2月17日(水)『うなぎ地蔵』(城里町)の記事を公開しました。次回更新は2月21日(水)の予定です。

常陸国って知ってる?童子女の松原公園で茨城の古代をちょっとだけお勉強(神栖市)

童子女の松原アイキャッチ

茨城県内のポスターやチラシで『常陸国ひたちのくに』や『風土記ふどき』といった言葉を見かけます。この言葉の意味ってご存知ですか?常陸牛なら知っているかもしれませんが、普通の人はよくわからないですよね。わたしもつい先日までそうでした。

風土記は8世紀に編纂へんさんされた書物です。元明げんめい天皇のみことのり(仰せ)で始まったもので、日本各地の伝承やその土地に住む人々の様子が書かれています。常陸国というのは、いまの茨城県のあたりのことです。ですから、常陸国風土記は茨城の古代について色々と書かれています。いまでいうと各県の刊行物のようなものでしょうか。

常陸国風土記の内容は9つの地域に分かれて書かれています。新治にいばり筑波つくは信太しだ茨城うばらき行方なめかた香島かしま那賀なか久慈くじ多珂たかです。漢字や読み方は違いますが、いまもある地名ばかりです。そう、茨城の地名は1300年以上の歴史があるんです!

でも、実のところ、わたしは常陸国風土記について詳しくありません(^_^;)先日、神栖市の公園で学んだばかりです。風土記はだいたい漢文で書かれていますから、普通の人はまず読めません。だから、公園でわかりやすく解説されていることが、とても良いと思いました!貴重な経験だったので、ご紹介します。

古代の茨城ってどんな感じ?

公園は童子女おとめの松原公園といって神栖市の生涯学習センターの隣にあります。
駐車場はセンターのものと同じです。名前に松原とつくだけあって、松の木がたくさんある公園です。

童子女の松原公園入口

常陸国風土記に興味があっても、いきなり詳しく話されてもわからないですよね。まずはざっくりと常陸の国(いまの茨城)がどんな土地だったのかを知りましょう。園内の石版の文章を引用します。長いので、引用部を読み飛ばして要約だけ読んでも大丈夫です。

常世とこよの国
そもそも常陸の国は広大な地域で、他国との境界もはるかに遠く、田畑や野原の土壌は肥えており、農耕地として開墾できるところが多くあります。また海や山の幸に恵まれ、人々の生活は安定して、家々の生計も豊かです。したがって一生懸命に農耕に励み、また養蚕に力を注ぐならば、たちまちのうちに裕福になり、おのずと貧しさからも逃れることができます。さらに、塩や魚などを求めようとするならば、左(西側)の山に対して右側は間近に海がありますし、桑を植え麻を栽培しようとするならば、周囲に肥沃ひよくな野原が広がっており、それこそ水陸の宝庫といえるような豊かな産物に恵まれたところといえます。昔の人が「常世の国(理想郷)」といっていたのは、おそらくこの国を指したのでしょう。ただしこの国の水田は、上等なところは少なく、並のところが多いので、長雨の時などは苗が生長しないと嘆く声が聞こえますが、日照りの年は豊かな実りに喜ぶ人々の姿を見ることができます。

要約すると「常陸の国は自然がたくさんあって米も魚もよくとれる。だから頑張って働けばすぐに豊かになれる。雨が降らない年は大変だけど、この世の理想郷と言われている。」

wata

いまの茨城、そのまんまですね。茨城の地は古代から素晴らしかったと書かれています。誇らしいことですね〜。それにしても、常世の国(理想郷)とはスゴイ表現です。

童子女の松原伝説

常陸国風土記には、いまの神栖市のことも書かれています。『童子女うないの松原伝説』として知られているものです。この公園は『童子女』と書いて『おとめ』と読みます。伝説は童子女を『うない』と読みますので、違う意味で使われているようですね。わたしの手元の資料では、「童子女うないとは鹿島郡神栖町から波崎町にかけての海岸」とあります。

伝説は以下のようなものです。

むかし、いまの神栖町のあった場所の近くに、若くてとても美しい男女がいました。男は郎子いらつこ、女は嬢子いらつめといい、ふたりはお互いの良い噂を聞いていたので、いつか逢ってみたいと思いを募らせていました。

しばらくの月日が経って、ふたりは嬥歌かがいで偶然出会いました。歌を詠み合い気持ちを確かめ、もっと語り合いたいと思ったふたりは、嬥歌を抜け出して離れた松の木の下でずっと語り合うことにしました。

ふたりは時が過ぎるのも忘れて語り続けました。しかし、気がつくと夜が明けており、鶏や犬の鳴き声がします。若いふたりは、他人に自分たちを見つけられることを、とても恥ずかしく思いました。そして、その恥ずかしさのあまり、ついには松の木になってしまいました。郎子だった松は奈美松なみまつ、嬢子だった松は木津松こつまつと呼ばれる、人々の間で語り継がれるようになりました。

参考:常陸国風土記/著 財団法人常陽藝文センター

童子女の松原とある石碑

と、いうわけで、伝説にちなんだモニュメントがありました。この物語にはどのような意味があるのでしょうか。ただの恋愛物語というなら、わざわざ貴重な紙を使って残す必要はないのかな、と思います。松になった、という部分も事実と考えにくいですし、きっと教訓のような深い意味があるのでしょう。

例えば、なにか(嬥歌に限らず)ルールを破った男女は幸せになれないという意味だったりして。。。物語の受け取り方はそれぞれですが、幸せな結末でないのが少し気になります。

童子女おとめの鐘

男女のブロンズ像のそばには永遠の愛を願う鐘がありました。

古代の男女のブロンズ像

もちろん、つきました。一人で。軽くやったのですが、公園内を轟音が。。。ああ、わたしが松になりそう。鐘を作った職人さんの腕は確かです。

園内を散策

公園は松を中心にさまざまな植物が植えられています。また、風土記の編纂された時代を思わせる古代の人形やモニュメントもいくつかあります。テーマを意識して作られていますね。

古代の人形

時間の泉の像

大串の巨人について書かれた石版

一番の下の写真は、大串の巨人ついて書かれています。水戸(旧常澄村)の大串貝塚ふれあい公園にあるダイダラボウ像に関連します。身体の大きさや貝塚についてあります。巨人の足の大きさは約50m。おしっこをした穴の跡は直径35m。う〜ん、すごい。

こうした解説は、すべての地域のものがありました。わかりやすく、それでいて面白くまとめられているのがいいです。

まとめ

わたしは自分のいる場所がどういうところなのか、すごく興味があります。なんの根拠もないところになぜかいる。それよりも、こんな歴史がある、こんな魅力があると知っていたほうが、楽しく過ごせます。

歴史は非常に難しい要素がたくさんありますが、わかるところから少しずつ学んでいくことが大切です。常陸国風土記について知りたいなら、Wikipediaを探るか、図書館に行くのがいいでしょうか。この公園のように、もう少しハードルを下げて学べるところがあるといいですね。

ブロンズ像と鐘、風車

アクセス

名称 童子女の松原公園
住所 〒314-0408 茨城県神栖市波崎9591
Webサイト 神栖市観光協会
駐車場 あり