大甕神社と宿魂石の伝説|日立市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

ついに大甕おおみか神社ブログを書いてしまいます!

だからなに?という感じですが、興味深いお話がいくつもある奥深い神社なんです。一気にご紹介するのは難しいのでまずは基本編ということで。

大ヒット映画の『君の名は。』のスピンオフ作品の小説でモチーフとされたといわれています。ご祭神が同じなんですね。では、そのご祭神とは一体?まったりとご紹介したいと思います♪

この記事でわかること

  • 由緒・ご祭神について
  • 香香背男伝説について
  • 御朱印のいただき方
大甕神社
大甕神社

由緒

以下の由緒は主に『茨城県神社誌』を参考にしています。

皇紀元年/紀元前660年
創建

初めは久慈郡石名坂村の大甕山に鎮座

元禄6年/1693年
建葉槌命を勧請

倭文大明神(建葉槌命)を勧請し、茅根氏を神官として祀る(水戸藩『鎮守帳』より)

元禄8年/1695年
遷座

水戸藩主・徳川光圀の命により社殿を宿魂石の上へ遷す

明治6年/1873年
村社列格
明治40年/1965年
供進指定
昭和27年/1952年
宗教法人設立
昭和7年/1932年
旧宮の碑を建立

昭和8年/1933年
拝殿造営
昭和8年/1933年
「笑龍」奉納

後藤桂仙による笑龍が奉納される。(拝殿正面)

昭和26年/1951年
社務所新築

昭和29年/1954年
本殿造営
昭和47年/1972年
神輿殿新築
平成元年/1989年
祖霊殿建立
令和4年/2022年
神門(楼門)竣工

11月「令和の記念事業」として進めていた神門建立が竣工する

令和5年/2023年
神門(楼門)完成式

*7月16日

ご祭神は武葉槌たけはつち。配祀神として猿田彦さるたひこ。そして摂社に甕星香香背男みかぼしかがせおをお祀りしています。

「建」葉槌命の名前が一字変わっているのに気付かれたでしょうか。建葉槌命といえば、常陸国の二の宮・静神社のご祭神で機織の神様です。それになぜ「武」の字が充てられているのか。創建にまつわる次のような由緒があるためでしょう。

当社の創祀は詳らかではありませんが、社伝によれば皇紀元年(紀元前660年)とあります。
鹿島・香取の二神が、服わぬ国津神・草木石類にいたるまで平定いたしましたが、唯一、甕星香香背男と称する星神を征服することができずにおりました。そこで二神に替わり大甕の地に趣き地主神の霊力を宿魂石に封じたのが倭文神武葉槌命であったと伝えられています。

大甕神社パンフレットより引用

武甕槌命(鹿島神宮祭神)と経津主命(香取神宮祭神)が征服できなかった香香背男を封じた、つまり武葉槌命は「武」勇に優れた神というわけですね。

上記の由緒は『日本書紀』とほぼ同じです。ただ、同書には大甕と関連付ける記述がないため、なんらかの理由で別の物語と習合したと考えられます。

当社境内の宿魂石しゅくこんせきは、日本書紀の香香背男の項にない事柄で当地の民話と深い関係を持っています。この辺りについては後述します。

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香香背男は日本書紀にのみ記載された星神。悪神として名指しされており、尊称である「神」や「命」の文字がありません。つまり呼び捨て。香香背男を悪神とする理由は「従わない」だけなので少々気の毒に思います。。
文化財一覧

昭和46年(1971年) 樹叢(天然記念物)

『日本書紀』の神代下には香香背男の別名として天香香背男あめのかがせお天津甕星あまつみかぼしがあり、天津神であるという説も記載されています。

アクセス

最寄り駅は常磐線の大甕駅。下りて徒歩15分です。最寄りICは常磐道の日立南太田。下りて国道6号を北へ10分ほど。

南側鳥居
南側鳥居

(上りの場合)6号の「日研入口」を右折すると右手に駐車場が見えてきますよ。下り方面に進んでいるなら直接境内に入って停められます。

名称大甕神社
住所茨城県日立市大みか町6-16-1
駐車場あり
Webサイト公式サイト
SNSInstagram

大鳥居と神門

大鳥居
大鳥居

国道6号側から入るとこちらの大鳥居。神額(扁額)には「大甕倭文神宮」、社号標には「大甕倭文神社」と彫られています。

倭文神はご祭神の建葉槌命のこと。命は甕星香香背男を誅伐した後、当地で倭文布を広めたのだとか。また、甕星の乱を平定させたことから当地を甕の原と呼ぶようになったといわれています。

駐車する場合は鳥居周辺の空きスペースになります。境内が変則なのは土地開発の結果ですね。

楼門(令和5年竣工)
楼門(令和5年竣工)

大鳥居の後ろにある巨大な建物は神門です。令和の記念事業として建設がはじまり、令和5年に竣工しました。屋根が2つあるので楼門にあたります。

これだけ立派な門が建てられたのですから、多くのメディアによって報道されました。その時の東京新聞の記事から引用します。

 茨城県日立市大みか町の大甕(おおみか)神社で十六日、新築の神門の完成式と例大祭があった。
 神門は「令和の記念事業」として昨年末から建設していた。高さ十三メートル、幅八メートル。室町時代の神社建築の様式に、さまざまな意匠を加えた勇壮なつくりになっている。
完成式は午前にあり、神社や工事の関係者、氏子ら約七十人のほか、神門を見ようという人たちも集まった。朝日敬與(けいよ)宮司が神事を執り行った後、門のくぐり初めをした。
例大祭はこれまで六年に一度、五月五日に行っていた。昨年から「地域に定着させたい」と毎年行うことに改め、今年は日程を神門の完成式に合わせた。

日立・大甕神社 新築の神門が完成 例大祭も開く|東京新聞

例大祭の日に完成式が行われたのですね。そして六年に一度としていた例大祭が毎年行われることになったと報じられています。その日のようすは石川あきまささん(県北地区の衆議院議員)のブログでご覧いただけます。

大甕神社は近年になって大変活気があるように見えます。様々なメディアで取り上げられているのでお名前を耳にする機会も増えました。神門の建立はその集大成という感じですね。

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例大祭については年数というよりも特定の干支の年に催すことに重視があるのではと個人的に思うので、毎年やるのはいいのですが過去はこうだったと伝えてほしいなと思います。

境内は6号の反対側にも広がっています。祖霊殿や旧宮跡、境内社の久慈浜稲荷神社はそちらに置かれています。

甕星香香背男社

甕星香香背男社
甕星香香背男社

大鳥居をくぐり少し進むと右手に社務所兼授与所、直進方向に社殿が見えてきます。上の写真は甕星香香背男社。地主神の甕星香香背男が祀られています。

神紋は星。さすが星神ですね。ただ、平安時代までさかのぼるとこの記号(五芒星)は星ではなく五行説を示していました。(当時、星を示す記号は丸)

香香背男社の扁額
香香背男社の扁額

五行説は大陸から渡来した「万物は五元素で成る」とする思想で当時の天文学などと織り交ぜ陰陽道として実用されていました。その陰陽道、じつは当社とも関係している気がするのですが。。

社殿の彫物で印象的なのは脇障子。おそらく天の岩戸のワンシーンです。アメノウズメが岩戸の前で舞い、外の様子が気になってアマテラスが戸を少し開けたところをタヂカラヲが一気に動かしているのでしょう。

祈願札
祈願札

社務所で頒布されている祈願札にはこのような神紋がありました。五芒星がセーマン(晴明紋)になっていて陰陽師・安倍晴明を連想させます。面白いですよね〜!

拝殿

拝殿
拝殿

香香背男社でお参りしたら少し道を戻ってさらに奥へ。主祭神の武葉槌命へお参りです。昭和に建てられた拝殿ですが、非常に厳かな雰囲気です。暗くなると並べてある提灯に明かりがついてなんとも幻想的になるんです。

狛犬と拝殿
狛犬と拝殿

社殿や狛犬が精巧な造りです。じっくり眺めていたい。。拝殿の右奥にある彫刻もぜひご覧ください。見逃すともったいない!

拝殿の「笑龍」
拝殿の「笑龍」

近年は拝殿正面の唐破風の部分にある「笑龍」の案内板が立てられていました。なるほど笑っていますね!なんども見ているはずなのに気が付きませんでした。「昇龍」を見ることはあってもこれはレア!

脇障子(右)は武葉槌命が香香背男を誅伐するシーンです。短甲と剣で武装した武葉槌命が毛むくじゃらの香香背男を切りつけています。香香背男の表情が哀しい!

敗れた香香背男はどうなったのか。日本書紀にはありませんが、民話では次のように語られています。ちょっと長いですが全編をご紹介。

神代の昔、天照大神の命で武甕槌命、経津主命が日本国内の平定に努めたが、香香背男と称する神が従わず、石名坂付近に一大勢力を築いて抗戦を続けた。その時、命じられて武葉槌命がこの悪神を追いつめ、巨石に変じたところを蹴り上げると、巨石は四方に砕けて飛び散った。その一つは海中に落ち、残りは三か村に分かれて落ちた。また石名坂の坂上に、武葉槌命が香香背男の荒魂を封じ込めた宿魂石が残った。

常陽藝文 2004年/5月号

民話によっては武葉槌命が美しい織物で香香背男を幻惑したとか、金色の靴で巨石を砕いたなどと細かな描写があります。

石が飛んだ先は3か村とありますが、諸説あって定かでありません。過去記事で2社ご紹介していますのでご参考に。他には石神社(東海村)、石船神社(城里町)、手子后神社(城里町)があります。

宿魂石

本殿への登り口
本殿への登り口

香香背男の化身ともいえる宿魂石は拝殿の裏手です。こちらから登っていくのですが、険しい岩場なので靴にはご注意を。雨で濡れている場合は登るのを止めておいたほうがいいでしょう。

宿魂石と鎖
宿魂石と鎖

傾斜が急なので鎖を使います。香香背男社の方から登るなら不要なんですけどね。

登り口の立て札には次のようにありました。

宿魂石
大甕神社創祀の由来となっている「宿魂石」は境界(結界)に祀られた「大甕」と称する磐座です。
当地は古代「大倭国」大和朝廷の支配の及んだ地域と未知の世界「高天原」にも例えられる「日高見国」との境界に見立てられ、磐座には地主神、甕星香香背男が祀られております。

わたしが注目するポイントは当地が境界に見立てられていた点です。境界で思い浮かぶのは道祖神。道路の分岐点などに置かれ「良からぬもの」を遮る役割があるとされています。

また、平安時代に編纂された『延喜式』の祭文(神職の祝詞のようなもの)からも古くから境界を重視していたことがわかります。以下はその読み下し文です。(読み飛ばしても大丈夫)

穢悪けがらはしき疫鬼の、所所村村にかくり隠らふるをば、千里の外、四方の境、東の方は陸奥、西の方は遠つ値嘉ちか、南の方は土佐、北の方は佐渡より乎知ちかの所を、汝たち疫鬼の住みかと定めたまひけたまひて、五色の宝物、海山の種種くさぐさ味物ためつものを給ひて、けたまひ移したまふ所所方方に、すみやかに罷き往ねと追ひまふとる。かだましき心をわきばさみて、留まり隠らば、大儺だいなきみ小儺しょうなきみいつくさつはものを持ちて、追ひ走り刑殺ころさむものぞとこしたまへと詔る。

陰陽師たちの日本史/斎藤英喜

「疫鬼」に宝物や食物を与えて遠くへ移り住んでもらおうとする祈りの言葉です。じつはこれ朝廷の陰陽師が使います。災厄をもたらす存在であっても丁重にもてなし争わない姿勢なんですね。

同時代は御霊信仰といって怨霊を祀ることによって御霊(守護神のようなもの)とする思想がありました。当地は陸奥国との境界に位置するので不浄を遮る結界の役割があったのでしょう。立て札の解説とあわせて考えるとあえて悪神を祀ることで協力な地主神としたのかもしれませんね!

本殿

宿魂石の上に鎮座する本殿
宿魂石の上に鎮座する本殿

登りきると本殿です。大甕神社のご神体は宿魂石ではなく本殿に安置されています。

本殿
本殿

本殿をこちらに遷したのは徳川光圀公の命です。それまでは現在地より北側。現在の日立製作所の敷地内にありました。

社殿を遷した理由は定かでないのですが、興味深い伝承があります。かなり長くなりそうなのでそれは別の機会に。。宿魂石の別名が魔王石だったという、なんとも怪しげで惹かれるお話です♪

境界石

境界石
境界石

甕星香香背男社から北側(国道6号側)を見ると、なにやら白い塊が目にとまるかと思います。岩場を歩きながら向かった先にあるのは境界石きょうかいせき。別名を縁切石といいます。

別名からなんとなく意味はわかるかと思いますが、境内にある立て札から引用して紹介します。

「縁結び」を祈願される方は多数おられますが、中には悪しき縁により辛苦困難に陥り、やがて身を滅す事もあります。そのような現世の悪しき縁を断ち切り、開運招福を祈念してお潜り下さい。

人付き合いには時間という制約がありますから、悪しき縁によって良縁を逃すこともありますよね。悪縁は互いにとってよくありませんから、こうした呪力に頼るのも一手かと思います。

Twitterで教えていただいて知ったのですが、同様の石は京都の安井金比羅宮にあります。多少手順は違うものの、いずれも石をくぐることと願い込めて御札を貼ることは共通です。

境界石に貼る札
境界石に貼る札

ただ、当社の場合はそれにあたって特別な祝詞を唱えるしきたりとなっています。それは次のようなものです。

波瑠部由良由良波瑠部はるべゆらゆらとはるべ
布瑠部由良由良布瑠部ふるべゆらゆらとふるべ

これは知る人ぞ知るアレでは。。社紋はともかく道教の御札にありそうなシンボルが意味深ですね。読み上げたら呪術廻戦はじまりそう。ありがたい力と信じてペタッと御札を貼っておきましょう。

御朱印

大甕神社の御朱印
大甕神社の御朱印

大甕神社の御朱印は基本的に2種類。ひとつは社号、もうひとつは地主神の甕星香香背男(天津甕星)です。

例祭の御朱印
例祭の御朱印

お正月や例祭などで限定の御朱印が頒布されます。大甕神社は月ごとの御朱印帳もありますので、ぜひ授与所でチェックしてみてください♪とっても立派な建物なのですぐにわかるかと思います。

令和5年現在、市内の金沢町に鎮座する伊勢神社の御朱印も頒布しております。少し参拝しにくい場所にありますが、お参りしてからいただいてください。

フォトギャラリー

まとめ

・ご祭神は建葉槌命と甕星香香背男

・『日本書紀』香香背男はで星神で悪い神とされている

・御朱印は授与所でいただける。基本2種類+限定。御朱印帳は多種類

参考文献

茨城県神社誌|茨城県神社庁
常陽藝文 2004年|5月号
陰陽師たちの日本史|斎藤英喜

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