wata
神社は長い歴史を持っていますので、たまに神職が交代して雰囲気が一変する場合があるんですよね。大抵の場合は勢いが増していい感じになります。
今回紹介する水戸市の鯉淵に鎮座する息栖神社もそうした神社のひとつです。なんと近年は占いも盛んだとか。御朱印も初めて活気ある神社ですので参拝の参考になれば嬉しいです!
由緒
9月、鹿島郡息栖神社から分霊して創建
※本殿の虹梁木鼻に記述あり
境内に焼却炉の建設中に第六天の御神体を発掘する
ご祭神は久那戸神(岐神)、天の鳥船、住吉三神です。神栖の息栖神社と同じですね。ただ、茨城県神社誌などの記録上では天児屋根命がご祭神となっています。これは後年の誤記とか。
ご祭神を間違えるなんて考えられない、と思うかもしれませんが、中世時代この地は藤原氏の一族である那珂氏が住んで支配していたそうなので同神を祀ったことはさほど奇妙ではありません。
藤原氏の氏神(血族の神)といえば武甕槌命。しかし、藤原氏は中臣氏の一族であり、中臣氏の祖神は天児屋根命です。那珂氏が氏神とした可能性はあるでしょう。
それが江戸時代以降に土地の神を意味する氏神と混同されて誤記に繋がったと推測しています。氏神の意味が一族の神から土地の神に変わったことが原因ということですね。
アクセス
常磐道の水戸ICを下りて約10分、友部スマートICからでも同じくらいの時間です。交通の便がいいので参拝しやすい神社ですね。
駐車場は境内の南側、通りの向かい側に広がっています。広めなので安心して駐車できるかと思います。
名称 | 息栖神社 |
住所 | 茨城県水戸市鯉淵町1115 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
鳥居
駐車場に車を停めていざ参拝。境内は駐車場や道路より小高い場所となっています。
神明式の鳥居は昭和57年(1982年)に本殿改修と合わせて建立されました。手前の看板は真新しいので近年建てられたようです。おそらく境内の整備と合わせてのことでしょう。
ところで、当社の公式サイト(境内立て札にもある)には鎮座地について次のようにあります。
この地は、清らかな質の良い水が豊富で、弥生時代前期から定住し、米作りを行っておりました。米が豊作か否かを占い、神に祈ることは大切なことで、古来、神職は大きな力を持っていました。この地に根古(子)屋という地名がありましたが、根子は神主のことを言い、屋は家のことを言います。前記のことを考えると、神主の大きな家があったと考えられます。
息栖神社とは
つまり根古屋は神主のいた地に由来すると述べています。
それからご祭神が皇室の占いや祝詞の作成を担った中臣氏の祖神であると続きますが、それについては当社が現代においても占いを重視していることと関係するのでしょう。
地名の「根古屋」は初めて耳にした言葉で興味深かったので自分なりに調べてみました。「屋」は公式サイトにあるようになんらかのシンボリックな建物を意味すると思うのですが、問題は「根古」の方。根子=神主の説は辞書を引いても出てこないので疑問が残ります。
「根子」はご祭神と関係あるのではないでしょうか。根子を「こんし」と音読みすれば長子(ふつうは長男)の意味なので、地名に繋がるほど高い家柄の長男が住んでいたと考えられます。
それが藤原氏の一族である那珂氏ではないでしょうか。長男であれば氏を代表して祖神を祀ることは当然なので天児屋根命を祭神とするのも納得できます。
追記。上のように考えたのですが、根古屋(根小屋・猫屋とも)はコトバンクによれば「日本の中世に発達した豪族屋敷村に起源をもつ集落。」
また、Twitterでもご連絡いただきまして、「ねるおへや」の意味で領主の寝床として使われる土地の意味があるそう。一般的に有力視される説はこちらですね!
少し気になるのは、実際に伝わっている地名が「根子屋」であれば、やはり「こんし」を意識しているかもしれないこと。真相はまだ闇の中ですね。
wata
九星術
舗装された参道。交通安全の祈願をするため車両が通れるようにしたのでしょう。
参道の両脇にある掲示板と立て札は、いずれも占いに関するものです。向かって右側に見える大きな立て札には後天定位盤、厄年、運気の衰退期(空亡)などがありました。
寺社では占いをもとにした方位除けなどの祓いや祈願が行われますが、これほど大きな立て札は珍しいですね。だいぶ力を入れていると感じます。
この八角形の図像が方位盤(後天定位盤)で九星術や九星気学と呼ばれる占いで用いられます。九星気学は古代中国の占いである易(特に後天易)をベースにしています。
方位盤を見ると九星、五気、八卦の思想が組み合わさっているとわかります。
九星(洛書とも呼ばれる)とは9つの数字を割り振った魔法陣です。九星と色は一体となっておりますので、「一白」とか「二黒」で一区切りです。
また、九星は東西南北の四方と東北、東南、西南、西北の四隅に中央を加えた9つの方位に割り当てられますので、中央以外は八卦の八方位と一致するようになっています。
九星自体にはあまり意味がないのですが、八卦と組み合わさることによってさまざまな意味を持つようになるのが面白いところですね。
それに五行説と同じ五気(水・木・火・土・金)があてられて最後に星の字が続きます。
九星術は星占いではないので、「星」は便宜上のこと。易には「変わる」の意味があるため、変わる(移動する)象徴である星の字をあてているのでしょう。実際に星は方位盤内を移動します。
日・月・年が変わるたびに星は移動します。それにより人間の運気も変化するので占いで災厄から逃れようというわけです。方位盤は年盤、月盤、日盤と使い分けることがあります。
この占いのポイントは五黄土星の位置です。流派にもよるのでしょうが、五黄土星は不吉とされていることが多く、その方位を避けるのが一般的です。
五黄土星の位置によって凶方位の暗剣殺も決まり、八方のうち二方が不吉とされます。なんとも悩ましいですよね。ただし、2022年のように五黄土星が盤の中央にあるなら凶方位はありません。
九星術に限らず占いは非常に複雑で不確実です。そもそも占いが必要か否かの判断も適切にしなくてはいけません。占いについて肯定も否定もしませんが、ご利用は計画的にです。
恋愛成就(?)の切り株
令和6年に参拝すると、拝殿の少し手前の切り株に屋根がついているのに気が付きました。賽銭箱代わりらしき升もある。これはいかに。気になるので宮司に尋ねてみました。
境内整備のために大木を伐採したところ、その切り株がハート型だったことから恋愛成就の御神徳があるのでは?とウワサになったそう。実際に願いが叶ったという方もいるそうでお礼の破魔矢が奉納されていました。
個人的には偶然であると思う一方でそうした偶然を大切にすると少しだけ幸運を引き寄せるのでは、なんてことも考えます。前向きな気持ちはいつも持ち続けたほうがいいですよね。
社殿
手水舎でアルコール禊。さいきんはこのタイプの増えましたねぇ。
そして拝殿で参拝です。当記事の「由緒」には書いてませんが、近年再建されたようですね。宮司が在社していれば正面の扉を開けていることがありますよ。
ガラス戸なので社殿内は一般的な神社よりも明るくなっています。祭壇や鮮やかな五色旗もチラミできました。書籍や雑貨などが見えますので社務所を兼ねているようです。
本殿は覆屋+ビニール幕で完全防備といったところ。ビニールは一応透明ですが、現地で見ても本殿はよくわかりません。神文は三つ巴でしょうか。写真だと下がり藤のようにも見えて大変気になっております。
ところで、当地は幕末期には水戸藩領に属し鯉淵村と呼ばれていました。下野神田と五平を合わせた三カ村は鯉淵村の持福院の檀家だったそう。当時は神仏習合の時代なので持福院は別当として当社の祭祀に深く関与していたかもしれませんね。
持福院は明治5年に廃寺となりましたが、もしかしたらそのときに当社の社伝も失われてしまったんじゃないかと思います。持福院は再建されましたが、古記録については何か動きがなかったか気になりますね。
境内社
拝殿の向かって左側に境内社がの石祠がまとめられていました。向かって右から順に稲荷神社、鹿島神社、八幡神社、第六天です。
最後の第六天だけは耳慣れない方が多いでしょう。千葉県香取市の山倉大神を本営とする信仰で「大六天」と表記される場合もあります。令和3年に焼却炉を建設しようとした際に土中から発掘されたのだとか。
当社では大六天の御祭神を神世七代の六代目にあたるオモダルとカシコネとしています。明治以降、神道的にはそのように解釈されることが確かにありました。
ただ、第六天はブッダが悟りを開くことを妨害しようとした第六天魔王に由来するいわれ、神仏習合時代の思想が色濃い神格です。個人的には神仏どちらにも属さない修験道的な背景があるのではと思っています。
発掘された「第六天」はその形が男女のシンボルをうかがわせることから判定されました。文献や伝承は不明です。
占いと両義性
少しだけ中国の思想について勉強したことがあるので、易や九星術に興味のある方にそこそこ役立つ話ができます。当社の占いと一切関係ありませんが、ご参考になれば幸いです。
お伝えしたいのは「中国の占いとそれを生み出した中国人の思想には両義性がある」ということです。両義性とはひとつの事柄が相反する二つの意味を持つことです。
たとえば、両義性を知る人がおみじくを引いた場合、大吉が出たとしても「嬉しいけど、今がピークで後は下るだけ」、大凶を引いたら「悲しいけど、これから良いことが起きる」と考えます。
両義性を知る人は事実を目にしても現実(実際に起きうること)を忘れません。こうした考えを根本において占いに触れないと大きな誤解が生じることでしょう。
易にしろ九星にしろ占いの結果は単なる記号(文字ですらない場合がある)です。吉凶を判断するのは自由ですが、吉凶どちらの意味も含む記号をどう受け取るかはその人次第です。
九星では五黄土星を「五黄殺」として不吉としますが、それだけ述べるのは両義性がありませんので善意のアドバイスであっても慎重に耳を傾けるべきでしょう。
私見ですが、五黄土星は土気であるため終わり(死)と結びつけられやすいのです。五行説の配当表を見れば明らかで、土気は各気の終わりに位置しています。
各季節の終わりにある「土用」が土気です。具体的には丑、辰、未、戌の月の最後の18日間で、ウナギを食べる「土用の丑の日」は未の月(旧暦6月)にあります。
土用は季節を終わらせる一方で新たな季節をはじめます。こうした考えが両義性です。どちらか一方を強調するのは限りなく間違いに近いと思います。
ちなみに五行説において人間は土気です。当社祭神の久那戸神や天の鳥船も土気に属すでしょう。塞の神や導きの神は「間」にいるためです。つまり土気を嫌う必要はまったくありません。
と、色々書きましたが、占いそのものは否定しません。中国人は両義性を知った上で長らく占いに頼ってきたのですから、困っている人の救いになるよう活用すべきだと思います。
易について簡単に知りたい方向けの本
御朱印
鯉淵息栖神社の御朱印です。宮司が社殿にいらっしゃれば直書きをいただけるかと思います。一応9:00〜16:00が在社時間となっております。
境内には連絡先もあるので、もし不在であれば問い合わせしてみてもいいでしょう。
近年は御朱印をデザインされる方の協力もあって種類が豊富です。もしかしたら今後もさらに増えるかもしれませんね。ちなみに「息栖神社」以外は書き置きです。
・神栖の息栖神社から分霊。祭神も同様だが、記録上は天児屋根命
・占い(九星術)に注力している
・御朱印は宮司在社であれば社殿でいただける
茨城県神社誌|茨城県神社庁
茨城の地名|編:平凡社
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。