wata
- 由緒とご祭神
- 水戸八景の「青柳夜雨」
- 御朱印のいただき方
水戸城の北、那珂川を挟んだ先に「青柳」という地名があります。初見では読めないかもしれませんね。
この場合の青柳とは「青々とした柳」という意味かと思いますが、冷静に考えれば青い(Blue)の植物はめったに見かけません。この場合の青は緑の意味です。ややこしいですねぇ。
さて、そんな青柳には鹿島香取神社が鎮座しています。社伝には茨城(常陸国)の歴史人物がずらりと並んでいてなかなかにユニーク。
気軽に参拝できる場所にありますので、ぜひこの記事を参考にしていただければと思います!
鹿島香取神社とは
由緒
ご祭神は武甕槌命と経津主命です。言わずとしれた鹿島神宮と香取神宮のご祭神ですね。この二神は神話で共に行動し東国の守護神とされる共通点があります。
由緒を見ると茨城の神社らしさが満載といったところ。まず、『古事記』『日本書紀』で東征に訪れたという日本武尊の伝説からはじまり、八幡太郎の参詣、大掾氏、佐竹氏、水戸徳川家の崇敬と続きます。
あまりに豪華絢爛な崇敬者たちなので若干疑わしく感じさえするのですが、斉昭公が当地を水戸八景の景勝地としたのはたしか。水戸城に近いことを考えても中世以降の信ぴょう性はあるかと思います。
また、光国公が奉献したという「鮑貝の杯」は現存するといわれ、4月7日の例祭で昇殿参拝者に神酒を授与する際に利用するそう。同杯で神酒を飲めば万難を克服できるとか。うーん、すごすぎる効能。
記紀を読むならこちら
当社の由緒は同じ青柳町に鎮座する東征神社の神社記にあったものです。
アクセス
最寄りICは常磐道の水戸北IC(ETC専用)。下りて約7kmなので20分ほどかと思います。
水戸市街からだと国道349号の万代橋を那珂市方面に進み1つ目の信号を右折して道なりに進むと右手に見えてきます。
鳥居の先の左手に社務所があって駐車可。その先にも広い駐車場が用意されています。
名称 | 鹿島香取神社 |
---|---|
住所 | 茨城県水戸市青柳町434 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 茨城県神社庁 |
祭祀 | 1月1日…元旦祭 2月節分の日…節分祭 4月7日…春例祭 11月中…七五三祈祷 11月23日…秋例祭 |
鳥居
大きな通りから少し入ったところにある神社。市街地に近いといえ神社がなければきっとおそらく訪れることはなかったでしょう。
神明式の鳥居は貫(上から二つ目の横の柱)がずいぶんと白いので近年に補修したようです。このあたりも東日本大震災ではけっこう揺れたからその影響かも。
なお、車でお越しの方は乗ったままこの鳥居をくぐって駐車場へと進みます。
車を停めたら二の鳥居。ご覧の通りコンパクトな境内なので散策しやすい。
手前右側に手水舎があります。近づくとセンサーが反応して自動的に水が流れる仕組み。ハイテク!!
馬力神と「青柳」
手水舎の反対側には「馬力神」の石碑。同碑は愛馬の慰霊碑とされています。馬にも守護神がいて馬頭観音のように鎮魂を担っていくれるようですね。
当地は特に馬と関係するわけではありませんが、『常陸国風土記』には西の中河内町のあたりに駅家があったと記載されていますので、昔から馬に乗って訪れる人は多かったのかもしれません。
それに関連して興味深いのが当地名の「青柳」。この二字はいずれも五行説において東を意味しますので、中河内町(旧中河内村)を起点にして命名されたのではと思います。
少し注意が必要なのは、「青」は「Blue」ではなく「緑(Green)」ということ。青い柳なんて存在しませんよね。この名称はおそらく中国の青が日本の緑にあたることが関係しています。
「青」の字は初め地面から生えた草の象形でした。草の色といえばふつうは緑。青葉とか青蛙とか青竹とか日本でも青と緑を混同した言葉は少なくありません。なんともややこしいですけど。
青(緑)五行説においては木気の色であり、木気の正位は東です。東の守護神が青龍なのはこれに由来します。
また、柳を解字すると木偏に「卯」。卯(兎)は五行説では十二支の四番目で木気に属します。それを方位に置き換えると真東になります。これもややこしいので五行説の配当表でご確認ください。
青柳は東、そして春を示す言葉とも解釈できるわけです。「東征」の途中、日本武尊や八幡太郎が当社を訪れた伝説はこうした地名と関係があるのかもしれませんね。
社殿
入母屋造の立派な拝殿。境内の立て札には平成27年(2015年)に本殿を改修したとありました。拝殿がこの様子だと一緒に改修したのかもしれませんね。
掲げられた扁額には「鹿島神宮宮司 東實謹書」。鹿島を冠する神社にとって本営の宮司による揮毫は光栄なことでしょう。それに「東」と関係が深い当社にとってこの苗字は。。
本殿は鰹木五本に男千木。神紋は巴となっています。
懸魚にあるのは牡丹ではないかとTwitterで教えていただきました。こうした彫刻を見分けられたり意図がわかるようだと寺社の散策はより楽しめるでしょうね。
古くて歴史のある社殿はいいものですが、社殿の遷宮は神威を増すためにも行われたので可能であれば神宮のように定期的な遷宮があってもいいかな〜と思うんですよね。もちろん簡素な社殿自体は簡素になりますが。
『水戸八景』の青柳夜雨
当社に来たらぜひチェックしていただきたいのが、境内の南西に位置する水戸八景の石碑です。社務所と社殿の間のあたりから下りていけるのであまり時間はかかりません。
水戸八景は隣接の立て札により次のように説明されています。
水戸八景は、天保四年(一八三三年)に九代藩主徳川斉昭が藩内の子弟に八景めぐりをすすめて自然鑑賞と健脚鍛錬を図ることを大きな目的とし、中国の瀟湘八景になぞらえて選定したものである。
八景は藩内の八箇所にあり、そのひとつ青柳の夜雨です。八景には斉昭公により詩と和歌が詠まれました。同じく立て札から引用します。
・詩 「水戸八景」
雨夜更遊青柳頭 (雨夜更に遊ぶ青柳の頭)・和歌
青柳夜雨 雨の夜に舟を浮へて青柳の 木の間を渡る風の涼しさ
今ではずいぶん雰囲気が変わってしまっていますが、かつては南の水戸城方面に渡るための舟着き場がありました。寛永期(1624〜1644年)以降は交通量が増えたため、当地には夜船番所が設けられています。
斉昭公の歌からすると雨が降る遅い時間に舟に乗って涼んだようすが想像できますね。『茨城県の地名』によれば、当石碑は斉昭公によって建てられたそう。
ところで、夜、雨、柳の組み合わせと聞くと、わたしにとっては幽霊が出るシチュエーション。ドリフを履修した方ならわかると思います。
どうして幽霊の出現に結びつくのかというと、おそらく五行説が関係しています。五行説は万物を五気(木火土金水)に分類してその関係を説明する哲学です。五気は陰陽の組み合わせによって生まれましたので、併せて陰陽五行説と呼ばれたりもします。
幽霊は基本的に死者であり、本来はこの世に存在しないはず。つまり動かないし見えない。陰陽でいえば陰に属します。しかし、それが見えるということは、なんらかの陽と組み合わさっていると考えられます。
その陽とされるのが柳。柳は前述の通り名称に「卯」があることで盛んな木気とされます。木気は生命の気ですから当然見えるし動きます。夜、雨は陰であり水気、それに柳が共存することで見えないものが顕現してしまう、と。
五行説の配当表を見ると水気と木気の間には丑寅(鬼門)があります。幽霊が出るという丑三つ時(午前2時過ぎ)は寅の刻(午前3時)のひとつ手前なので鬼門が開く直前ということになります。
かなり脱線した気がしますが、このような五行説に基づいた考え方は明治以前の知識人であれば感覚的に理解していたと思います。ただ、わざわざ論じることでもないので沈黙していたのでしょうね。
五行説を学ぶならこちら
御朱印
鹿島香取神社の御朱印です。
土曜日に参道の左手にある社務所でいただけました。不在のときも多々あるようなので、いただけたら幸運ということで。。
まとめ
この記事のまとめ
- 常陸国の著名人にゆかりのある社伝が残されている
- 徳川斉昭公の水戸八景の景勝地に鎮座
- 御朱印は境内の社務所でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社
この記事で紹介した本はこちら
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。