【かしまみしま】西木倉の諏訪神社と豊喰の天満神社|那珂市【兼務社】

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この記事では那珂市後台の鹿嶋三嶋神社の兼務社を二社ご紹介します。

いずれも鹿嶋三嶋神社の近くに鎮座し、参拝すれば御朱印もいただけますので合わせて巡ってみてはいかがでしょうか。

ちなみに、御朱印をいただくのは必ずしも参拝後でなくても大丈夫です。回りやすい順番でどうぞ。

【かしまみしま】後台の鹿嶋三嶋神社|那珂市

諏訪神社(西木ノ倉)とは

西木ノ倉諏訪神社

西木ノ倉諏訪神社

由緒

天正18年/1590年
創建
諏訪の神霊を迎えて創建
元禄6年/1692年
社務交代
祭祀が同村の密蔵院から豊喰新田の山伏・大竜院に交代
元禄7年/1694年
社殿修営・祭典厳修
水戸藩主・徳川光圀の命により修験玉蔵院が祭典を厳修。社領四石六斗二升四号
元禄9年/1696年
境内社:諏訪八幡社潰
鎮守帳に「諏訪上下神、諏訪明神社、豊喰村大竜院、神体幣、諏訪八幡社潰、社領四石六斗二升四号」とある
明治6年/1873年
村社列格
昭和12年/1937年
大鳥居建立
昭和32年/1957年
本殿および拝殿の屋根改築

ご祭神は建御名方たけみなかた八坂刀売やさかとめです。前者は諏訪神社の本営である諏訪大社の主祭神です。かなり有名ですよね。後者は建御名方命の妃神です。

建御名方は「国譲り」の神話で武甕槌命に挑み敗北。逃げ延びた信濃で守護神となったといわれています。武士の崇敬が篤く、川や湖の近くに水神として祀られているのをよく目にします。

由緒で興味深いのは元禄7年(1694年)ではないでしょうか。義公が修験に祭典を任せています。義公は神仏習合を嫌ったといわれるのに、なぜ神仏習合の権化のような修験を許したのか。

じつはこうした事例はよくあります。おそらく神仏習合というよりも当時の寺や僧侶に問題があったためでしょう。水戸藩に限らず寺は寺請制度により盤石の経済を持ち、権力になっていました。

藩主や儒学者、神職との関係は微妙で、それにより明治を契機に廃仏毀釈と呼ばれる揺れ戻しがあったのではと思います。

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義公の改革は偏ったパワーバランスを調整したのではないでしょうか。義公亡き後、元の神仏習合に戻ったところが多いのですけどね。

アクセス

鹿嶋三嶋神社(後台)から約3.5km。駐車場はありませんが、鳥居の近くに駐車スペースがあります。

鳥居は地図の印の東側です。118号から入るのが基本だと思います。

名称 諏訪神社
住所 茨城県那珂市西木ノ倉1
駐車場 なし
※鳥居そばに駐車可

境内

手水舎

手水舎

車は向かって左手のスペースに駐車しました。狭い道路ですが、一応通路は確保してあります。

境内はシンプルなもので、杉並木の参道を100mほど進み、簡素な手水舎で禊。

拝殿

拝殿

入母屋造の拝殿で参拝。しばらくしてから再び参拝すると賽銭どろぼうのことが。。罰当たりな人がいるものです。

本殿

本殿

本殿の神紋に卍。徳を表すインド由来の記号なのでお寺で目にすることが多いと思います。社殿にあるのは神仏習合の名残かと思います。

本殿の扉が2つに分かれているのは、建御名方命と妃神のそれぞれのためでしょうか。粋な造りです。

境内社

境内社

比較的、さいきん建てられたと思われる境内社。天満、稲荷、大賀、浅間、竈、疱瘡神社です。やや珍しいのは大賀神社(宇迦御魂)と竈神社(奥津彦命・奥津姫命)でしょうか。

他にも天照大杉神社、吉田神社(別名不動明神)なる珍しい境内社があるのですが、どれだか判別できず。分かる方、教えて下さい!

御朱印

西木倉諏訪神社の御朱印

西木倉諏訪神社の御朱印

諏訪神社の御朱印です。

本来、御朱印は参拝後にいただくものですが、これから参拝する旨をお伝えすればいただけます。

天満神社(豊喰)とは

豊喰天満神社

豊喰天満神社

由緒

元禄10年/1697年
創祀
字久保に勧請
享保15年/1730年
創建
鳥喰新田にあった山伏・大竜院の山を鎮守山として字北野に創建
明治6年/1873年
村社列格
昭和3年/1928年
社号標建立
昭和62年/1987年
大鳥居建立

ご祭神はもちろん菅原道真公です。

上記の由緒は『茨城県の地名』を基にしています。『茨城県神社誌』にないことが数多く書かれていますが、郷土史家が書くことなので出典は神社周辺の古文書かと思います。

創祀と創建がわかれていますが、神社として祀られたのは創建からということでしょう。大竜院は前述の諏訪神社の社務も担った山伏なので、この辺りでかなり名前の通った人物だったようですね。

山伏とは山で修行に励む者のことで行者(修行者)とも呼ばれます。修行の末、何らかの能力を身につけると修験(者)となります。修験となるための修行や思想が修験道です。

修験道はストイックでかっこいいですよ。神道や仏教、道教、儒教などさまざまな知識を身に着け体も鍛える。禁欲的で女性や権力と距離を置いているのも特徴ですね。

ただ、禁欲的なためか修験の活躍は後世にほぼ伝わっていません。欲があれば出世したり自分で書き残すことで名前が残ったと思いますが。。それが義公など権力者が信頼した理由とも思います。

アクセス

前述の諏訪神社から約1.8km。本務の鹿嶋三嶋神社とあわせて一日で三社めぐりことは容易です。

神社の駐車場といっていいかわかりませんが、境内隣の公民館に止められます。

もしそちらが利用されていても、鳥居のそばに駐車できます。

名称 天満神社
住所 茨城県那珂市豊喰1
駐車場 あり

境内

拝殿

拝殿

鳥居の先はすぐに社殿です。昭和40年代の写真を見ると茅葺の屋根。いまの銅板はその後に葺替られたようです。

本殿

本殿

本殿はやや珍しい女千木で鰹木二本の流造。近年、修営したと思われる跡がありました。

境内社

境内社

境内社の社号はわかりません。ただ、記録によると薬師祖神(祭神:大国主)や第六天王(祭神:素戔嗚命)を祀っていたようで、神仏習合はかなり色濃かったようです。

扁額

扁額

ところで、当社は那珂市の豊喰という場所に鎮座していますが、昔は豊喰を「鳥喰(村)」と呼んでいました。改称したのは明和元年(1764年)とされています。

江戸時代初期、同村は非常に貧しく、住民がすべて去ってしまった歴史があります。そこにお隣の西木倉村から山田又左衛門がやってきて開墾。百姓を呼び寄せるほど成功し、「豊喰」と改称するほどに至りました。

西木倉村は前述の諏訪神社のある村です。2つの村は色々と助け合ってやってきたんですね。

御朱印

豊喰天満神社の御朱印

豊喰天満神社の御朱印

天満神社の御朱印です。ぜひ諏訪神社とセットでいただきたいですね!

まとめ

この記事のまとめ

  • 諏訪神社(西木倉)と天満神社(豊喰)は鹿嶋三嶋神社の兼務社
  • 二社と鎮座する二村は歴史的に繋がりがある
  • 御朱印は鹿嶋三嶋神社の社務所でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/出版:平凡社

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