北塩子の鹿島神社|常陸大宮市

記事内に広告を含みます

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 田村麻呂伝説について
  • 御朱印のいただき方

茨城県内、特に県北方面でよく目にする坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ伝説。多くは大同2年に蝦夷征討の際に寺社を創建したという話なのですが、これは茨城だけでなく現地ともいえる東北にもよくあることです。

大同2年はすでに平定されているとか、ぜんぶ事実だったらどれだけ寄り道しているんだとかツッコむところは色々。しかし、歴史的な事実としてどうかよりもそのような伝承が広まった経緯のほうが重要でしょう。

個人的には田村麻呂が観音菩薩を信仰していたことから、それに関連付けようとした僧侶が伝説を広めたのではないかと思っています。特に天台宗の影響が大きかったのではないでしょうか。

そんな田村麻呂伝説を伝える神社で、他と少し違った趣なのが北塩子(常陸大宮市)の鹿島神社。ステキな社殿の神社なのでぜひ参拝の参考にしてください!

北塩子鹿島神社とは

北塩子鹿島神社

北塩子鹿島神社

由緒

延暦17年/798年
創建
延暦10年、坂上田村麻呂公が東征の折常陸鹿島の神に祈願して大任を果たした。
将軍が全国53社を勧請、当社はそのひとつに数えられる
江戸期
鎮守社となる
近郷48ヶ村の鎮守であったが、水戸藩主徳川光圀の命により当村(北塩子)の鎮守となる
明治6年/1873年
村社列格
大正6年/1917年
供進指定
昭和10年/1935年
社号標建立
昭和15年/1940年
手水舎奉納
昭和27年/1952年
宗教法人設立
昭和49年/1974年
鳥居建立

ご祭神は武甕槌たけみかづちです。『茨城県神社誌』には甕速日みかはやひ樋速日ひはやひも数えられています。

配祀は次のようになっています。

  1. 伊弉冊命
  2. 素戔嗚命
  3. 大巳貴命
  4. 木花開耶姫命
  5. 菅原道真
  6. 鳴雷神
  7. 倉稲魂命

詳細は不明なものの社伝やそれをもとにしたと思われる『新編常陸国誌』によると、中世には村内の上小屋(上屋敷)にあった館の横山石見守(蔵人とも)の氏神だったそう。

現宮司の苗字から察するに代々横山氏が社司(宮司)を務めてきたようですね。配祀が多いのは江戸期に村社となった際に周辺の神社が合祀されたのでしょう。

創建は県北地域ではおなじみの田村麻呂伝説。しかし当社の場合はいつもの大同年間ではないことと53社のひとつとしている点が他と異なります。明らかに別系統の伝承に由来しているのが興味深い。

また、『新編常陸国誌』によれば神体は「観音」。田村麻呂は『清水寺縁起』などで観音に帰依したと伝えられ、同じく清水寺と田村麻呂の関係を伝える『扶桑略記』では、同寺の創建を延暦17年としていて当社縁起との関連性が伺えます。

当社の場合はご祭神が武甕槌命であることから、「観音」を本地仏とされた十一面観音と考えることもできるでしょう。他社と同様に中世の信仰には社僧が祭祀に深く関与していたと思います。

wata

幕末の水戸藩の影響なのか、『茨城県神社誌』には氏子100戸のすべてが神葬家とあります。県内ではかなり珍しいのではないでしょうか

アクセス

最寄りICは常磐道の那珂IC。下りてから約30分ほど。国道118号を北西に進み、途中293号との合流を西北に曲がる、県道16号とのT字を左折、その先ひとつめの交差点を左折すると左手に見えてきます。

一台くらいであれば鳥居前に駐車可。一度御朱印をいただいことある方なら宮司宅に停めさせていただけるようです。

名称 鹿島神社
住所 茨城県常陸大宮市北塩子2218-2219
駐車場 あり
Webサイト 茨城県神社庁

鳥居

鳥居

鳥居

鬱蒼とした境内だったのでしょうか。近年はかなりこざっぱりしており、神域の雰囲気がずいぶん変化したようです。県神社庁の写真だとしっかり社叢があるんですけどね。

鳥居の先には小さな神鏡が架けられています。もしかしたらかつてはもっと境内が広く、立派な橋があったのかもしれません。境内の縮小は土地の開発と一体であり、多くの寺社は住民のために身を削ってきたわけですね。

鳥居跡?

鳥居跡?

ひとつめの石段を登った先にあるのは旧鳥居の補強?まだまだ整備の途中といった感じです。

wata

境内北は「西塩子の回り舞台」の会場です。講演をご覧になった方は当社も目にとまったかもしれませんね

社殿

手水舎

手水舎

少し参道から外れたところにある手水舎。「皇紀二千六百年」とあるので1940年に奉納されたとわかります。余談ですが、皇紀でゼロが2つ並ぶことから「ゼロ戦」の命名に繋がったといわれています。

皇紀は『日本書紀』にある日本建国から数えての年数です。日本は公称では紀元前660年に建国したことになっています。すごいでしょ。

それを単なるウソという方がいますが、個人的には日本独自の暦を無理やり太陰暦に換算した結果と思っています。その根拠として日本書紀の日付が1〜15日に集中していることが挙げられます。なんともあやしい!

拝殿

拝殿

大変立派な拝殿です。ところどころ色合いが異なるので近年に修繕されているとは思います。独特の配色が印象的で屋根に見られる緑は昔ながらなのか気になりますね。

本殿

本殿

神明造の本殿は獅子や龍で見事にデコられています。赤、青、緑で彩られてとてもカラフル。こうした本殿は珍しいですよね。配色には間違いなく意味があると思うのでいずれじっくり考察したいです。

本殿背面の卍

本殿背面の卍

こちらは本殿の背面にありました。赤と卍はとても仏教的。氏子のほぼすべてが神葬祭といったことから考えると江戸後期あるいは明治以降は唯一神道なのでしょうが、やはり中世は神仏習合していたようです。

本殿の彫刻

本殿の彫刻

かつて(今も?)はこちらに神体の観音が安置されていたのでしょうか。そして観音=武甕槌命はわかるとして、他の二柱(甕速日と樋速日)は一体どこからやってきたのか。

神額

神額

『続群書類従』などによると田村麻呂は長谷寺の十一面観音に守護されていたとあり、田村麻呂と武甕槌命(=十一面観音)の関係の由来になっていると思います。

長谷観音には脇侍として難陀龍王なんだりゅうおう雨宝童子うほうどうじがおりますので、甕速日と樋速日はそれらに相当する存在なのかもしれません。本地をもとに垂迹を見出したという、本来の本地垂迹説と逆転した発想によるのでしょう。

境内社

境内社

境内社

社殿の向かって右手の方には小さな祠がいくつも並べられていました。参考までに一覧をご紹介します。

  1. 伊勢神明社:天照大御神
  2. 鎧神社:興玉命猿田彦大神
  3. 甲神社:武甕槌命
  4. 香取神社:経津主命
  5. 七八龍神:不詳
  6. 息栖神社:岐神
  7. 大杉神社:大巳貴命
  8. 金刀比羅神社:大山祇命:大巳貴命
  9. 稲荷神社:保食神

ここで少し注意しておきたいのが甲神社です。おそらく下町の分社ですが、本営はご祭神に甕速日命と樋速日命を数えています。つまり当社の主祭神と同じ。

鹿島神社としては珍しい祭神でありながら、二社では共通している。別当の関係なども含めて検討事項ではないでしょうか。常陸大宮の信仰をマニアックに追いたい方は覚えておきたいですね!

御朱印

北塩子鹿島神社の御朱印

北塩子鹿島神社の御朱印

北塩子鹿島神社の御朱印です。

境内西の宮司宅でいただけます。このご時世、直書きのお心遣いは嬉しいですねぇ。

まとめ

この記事のまとめ

  • 創建は延暦17年と伝わり、清水寺縁起との関係が考えられる
  • ご祭神は三柱。神仏習合の名残かもしれない
  • 御朱印は境内西の宮司宅でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社

この記事で紹介した本はこちら

wataがいま読んでいる本

マンガで『古事記』を学びたい方向け

神社巡りの初心者におすすめ