは異なった性質があるといえるでしょう。それが良いとか悪いと言いたいのではなく、特別なものとして慎重に接する必要があるかなと思います。
ある意味で非常に現代的な神社なので、いつもと違った参拝を体験できるのではないでしょうか。ちょっと変わった点を探しながらというのも楽しいですよ♪
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御朱印
千勝神社の御朱印です。社殿から向かって左手の社務所でいただけます。
社務所の受付時間は9:00〜16:30頃。このご時世なので書き置きのみの可能性があることをご了承ください。
まとめ
この記事のまとめ
- 元宮は下妻。伝説では武烈天皇の時代からはじまる
- ご祭神の猿田彦命は導きの神。五行説では土気に配当される
- 御朱印は社務所でいただける。書き置きのみの可能性あり
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。