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寺社巡りの目的は人それぞれ。祈願、歴史探訪、御朱印などが一般的ですが、境内の自然に触れることが楽しみということも多いかと思います。春であればなんといっても桜ですね!
今回は春、特にお彼岸の頃になったらぜひ思い出していただきたい筒戸(つくばみらい市)の妙見八幡神社をご紹介します。いわゆる一本桜の名所です!
この記事でわかること
- 神社の由緒とご利益
- 禅福寺との関係
- 枝垂れ桜の見頃は3月下旬から上旬
由緒
以下は『谷和原の歴史 通史編』にある由緒です。
*8月17日
関宿の侍従大和守毎年御供米一俵を寄進
ご祭神は天御中主命です。『古事記』では最初の神としてあらわれ、特に事績なく姿を消します。妙見菩薩の仮の姿として妙見信仰系の神社で御祭神とされます。
社号は「妙見八幡」ですが、八幡神は祀られていないようなので近代になってからは妙見が主体といえるでしょう。そして妙見信仰といえば千葉氏と支流の相馬氏です。
千葉氏の高祖には平良文がおり、平将門と非常に親しい関係であったといわれています。天慶の乱(平将門の乱)を伝える『将門記』の成立にも関与が噂されるほど。
そして妙見信仰の神社には不思議と平将門伝説が多い。それは千葉氏および相馬氏が将門に理解を示しており、後世にも伝えられているのではと思います。
当社の鎮座する筒戸には臨済宗妙心寺派の禅福寺があり、やはり将門伝説があるのです。臨済宗寺院は茨城県内に少ないのですが、県西地域に集中的に見られるのは千葉氏の関係と考えられます。
ちなみに千葉氏の家紋は月星紋・九曜紋です。平将門公を御祭神とする国王神社や将門伝説のある寺社ではお馴染みですから、ぜひ参拝の際にチェックしてみてください。残念ながら当社では見つかりませんでした。
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江戸時代、当社のある地域は天領に属していた。
当社は平良文が創建したという伝説がある。(参考:『平将門伝説ハンドブック)』)
アクセス
名称 | 妙見八幡神社 |
住所 | 茨城県つくばみらい市筒戸3182 |
駐車場 | あり |
Webサイト | なし |
鳥居と社殿
住宅街の一角にある神社。参拝だけするなら5分もあれば充分。周辺を囲むように駐車されていたので、それが見えないように撮影しましたが、これが境内のほぼ全域です。
鳥居や社号標は平成になって建立されているので、信仰的には今も生きているのでしょう。
利用できそうな手水舎は見つからなかったものの狛犬や社殿はしっかりしたもの。社殿には昭和33年に奉納された「神思奉謝」の扁額がありました。神様の思し召しに感謝を奉る、の意味です。
建物はじつは覆屋となっており、中の社殿をすっぽりと覆っています。中を建て替えずに残したところに思い入れを感じますね。
禅福寺の関係
興味深いのは当社と同地にある禅福寺との関係です。上の写真は昭和50年に奉納された禅福寺の梵鐘。そこには「鎮守妙見八幡大菩薩」の銘が見えます。一般的でない社号なので当社を指すと思います。
江戸時代の神社のほとんどはお寺と一体でした。神社の祭祀を僧侶がする場合もあったので、もしかしたら禅福寺が当社に深く関与していたのかもしれません。ちなみにその場合でも神職はいたのでしょう。
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枝垂れ桜
境内のほぼ中央にそびえ立つ枝垂れ桜。見頃となるのは3月下旬から4月上旬です。ネット上ではほとんど情報がないのですが、個人的には県内でもっとも早く見頃を迎える歓喜寺(坂東市)と同時期と捉えています。
幹の太さからすると平成になってから植えられたのでしょうか。枝ぶりは本当に見事だと思います。花びらの鮮やかさも素敵ですね。
ガクの丸みはエドヒガンの特徴だと教わりました。ソメイヨシノより1週間程度早く咲くのですが、ヤマザクラが混じると同じくらいになることが多いです。でもそうした種は少なく、ほとんどはお彼岸の頃が見頃ですね。
神社自体を目的にお参りすることはきっと少ないと思います。でも春の桜巡りの際にはぜひ思い出していただきたいですね。道中の道路は少々狭く感じるかもしれませんが、混雑することはありませんからじっくり楽しめますよ。
・筒戸の妙見八幡神は旧天領に創建された。千葉氏の信仰のあらわれかもしれない
・同地の禅福寺の梵鐘には「鎮守妙見八幡大菩薩」と銘が見える
・枝垂れ桜はソメイヨシノより開花が早い。3月下旬から4月上旬が見頃
谷和原の歴史 通史編|編:谷和原村教育委員会
平将門伝説ハンドブック|村上春樹
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。