【つくばみらい市】筒戸日光神社の謎

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

守谷市の「お化け不動」を訪ねたときに日光神社が隣接していることを知りました。茨城では珍しい神社だなぁと印象に残っています。それから県内の神社録を眺めていたら、つくばみらい市にもあるのを発見しました。

その住所を見ると筒戸。筒戸といえばこのブログでご紹介した臨済宗の禅福寺があります。そして守谷の日光神社の近くにはやはり同じ宗派の海善寺があるのです。この二ヵ寺は宗派だけでなく梵鐘や寺紋にも共通点があります。

日光神社と臨済宗は何か関係があるのでしょうか。興味を持ったので筒戸日光神社を訪ねることにしました。比較的参拝しやすい場所にあるので、ぜひこの記事を参考にお参りしてみてくださいね。

筒戸日光神社
筒戸日光神社

由緒

寛永3年/1626年  
創建  

*5月  

明治5年/1872年 
村社列格  

*5月  

明治41年/1908年  
合併  

12月、筒戸地区内の八坂神社、愛宕神社、鹿島香取神社、御嶽神社を合併  

昭和27年/1952年  
宗教法人設立  
昭和10年/1935年
一の鳥居鳥居建立
昭和45年/1970年  
社殿再建  

*明治百年記念 

昭和51年/1976年
社殿焼失および再建

2月に全焼するも同年のうちに再建

平成20年/2008年
一の鳥居再建および二の鳥居建立
平成26年/2014年
参道階段整備

御祭神は大巳貴おおなむちです。他に以下を配祀しています。

  • 素戔嗚命
  • 軻遇突知命
  • 武甕槌命
  • 経津主命
  • 国常立命

二荒山神社から分霊したと思われるのは主祭神のみで、ほかは合祀した神社の御祭神のようですね。ちなみに二荒山神社は日光と宇都宮にあって御祭神が異なります。それからすると当社の本営は日光のようです。

じつは当社を参拝する前に日光旅行をしまして、二荒山神社にも参拝しました。わたしが茨城県内の日光神社に興味を持ったのもそのせいだったりします。

日光は「にっこう」であり、「二荒」に由来するともいわれています。つまり日光神社といえば、二荒山の信仰と考えられるのです。二荒山といえば勝道上人が創建したといわれ修験道が盛んでした。

つまり、日光神社は山伏や修験が関わる神仏習合の要素の強い神社といえるのです。それが境内から感じられるようであれば、じつに面白いですよね。

アクセス

地図を見ると、境内の東のほうに駐車スペースがあるのですが、それに気づかなかったので鳥居前に止めさせていただきました。また、南西の方にも安全に駐車できるスペースがありますのでご参考に。

名称日光神社
住所茨城県つくばみらい市筒戸1068番地
駐車場あり?
Webサイトなし

鳥居

一の鳥居
一の鳥居

こちらが日光神社の鳥居です。近々夏の例大祭があると言うことで、鳥居には堂々とそれが掲げられていました。境内は決して広くないのですが、人の出入りがかなり多いようです。よきかな。

神社の掲示物
神社の掲示物

鳥居の向かって左側には神社の掲示板が建てられていました。そこにも例大祭の案内があったのですが、面白いのはその下。今年のラジオ体操の案内は「大丈夫 最強だから」ということで呪術廻戦の五条悟の言葉が。

ラジオ体操と関係あるか分かりませんが、子供たちが注目するような案内ですね。まさかこんなところで領域展開しているとはね。

二の鳥居
二の鳥居

一の鳥居のすぐ後に二の鳥居が建てられています。足には支えがあって大変頑丈そうな造り。反り曲がった笠木とこの足から明神式の両部鳥居とわかります。両部といえば両部神道。後で紹介する弘法大師と関係ある?

神額
神額

「日光神社」の神額には赤い装飾が見えます。理由がよくわからないのですが、日光神社は不思議と赤が関係することが多いようです。

手水舎
手水舎

手水はしっかりと水道が通っています。この神社はラジオ体操など多くの行事に利用されるために、この手水も色々と使われるのではないでしょうか。ちなみに後ろにはちゃんとお手洗いが用意されています

社殿

拝殿
拝殿

社殿は破風付きの入母屋造。朱色の屋根がかっこいいですね。昭和51年に焼失したので、再建から約50年といったところ。火災が原因というせいか建物には火の元の管理責任者の名前がありました。

神仏習合時代は神社で護摩を炊くことが少なくなかったので、火災のリスクは高かったと思います。今は護摩がなくても簡単に火をつけられる時代ですから注意が必要ですよね。

本殿
本殿

こちらが本殿。見えている部分はおそらく覆屋で中に本当の社殿が建てられていると思われます。興味深いのは写真の右側にある別の建物。大変見づらいのですが、中には三体か四体の像が建てられています。

本殿そばの石像群
本殿そばの石像群

一番左にあるのは間違いなく弘法大師。真言宗の開祖ですね。興味深いのは中央です。笏を持った立像である事は間違いありませんが、首がないので大変判別しにくい。

こうした形の象はあまり見たことがないのでどのようなものか大変気になります。大切な像のはずなのになぜこのままなのか。もしかしたらもとの形がわからずに直せなかったりするのでしょうか。

じつは同じような形の像を守谷市でも見たことがあります。何かこの辺で特別な信仰があったのかもしれません。そしてその右にあるあってよく見えなくなっている象も気になります。

十二神将?四天王?
十二神将?四天王?

何やら武将のような姿をしているのですが、はたして。薬師如来を守護する十二神将のような姿をしています。あるいは四天王の1人なのかもしれませんね。

茨城県南にあった北相馬郡は千葉氏の支流である相馬氏の勢力圏で臨済宗の寺院や北辰信仰らしき跡が多いなど独特の信仰を残しています。日光神社や不思議な像も見れるので、とても気になる地域です。

ただ、わたしが見てきた郷土史にはそれについて特別に記述していませんから、あまり説明ができないのです。こうして実際に足を運んでいると共通点や歴史的に確認できる繋がりが発見できるかも!

wata

というわけで、日光神社の展開については今後も捜索を続けていきたいと思います。なにか思いつくことがあったらわたしにも教えてくださいね。

フォトギャラリー

まとめ

・筒戸の日光神社の創建については不詳。御祭神から日光市から分霊したと考えられる。

・日光神社は臨済宗寺院の近くに位置し、仏教との密接な関係があったかもしれない。

・境内には県内で見慣れない特殊な像がある。