雀神社と雀姫の伝説|古河市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • ”雀”の由来
  • ”雀姫”の伝説
  • 御朱印のいただき方

すずめ神社。ちょっと変わった名称ですが、その由来も含めてご存知の方が多いのではないでしょうか。

ついつい調べちゃいますよね。わかりますよ、その気持ち。でも、それとは違った説がある知ったら興味津津になりませんか?

この記事は古河市の雀神社の由緒と伝説をご紹介します。雀のもうひとつの由来。。せっかくなので覚えておいてください〜!

雀神社とは

社殿

社殿

由緒

不詳
創建
口伝によれば崇神天皇の皇子豊城入彦命が東国鎮護のため奉斎。鎮社しずめやしろと呼ばれたが、やがて雀の宮となった。
別伝には貞観年間に出雲大社から分霊して鎮祭したという
康正元年/1455年
崇敬
古河公方足利成氏、古河により当社を厚く崇敬
長禄元年/1457年
参向
足利成氏、当社を参向および奉幣。天下泰平、国土安泰を祈願。この八文字を祭礼で使うことを許す
江戸時代初期
朱印地を賜る
徳川家康の上杉景勝討伐の折、当社で国家安泰を祈願。後に神徳の報恩のため朱印地15石を授ける
慶長10年/1605年
社殿造営
古河城主・松平康長により社殿造営
明治5年/1872年
郷社列格
印旛県の郷社に列格
明治41年/1908年
供進指定
昭和27年/1952年
宗教法人設立

ご祭神は大己貴おおなむち。それに少彦名すくなびこな事代主ことしろぬしを配祀しています。

鳥のスズメを思い浮かべてしまいますが、もとを辿るとしずめの神社。鎮守社という言葉があるくらいですから、一般的な名称だったんですね。

創建については崇神天皇の皇子・豊城入彦とよきいりひこが東国鎮護のために鎮社しずめやしろを建てたともいわれてます。古河市の公式サイトでは別伝の出雲大社から勧請とする説を紹介していますね。さらに別説として『雀姫の伝説』が。。後ほどご紹介します。

古河公方の信仰があったことも知られています。初代古河公方の足利成氏しげうじは長禄年間(1457-1461年)に参向(偉い人が参拝すること)して「天下泰平、国土安穏」を願いました。この八文字を祭礼で万灯(行灯)に書けるのは雀神社だけだったとか。

祭礼の際、旅人はもちろん参勤交代でさえも仮宮の前を通行することはできませんでした。明治時代にこの慣習はなくなるのですが、アメリカのグラント将軍を国賓として招いた際、通路にあった仮宮を少し移動したことがきっかけと『茨城の伝説』にありました。

アクセス

名称雀神社
住所茨城県古河市宮前町4-52
駐車場あり
Webサイト古河市公式

鳥居

一の鳥居

一の鳥居

駐車場は社殿のそばにあるので、鳥居は一旦境内を出ることになります。

写真の『郷社』の石柱の見える鳥居が一の鳥居。一の鳥居の扁額には『正一位雀大明神』と書かれています。大明神。たぶん、いま考えられているご祭神とは違った存在じゃなかったかと思うんですよね。。

狛犬とニの鳥居

狛犬とニの鳥居

くぐって右折するとニの鳥居が見えます。

御神木

御神木の夫婦欅

御神木の夫婦欅

境内の入口の左手にあるのが御神木のケヤキです。根本の周囲は18m、樹高は25mほどになります。

ちょっと不思議な形をしていますよね。もともと二本のケヤキだったのですが、それが長い年月をかけて合体したんです。夫婦欅とも呼ばれているそうですよ。

狛犬

狛犬左

狛犬左

狛犬右

狛犬右

岩の上でにらみ合う狛犬。独特ですよね〜。下の方には子どもの狛犬もいます。「獅子の子落とし」を表現しているのでしょう。

社殿のすぐ前にある狛犬(変顔)もやはりまっすぐと向かい合っているんですよ。

県西地域の狛犬は注目です。江戸時代以前の古いものが多く残っていて、現代ではあまり見られないスタイルばかりです。

社殿

拝殿

拝殿

社殿は入母屋造りの拝殿・幣殿・流造の本殿からなります。昭和40年台は拝殿が茅葺きだったようですね。

棟札銘によれば、慶長10年(1605)、古河城主松平康長の造営である。本殿の軒を飾る木鼻きばな実肘木さねひじき海老虹梁えびこうりょうといった組物に施された唐草の装飾文様や、拝殿の大きく面を取った角柱、舟底形の天井などに桃山期の力強い気風のうかがえる古建築である。
雀神社社殿/古河市公式

まとめて古河市の指定文化財です。実際に見るとすごく立派なので驚くと思います。それにすごくいい色をしています。

神輿殿

神輿殿

境内には拝殿から続く神楽殿、それに神輿舎など立派な建物がいくつも残っています。拝殿の裏(本殿の周辺)にも境内社がありますよ。

古河神社の神輿は昭和の末に購入した「市民号神輿」です。2011年の震災以降、担ぐことを自粛していましたが2019年の夏に復活。約150人が担ぎ例祭を賑やかに彩りました。よかったですね〜!

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古河の花火大会は雀神社の辺りからよく見えるなんてウワサもありますぞ〜
MEMO

社殿や提灯に見られる神紋は三つ銀杏です

御朱印・御朱印帳

雀神社の御朱印と御朱印帳

雀神社の御朱印と御朱印帳

雀神社の御朱印です。拝殿の右手にある社務所でいただけます。

当神社では雀のオリジナル御朱印帳をいただけます。とても可愛らしいですよね。現在、愛用しています♪

雀姫の伝説

雀神社の名称は「鎮め」から転じたといわれています。でも、まったく違う説があるんです。茨城の伝説(編:茨城新聞社)から抜粋します。

雀神社の創建記にはないが、神社の木地仏は真竜山 心誠院 神宮寺で、この寺の由来記の中に雀神社の由緒があると、郷土史家の大先輩千賀覚次翁から教授された。その伝説は次のようなものである。

古河市の竜崎には頼政神社があり、それは源三位頼政の遺骨を納めた地であると伝承されているが、頼政の娘に雀姫という美人があった。彼女の臨終には千万という雀の群がどこからともなく飛来し姫の死を嘆き悲しんだが、この奇跡に驚いた土地の人々は姫の霊を祀って、神社を創建したというのである。
「お雀様の旅」雀神社と女雀姫

なんと”雀姫”をお祀りしたとあるんです!

ただし、頼政神社の由緒は伝承。そこから更に伝承を重ねていますから信憑性は極めて低いと思いますが。。とても面白いお話ですよね。

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雀神社には”丑の刻参り”の伝説もあるんですよね。21日間、丑の刻にだれにも見られずお参りすると願いが叶うといい、徴兵を逃れた人もいるとか。一般的な丑の刻参りは”いのりくぎ”と呼ばれ、やはり伝説として残っています

源三位頼政公を祀る頼政神社〜鵺退治の伝説|古河市

まとめ

この記事のまとめ

  • 雀神社は「鎮め神社」がなまったとされています。
  • ”雀”は源三位頼政の娘に由来という説がある
  • 御朱印および御朱印帳あり

参考文献

茨城の伝説/編:茨城新聞社
茨城県神社誌/茨城県神社庁
古河のむかしばなし/作:一色悦子・本木洋子 絵:猪瀬開蔵

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