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日本人の心にはいつも桜があると思います。ですから日本人のナショナリズムが現れた戦争に桜はつきものなのかもしれません。
先の大戦で阿見町は大きな被害を受けました。空襲によって物理的に失ってしまったものが多いのですが、残ったものもあるんです。そのひとつが旧海軍道路の桜です。
町民や航空隊員、そして予科練生に慕われた桜。現在も春になればその姿を見ることができます。この記事では旧海軍道路に咲く3本の桜をご紹介します。
旧海軍道路の桜とは
阿見町の『旧海軍道路の桜』とは茨城交通のバス停『阿見坂下』〜『阿見坂上』間にある3本の桜のことです。
海軍道路とは1921年(大正11年)にこの地にできた霞ヶ浦海軍航空隊の陸上班と水上班をつなぐ道路。完成したのは1924年(大正13年)で茨城県で初めて舗装(石灰石で固められた)された道路でした。
その頃はまだなにもなく、1929年(昭和4年)10月の昭和天皇御成婚式典記念をきっかけに桜の植樹がされました。大正末から昭和20年の終戦まで約10mの間隔で桜が植えられていたとか。
終戦の年(1945年)までは見事な桜並木だったそうですが。。6月10日の阿見大空襲によって3本を残して失われてしまいました。
ただ。。樹齢93年にも関わらずいまなお驚くような太さ、そして花つきです。この先もまだまだわたしたちを楽しませてくれることでしょう。
この桜は航空隊へ行幸する昭和天皇もご覧になりました。しかも4回。大正11年と13年、昭和4年と17年です。皇族の方もたくさんご覧になりましたので、県内でもかなり特別な桜だと思います。
阿見町が発行している『爺さんの立ち話』には当時の思い出が載っていました。行幸の当日は役場から掃除の徹底や犬猫を離さないこと、家の2Fから見下さないことの指導があったとか。当時の方々にとって鮮烈な出来事だったことが伝わってきます。
阿見の歴史にこの道路と桜は欠かせません。ぜひ春(4月上旬〜中旬)になったら思い出して足を運んでいただきたいです。
アクセス
名称 | 海軍道路の桜 |
---|---|
住所 | 茨城県稲敷郡阿見町 |
駐車場 | なし |
まとめ
阿見坂の3本の桜は霞ヶ浦海軍航空隊と昭和天皇とのゆかりが深いです。
毎年4月上旬〜中旬が見頃です。駐車場はありませんので、安全な場所に駐車してご覧ください。
参考文献
爺さんの立ち話/阿見町
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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