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かすみがうら市にはわたしが見たいお祭りが二つあります。ひとつは牛渡鹿島神社の「へいさんぼう」。もうひとつが深谷八坂神社の「藤切り祇園祭」です。
いずれも奇祭と呼ばれる特殊なお祭りで実際に見ることが分かることが多々あるのではと思います。今年はコロナ禍を乗り越えて開催されるかもしれませんので楽しみです。
この記事では深谷八坂神社について出来る限り詳しく紹介しますので、もし興味を持たれましたらぜひお祭りの方にも足を運んでみてください。わたしも行きます!
由緒
6月15日、遷宮して創建
※『新治郷土史』より
ご祭神は建速須佐之男命です。ただ、当社の場合は明治以前の牛頭天王にちなんだ「天王さま」のほうで呼ばれること多いようです。
このブログでご紹介する神社は明治期以降になんらかの社格を得ていることが多いのですが、当社は無格社です。明治以前は地域というより一族や個人によって祀られていたのかもしれませんね。
しかし、明治20年以降になると現在文化財に指定されている藤切り祇園がはじまり周辺地域の崇敬を集めたようです。後述しますが、深谷の五地区が参加するユニークなお祭りです。
また、詳しいことはわからないのですが、古くは当社を西の宮とし東の鹿島神社(旧村社:元禄期に創建)と対だったとか。じつは元禄期の裁許状は鹿島神社と一緒に授かっています。
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アクセス
最寄りICは常磐道の土浦北IC。下りてから約20分ほど。最寄りの駅はありませんので、参拝はほぼ車になるかと思います。
駐車場はありませんが、鳥居の手前に二台ほどであれば駐車可能です。
名称 | (深谷)八坂神社 |
住所 | 茨城県かすみがうら市深谷1379-2 |
駐車場 | 神社は鳥居前に2台ほど駐車可。 ただし、例祭の日は停められない |
Webサイト | なし |
鳥居
鳥居の前に車を停めていざ参拝。鳥居と社号標は近年建立されたようなので新しさを感じます。
社殿は南向きなのですが、手元の『茨城県神社誌』には東向きとありました。もしかしたらこの50年ほどの間に再建されたのかもしれませんね。
キラキラと輝く扁額。堂々と「牛頭天王」とあり、神仏分離を乗り越えた感があります。もともとの祭神なのですから相応しい扁額だと思いますが、謎の多い神なので一般的には広まりにくいかな。
こちらはおそらく宝暦に建立された鳥居の跡でしょう。鳥居再建の時期を考えると東日本大震災の影響があったのかもしれませんね。
手水舎と神輿殿
まったりと参道を進みます。特別なことは何もないのですが、神社とは本来そういう場所だと思うんですよね。
努力して変化させる日常に対して何年経っても変わらないであろう風景はどちらも大切ではないでしょうか。
平成元年に再建された手水舎。小さな棟札には宮司をはじめとした関係者のお名前。こういうのって後で色々と振り返る材料になるので散策する者にとってはありがたいです。
こちらは神輿殿のようです。奥に見える社殿もそうなのですが、なぜか青色。珍しいな〜と思いながらも最近青い社殿を何度も見たような。意外に多いのかもしれませんね。
社殿
素朴な拝殿。入口とある部分他に戸が動かせるようになっているようです。中を見る機会はほとんどないと思いますので、後ほど掲載する祇園祭の動画でご覧ください。
面白いのは本殿の方です。千木、鰹木、大棟は修繕の際にメタリックにしたようですが、彫刻は古いまま。蟇股には彩色された干支のウサギ、トリ、トラが見えました。トラは猫みたいですけど。。
こちらは太刀を持った男と捉えられているサルでしょうか。男の衣装は中華風なのでなんらかの故事に基づいているようです。勉強不足でわからないぞ。。
少し残念なのは本殿の彫刻には欠けている部分があり、それがなんとなく人為的に見えること。罰当たりな人がいるのかもしれませんね。
本殿の後ろに御神木。足元の祠には狐がありましたので稲荷神社でしょうか。
なお、当社頒布の由緒書によると境内社は天神社(祭神:菅原道真)と鹿島神社(祭神:武甕槌命)の二社なので、そのいずれかなのかもしれません。
もうひとつの祠は手水舎の向かいの辺りにあります。二社とも御神木とセットになっているのは興味深いところですね。
五行説で読み解く「藤切り祇園祭」
当社の最大の特徴は明治期にはじまったといわれる藤切り祇園祭です。市の無形文化財に指定されており、次のように説明されています。
八坂神社を祀る深谷地内の5集落が、5年に一周する巡周りで、上当(頭)・下当(頭)をつとめます。宵祇園の日の午後、御輿の小浜下りが始まり、その帰途に御輿が藤切り坂にさしかかると、下当(頭)の若衆が土手(頭)の上で藤づるを力いっぱいまわして、これをさえぎります。上当(頭)の者は、薙刀で四苦八苦してこれを切り、次に、坂の上にある大魚をナタで切り、御輿が通ることができ藤切りの行事が終了します。
藤切り祇園祭/かすみがうら市(公式)
これには、幾多の困難をのりきる意味があり、疫病退散や五穀豊穣、民生安定を祈願する行事です。
深谷八坂神社の祭礼で、毎年7月第4土曜日の宵祇園の日に行なわれます。
文章だけではピンとこないと思いますので、ぜひYouTubeをご覧ください。わたしも実際には見たこと無いので大変参考になりました。ありがたいことです。
さて、動画や解説によってなんとか起きていることは理解できてもその意味までは掴めないのではないでしょうか。どうしてこんなにハードなことをするのでしょう。
常識ではわからないことなので五行説の法則をもとに考えてみます。
まずは「藤切り」の前に祇園祭について押さえておきます。祇園といえば例外なく旧暦の土用に行われる祭りで主に疫病除のためといわれます。
土用とは季節の終わりの時期のことです。旧暦の夏は4〜6月なので6月中旬〜下旬が土用にあたります。旧暦を使っていた時代、祇園は6月21日と25日に行われていました。
土用の期間は「気」が不安定のため体調を崩したり病気が流行したりするので、牛頭天王の神徳に頼って祇園祭をしたわけです。しかしなぜに牛頭天王なのか。
牛頭天王は来歴のよくわからない日本発祥の神です。ただし、夏の土用に祭りがあることと「牛(丑)」を冠する名前を持つことから、ある程度の神格は導き出せます。
上は五行説の配当表です。五行説は万物を五気に分類してその関係を説明するものです。暦や季節、方位まで分類することが可能で、たとえば旧暦の6月は火気であり季節は夏に属しています。
夏の土用が人間にとって危険だとすればどうすればいいでしょうか。じつは気には優劣があるので弱点を狙えばいいのです。気の優劣は「相剋」という関係で示されます。
火気の6月は水気が弱点ですが、季節の終わりの土用でもあるので土気を併せ持ちます。水気の弱点は土用ですから分が悪い。しかし、火気と同じ水気の土用であるなら弱点が克服されます。
水気の土用は十二支では丑(牛)が充てられます。牛頭天王の祭り(祇園祭)が夏の土用にあるのはこのような理由からではないでしょうか。
こうして五行説で考えていくと藤切り祇園祭の狙いも見えてきます。「藤」は上から下に伸びる特性から五行説では水気。ナタで切られる「大魚」は鱗を持つ生物なので木気に配当されます。
そして人間を土気、ナタを金気であると考えると「藤切り」は土気を強める意味があると思います。土気は水気を負かしますが、木気に弱い。だから木気を弱点の金気で切って弱らせる。
なぜ最終的に土気を強めるかと言うと、五行説には「相生」という気の親子関係があるためでしょう。土気は金気と生むとされ、金気には季節の「秋」が配当されています。
夏の土用を終わらせるために次の季節を呼び込むわけです。かなり複雑に感じるかもしれませんが、神社の祭祀や日本の民俗にはこのような思想で成り立っていると思います。
なお、県神社庁が発行する『茨城の神事』によると、昔から動く藤つるを切れないことは多々あったようです。その場合は上当が下当に詫びを入れて切らせてもらうのだとか。
しかし、それは弱点である土気を克服するほどの強力な水気という意味ですから、火気(夏)を弱めるために有効です。火気は「火剋金」の法則により金気を弱めるため秋を遠ざけてしまうのです。
つまり、切っても切らなくても都合がいい神事なのでしょう。よく出来ていますよね。
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御朱印
八坂神社の御朱印です。基本的に境内に神職は常駐しておりませんので社務所兼宮司宅にお電話してからいただきます。
近年は書き置きを用意されているようですが、宮司の都合もありますのでいただけないこともあるかと思います。
・江戸時代に創建、藤切り祇園祭が有名
・藤切り祇園祭は夏を終わらせ秋を迎える狙いがあると思われる
・御朱印は宮司に電話してからいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。