2月17日(水)『うなぎ地蔵』(城里町)の記事を公開しました。次回更新は2月21日(水)の予定です。

2000年の歴史!?茨城を代表する伝統工芸・結城紬(結城市)

つむぎの館・織場館2

筑波山の近くにある神社(蚕影こかげ神社)で驚きの情報を仕入れました。現地の看板によれば、つくばは養蚕ようさんの発祥地だそうです!

「つくばの絹なんて聞いたことないなぁ」と検索してみると、茨城で絹織物といえば結城市!結城市は有名な結城紬ゆうきつむぎの産地だったんですね(『結城』とあるのに気付きませんでした)。ちなみに、結城紬は国の重要無形文化財です。さらに2010年にはユネスコ無形文化財にも登録されています。

茨城の県南に住んでいるせいか、これまで結城市のことをあまり知らずにいました。よい機会だと思いましたので結城市と結城紬を訪ねることに。「つくばはどうした」という声が聞こえてきますが、結城紬ミュージアム『つむぎの館』と郷土資料館でいろいろ教えていただきましたので、その内容をご紹介します。今回、結構ボリュームあります。

結城紬のことなら『つむぎの館』の資料館へ

結城紬のことを知りたいなら、皆さんまずはここに行くのでしょう。明治40年創業の奥順株式会社が運営する結城紬ミュージアム『つむぎの館』です。

つむぎの館の入り口

つむぎの館の売店

結いのおとポスター

この日、結城市では『結いのおと』という音楽イベントを開催していました。お寺や酒蔵、レストラン、そしてこのつむぎの館もライブ会場です。少々面食らいましたが、つむぎの館は翌日の会場とのことで、問題なく見学することができました。ミュージアム内の見学で費用がかかるのは資料館のみです(200円)。支払いはミュージアム入り口のすぐ左手にある総合受付か資料館の前にある木箱で行います。

早速、資料館に入りました。

>つむぎの館『資料館』

つむぎの館・資料館1

つむぎの館・資料館5

つむぎの館・資料館2

つむぎの館・資料館3

つむぎの館・資料館4

資料館では、主に結城紬の歴史と生産工程について知ることができます。

結城紬の起源

結城紬の起源は古く、あしぎぬとして1500年前の文献に記されています。絁とは太織のことで、悪しき絹とも言われていました。それが結城紬の元祖とされていて徐々に優れた織物へと進化していきます。進化のきっかけは様々ですが、そのひとつに大陸との貿易があります。大陸の織物は日本のものより優れていました。しかし、人々は貿易によって入ってきた織物を研究することで技術を向上させてきたのです。人や物の交流は技術の発展につながるのですね。

結城紬の由来

結城紬の名称はこの地方を治めていた結城氏に由来します。でも、それ以前から養蚕業と織物の文化は存在しました。結城氏より前は常陸紬ひたちつむぎと呼ばれていたそうです。後醍醐天皇のいた時代の文献には常陸紬と記されていて、結城紬の名称は江戸時代以降に使われはじめました。なお、『結城』となったのは、結城氏が朝廷から厚い信任を得ていたことと朝廷に献じられた常陸紬が他国のものをしのでいたことがあります。

江戸時代に発展

結城紬の歴史で面白いと思ったのは、江戸時代に発展することです。結城氏は第18代・秀康ひでやすの代にいまの福井県のあたりに移封になります(領地を大きく増やしているので出世といえる)。統治者が代わってどうなるか、と思いきや、幕府から派遣されてやってきた伊奈備前守忠次が、積極的に結城紬の改良と紬問屋の保護政策をしたので、それまでよりたくさんの量がつくられ、質もよくなっていきました。さらに、江戸幕府はたびたび人々にぜいたく禁止令を出したのですが、結城紬は絹でありながら木綿に似たしぶさだったので、隠れたぜいたくとして浸透していったのです。たんに優れたもの、というだけではなくて、各時代に見合っていたことも結城紬の発展の理由のようです。


資料館は2階建てです。1階は前述のような全体の歴史について学べます。2階は結城紬のデザインや用途がどのように変化してきたかを知ることができます。2000年の歴史があるとされる結城紬。実はそのうちの1600年以上は無地だったこと。そして、柄が用いられるようになると、職人間で激しい競争がはじまったこと。質は良いけど派手じゃない。だから、武士に愛用されていたことなど、大変面白い歴史です。

ところで、写真の撮影については事前にスタッフの方に確認しました。基本的には問題ないのですが、結城紬の繊維がわかるような撮影は控えてほしいとのことでした。この資料館に限らず別の場所でも同じことを言われましたので共通のルールのようです。また、売店や陳列館には撮影NGの案内がありましたので、そちらでは撮影していません。

それでは、ミュージアム内の別の建物をご紹介します。

つむぎの館『織場館』

つむぎの館・織場館3

つむぎの館・織場館1

つむぎの館・織場館2

染め織り体験のできる織場館です。たくさんの地機じばたがありますので、大勢で利用することもあるようです。ミュージアムのWebサイトによれば、染めは草木染め、織りは結城紬の糸を使った体験ができます。事前予約が必要で、染めは70分以上、織りは小さいものでも30分以上の時間がかかります。私が訪れたときは、まだ早かったせいか体験できる準備がされていませんでした。

つむぎの館『陳列館』

つむぎの館・陳列館

たくさんの結城紬が展示されている陳列館です。入館の際に、総合受付やそばのスタッフの方への声掛けが必要です。一緒に入館すると実物の結城紬を前にいろいろな解説をしてくださいます。私もじっくりお話を聞けたので結城紬の特徴や本場結城紬といしげ結城紬の違いについて知ることができました。

違いをざっくり解説すると、本場結城紬は指定文化財としての工程を経たものを言います。機械を使わずにすべて手作業で行います。それに対していしげ結城紬は、一部機械を使用します。

面白いのは手作業だからいい、というわけではなく、それぞれの魅力があることです。手作業の良さは加減ができるので、細くて均等でない糸を切らさずにつむぐことができます。また、繊細な模様は手作業でなければできません。本場結城紬は驚くほど柔らかくて軽い!そして手作業ならではの細かい独特の模様にできます。一方、機械を用いるときは、少しだけ強度の高い糸を混ぜる必要があります。そのために本場結城紬よりもやや硬めに仕上がるのですが、光沢があって価格も抑えられています。もちろん、こちらを好む方も大勢います。

それにしても、職人さんの技術はスゴイです。いまだ機械では越えられない壁があるのですね。

つむぎの館『離れ』

つむぎの館の中庭

つむぎの館の離れ1

つむぎの館の離れ2

結城紬とは直接関係がないのですが、離れといわれる建物です。明治19年建造の国の登録有形文化財で奥順よりも古い歴史があります。しかも。。。現在も問屋間の商談に使用されています!案内によると、昭和49年のNHK朝の連続ドラマ「鳩子の海」の舞台となったそうです。

この他、総合受付で結城市の美味しいものや歴史的な建物なども教えていただき、ミュージアムをあとにしました。

実演も見れるかも!?小倉商店の郷土館

続いて、訪ねたのは小倉商店の運営する郷土館です。小倉商店は結城紬の販売も行っています。

郷土館

郷土館内部

地機

郷土館内部

郷土館の1階は資料の展示と結城紬を使った小物の販売をしています。2階はたくさんの地機があって、機織りの実演や体験をすることができます。

こちらでは機織りについて詳しくお話を聞いてきました。

機織りは年中行うものではなくて、寒くて食べ物が取れない時期(秋・冬)にしていたそうです。ですから、専業で機織りをするのはまれでほとんどが兼業農家でした。冬場、力仕事をする男性に対して女性は家で機織りをします。機織りの仕事は人目につきませんので、技術が向上する過程はちょっとミステリアスですね。1人分の着物ができあがるまで、およそ2ヶ月から3ヶ月程度かかるそうです。つまり、一人では1年で3着つくるのも大変です。昔はいかに着るものが貴重だったかがわかります。

訪ねた際、ちょうど本場結城紬の工程である糸つむぎの実演をしていたので見せていただきました。繭から一本づつ糸をとる作業なのですが、細かすぎる作業で正直よくわかりません(;一_一)とても根気が必要で職人の技術のスゴさを感じました。

機織職人は女性がほとんど。でも・・・?

ところで、いまも昔も機織りをするのはほとんど女性です。しかしながら、ほんの少しだけ男性もいるそうです。いまから40〜50年前、最高品質の結城紬は男性の手によって作られました。男性は女性よりも力があるので、機織の際に糸の目を細かく出来るのだとか・・・。とても貴重なお話聞けて感謝です。


この日は二箇所でたくさんのお話を聞けました。でも、なぜ、結城だけ特別なものが作れたのか。どうやって技術を継承してきたのか。今後、結城紬はどうなっていくのかなど、知りたことはたくさんあります。今後も足を運んでみようと思いますので、その都度この記事は更新していく予定です。

アクセス

名称:結城紬ミュージアム つむぎの館
住所:〒307-0001 茨城県結城市大字結城12-2
休館日:休館日 火曜日(祝日の場合は営業)・年末年始
Webサイト:http://www.yukitumugi.co.jp/

名称:小倉商店 郷土館
住所:〒307-0001 茨城県結城市大字結城116
休館日:不定期
Webサイト:http://www.yuukiogura.co.jp/index.html