wata
- 由緒とご祭神
- 流鏑馬神事について
- 御朱印のいただき方
新型コロナが落ち着き始めた昨今。各地で伝統行事が再開しはじめました。
どこに行こうかな〜と思っていた矢先、幸運にも平日に催されることが多い日立市の大久保鹿嶋神社の流鏑馬を見物できました。3年ぶりの開催とのことで二重の喜び!
非常に歴史ある神社なのでぜひ知っていただければと思います。最近は御朱印や神玉、最近では御城印の頒布なども人気です。面白いものが見つかるかもしれませんので授与所は要チェックですよ!
大久保鹿嶋神社とは
由緒
ご祭神は武甕槌命です。言わずとしれた常陸国を代表する神。ただ、河原子に創建された時代は塩浜明神と呼ばれており、果たして初めから我々が想像するような存在だったかは不明です。
『茨城県神社誌』によれば「日立市内の七社の元宮と伝ふ」とのこと。たしかに他の七社は早くても大同年間。社伝では当社がもっとも古いことなります。
あまりに古い時代のことは慎重にならなくてはいけないと思いますが、当社の流鏑馬神事は記録の上では茨城県で最古。非常に由緒ある神社なのは間違いありません。
流鏑馬をはじめたのは太田城を拠点とした佐竹氏が領主の時代。当社を「城北」の鎮守と崇敬したそうですが、当社は太田城から見て東北あるいは東の方位。わたしの理解不足かこの伝承はピンとこないものがありますね。
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【2021年追加】大願成就!県北で神玉巡拝スタート|頒布地・期間・初穂料
アクセス
最寄りのICは常磐道の日立中央IC。推してから約20分ほど。国道6号の大久保町二丁目の交差点を西に進むと右手に鳥居が見えます。
鳥居の近くに駐車場はないので、参道に並行して北進してください。まもなく左手に駐車場が見えます。
駐車場は拝殿の西側。下の地図のマーキングされているあたりです。ちなみに御朱印をいただく授与所は拝殿のすぐ傍にありますので、Googleマップにある社務所ではいただきません。
名称 | (大久保)鹿嶋神社 |
---|---|
住所 | 茨城県日立市大久保町2-10-16 |
駐車場 | あり |
SNS |
鳥居
こちらが大久保鹿島神社の鳥居。社号標の前には流鏑馬も案内がありました。毎年決まって10月29日にあるので近所の方は告知なくてもご存知のことでしょう。
その後ろにある社号標は旧社格の「郷社」が削れています。戦後に社格制度が廃止になったので急遽の措置なのでしょう。戦前に建てられた割には若々しい色をしています。
北向きの参道。流鏑馬はここで行われ、向かって右側に的が設置されます。大人用の的が平板でその下に子供用の的がありました。祭りに子どもが参加するのは平成30年からだそう。
なんでも明和2年(1765年)の史料に「5月5日に騎射の祭りあり」とあったことがきっかけとか。こどもの日(端午の節句)だから子どもも参加していただろう、というわけですね。
奥にはそこそこの高さの石段があります。驚くことに流鏑馬に参加する馬はこの石段を登るんです。すごい!とはいえ令和4年は馬の調子が芳しくなかったので見送られたのですが。
石段の先には化石になったラプラス。いやぁポケモンに出会えるとは驚きました。ゲットだぜ!!
実際には鹿かと思います。鹿嶋の大神を祀る神社なのでおかしくはありませんが。。珍しい。角の有無も狛犬と獅子を表しているのでしょう。
社殿
境内の石碑によれば社伝は平成10年に改修されました。見事な入母屋造。扁額には「鹿島大神宮」とあって貫禄は充分。
屋根の正面には佐竹扇(五本骨扇に月丸)が掲げられており、佐竹氏との関係がうかがえます。その下には笹竜胆。八幡太郎をはじめ清和源氏との関係が深い紋ですね。
令和3年10月5日の『よみうりタウンニュース』によれば、この神紋は「地域の佐竹氏への忠誠の証しだと伝わる」と宮司。同記事では関ケ原の合戦で中立を貫いて国替えとなった佐竹氏について次のように伝えています。
当時、同神社周辺地域は、佐竹氏への忠誠心がとても強かった。佐竹氏の始まりの地の現在の常陸太田市周辺と変わらぬほどだったという。地域の支配者が代わった際は、神社の宮司などが、地域を代表して新たな支配者にお目見えするのが普通だった。しかし、同地域は佐竹氏の国替えの後、それをしなかった。同神社に残る資料には、その後しばらくの間、報復を恐れた同神社と地域の人々が、息を潜めて暮らした跡がうかがえる。
【茨城再見聞】地域の思い伝える佐竹扇 大久保鹿嶋神社(日立)/よみうりタウンニュース
紋をひとつにしたのはもしものときにすぐに変えられるようにしたためとか。実際にそれで懲罰になるようだったかはわかりませんが、きっと命がけで旧領主への忠誠を示していたんですね。
ただ、個人的には佐竹氏に仕えた当地の領主・大窪氏(八代久光)が、新領主の水戸徳川家に敵対し、車城主の車丹波守らと水戸城奪還の一揆を起こしたことが本来の要因という気がしないでもありません。
本殿は流造。男千木(外削ぎの千木)で鰹木3本。男神を祀る社殿に多い造りといわれています。それには奇数が陽数とも呼ばれることと男性も陰陽説では陽とされることが結びついているようです。(ダジャレではない)
駒つなぎのイチョウ
大久保鹿嶋神社に参拝したらぜひとも見ておきたいのが、拝殿近くの大イチョウ。駒つなぎのイチョウと呼ばれる県指定の天然記念物。今なお立派なお姿ですね。
概要を立て札から引用します。
駒つなぎのイチョウといわれる理由は、坂上田村麻呂が、奥州の蝦夷を征伐に行くときこの鹿島神社に戦勝を祈願し、その際このイチョウの木に駒をつないだという伝説からの名称です。
イチョウは雌雄別株になっていますが、このイチョウは雄株で実は付けません。
幹囲は目通り5.5メートル、樹高約二十メートルあり、樹齢は推定五百五十年といわれております。
社伝の田村麻呂の戦勝祈願とリンクする伝説ですね。「駒つなぎ」は神社では不思議なキーワード。馬をつないだ木は縁結びのご神徳があるなどと伝えられます。
イチョウに限ったことではないので馬と木に特別な関係があるということでしょうか。神秘的ですよねぇ。
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交通神社
拝殿から見て南東側には交通神社。交通安全専門の神社としては茨城で初めて創建されました。近年は御朱印の頒布もされています。
社殿そばの立て札から由緒を引用します。
由緒
イザナギの神が黄泉の国から戻って禊をしたときに帯から生まれた神が道之長乳歯神である、長い道のりの中迫りくる様々な禍事を防ぐ役割をした御神徳により交通災害の消滅を願いこの地に奉祀された。
創建は車社会となった昭和39年(1964年)。ご祭神は道之長乳歯神と大巳貴命です。
イザナギの禊によって生じた神は全十二神。道之長乳歯神はその二番目です。一番目の衝立船戸神は有名ですが。。こちらは非常にマイナーでして、わたしはこの神社以外で祀られているのを知りません。
ちなみに道之長乳歯は『古事記』での記述。『日本書紀』では長道磐神です。そちらの神号は五行説的には土気を意味する文字ばかりなので土気の神として考えられたかのもしれませんね。
土気は他の四気(木火金水)をつなぐ性質を持っています。それが導く神とか交通安全につながるとされたのでしょう。わたしたちが日常で使用する「土用」も土気に由来し、神社では土用の祭事が少なくありません。
ところで、道之長乳歯神は十二神のうちの二番目とのことですが、十二といえば十二支。そして十二支の二番目といえば丑。これは五行説では水気の終わりにありますから土気とされます。
丑は「紐」の字に使われるように細く長く絡むもの。その性質が目的地をつなぐ力があるとして祭神に選ばれたのではと想像しております。当ご祭神が紐状の帯から生じたというのも暗示的ですね。
ただ、神社の創建は昭和中期ですし、五行説のような古い思想とはまったく関係ないような気もします。なんでも結びつければいいものではありません。でも非常に珍しい神様ですからあれこれ考えてみるのは楽しいですね。
当社には多くの境内社があります。高台にあるだけに山岳信仰を思わせるようなお社もいくつか。ふだんは混雑しませんのでお時間がありましたらぜひごゆるりと巡ってみてください。
ちょっと変わった神輿殿。笑い顔に見えるのはわたしだけでしょうか。
流鏑馬神事
大久保鹿嶋神社の流鏑馬神事は毎年10月29日に開催です。旧暦の時代は1ヶ月ほど早く9月29日でした。日付は固定なので平日であっても開催です。
当流鏑馬は太田城主であった佐竹義重が当地で領主を務めていた大窪種光に命じて執行されました。最古の記録は天正12年(1584年)9月29日ですから、じつに400年以上の歴史があります。
流鏑馬には順序があります。まずは旧地である河原子海岸で潮垢離(潮水で身を清める)を行い、次に下孫鹿嶋神社でお祓いを受けます。それから大久保での祈祷を経て神事へと望みます。
矢を射る騎手が八幡太郎と称されるのは流鏑馬自体が源氏のはじめた神事であるためでしょう。今はわかりませんが、昔は23日から身を清め忌む期間がありました。まるで巫女のようですね。
わたしが見物したのはほぼ最後の段階。八幡太郎の前を子ども武者が歩き、さらにその前にはほら貝を吹く先導役。週末にあたった今年は観客も多くとても賑やかな様子でした。
お馬さんの石段のぼりを見れなかったことは残念ですが、そういうこともありますよね。それにしてもど派手な衣装。首元には桜の紋が見えますが、馬と桜は不思議な関係があるようなのでいつか分析してみたいです。
氏子の方々は拝殿の神事に参加。祝詞が聞こえ厳粛な雰囲気。新型コロナの影響で流鏑馬は3年ぶりだったので色々思うところがあったことでしょう。わたしも久しぶりに賑やかな会場に来ました。
神事が終わったのでいよいよかと思いきやここで子ども武者の撮影ターイム!!こうした時間も後年になって文化継承に関わりますから重要なことなんですよね。
当社の流鏑馬は馬を走らせずに確実に当てるスタイル。それでも練習できる機会はほとんどないでしょうから命中はお見事。的中すると破裂したような音で割れるので馬が驚いてちょっとしたハプニングも。
しかし最終的には無事に何事もなく終了。なんだか見ているこちらもホッとしました。最後には境内でとれたギンナンを配っていたようです。縁起物ということですね。
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流鏑馬で使用する弓を「無州」。矢は9本、的も9個と決まりがあります。
御朱印
大久保鹿島神社(例祭限定)と交通神社の御朱印です。拝殿の左手にある授与所でいただけます。
ほかに愛宕山城と大窪城それに天神山城の御城印を頒布していました。おそらく近年のことでしょう。そちらを集めている方はお忘れなく!
神玉の頒布も行っています。集めている方はお忘れなく!
まとめ
この記事のまとめ
- ご祭神は武甕槌命。大宝元年に創建といわれる
- 流鏑馬神事は400年以上の歴史。佐竹氏の時代にはじまった
- 御朱印は拝殿左手の授与所でいただける。限定物や御城印もある
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。