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伝説の武将と妖怪退治のお話を古河市で発見しました!
なかなか突飛なお話ではありますが、すべてが創作とは限りません。一部にきらめく真実があるのです!!それを発掘するのが歴史と民話を調べる面白さ。
この記事では古河市の頼政神社と頼政公の鵺退治についてご紹介します。書ききれない内容がたくさんありますので、気になった方はぜひ参考文献で調べてみてください!
頼政神社とは
頼政神社は古河市の錦町に鎮座しています。もともと古河城の南端(立崎)にありましたが、渡良瀬川の改修工事によって大正元年(1912年)現在地に移設されました。
ご祭神は源三位頼政公(源頼政)です。源三位は通称で従三位という位に由来します。
菅原道真公のように人をお祀りしているんですね。それには次のようなお話が伝えられています。
治承4年(1180)、源頼政は平家と宇治で戦ったが、利あらず自刃した。そのとき従者に遺言して「我が首を持ち諸国をまわれ、我れ止まらんと思う時、必ず異変が起きよう。その時その場所へ埋めよ」といった。従者は、諸国をめぐって下総国古河まできて休息した。再び立とうとしたが、その首が急に重くなって持ち上がらなかった。不思議に思ったが、遺言どおりその地に塚を築いた。これが頼政郭だという。
頼政神社/古河市公式
首が重たくなった部分が事実かどうかはおいといて。。はじめは塚(お墓)でした。それを延宝5年(1677年)古賀城主・土井利益が城内の鎮護の神として神社を創建。当時の呼び名は頼政大明神です。
史実の頼政公は白河天皇、鳥羽天皇、後白河天皇に仕えた武将。そして一流の歌人です。天皇に仕えたことや源三位となったのも歌の達人だったからといわれます。
平安時代は腕力よりも文化力のほうが重視されていたのでしょう。そういえば、菅原道真公も歌が上手でしたね。
頼政公は弓の名手で文武両道の天才武将でしたが、平家打倒は無謀だったということでしょうか。決起は77歳のとき。平清盛の次男・宗盛が息子の仲綱の馬を奪ったことを許せなかったといわれています。
明治になって古河城がなくなると頼政神社は立崎の鎮守となりました。移転後は8つの町内(観音寺町・桜町・船渡町・片町・白壁町・仲ノ町・江戸町・厩町)の鎮守です。
元禄9年(1696年)、古河城主の松平信輝が城内に先祖の源頼政の墓があるのを知り、神社として祀ったという説もあります。(古河市教育委員会)
駐車場
車で行く場合、最寄りの駐車場所は古河公園です。
すごくわかりにくいと思いますが、渡良瀬川側の9号から入ってきます。そこから徒歩で以下のように進めば神社の正面です。
公園にある水神宮は頼政神社の境内社です。
ご祭神は水波女命。鳥居の足が途中まで塗られているのですぐわかると思います。。
境内
神社は鳥居の前に石段があります。上っていくと一の鳥居が見つかります。
鳥居の先には右に手水舎、左に簡単な神社の案内がありました。
二の鳥居は両部鳥居ですね。神仏習合の名残です。でも、ご祭神は昔から頼政公ですから「神仏」には少し違和感がありませんか?
わたしは同市内の徳星寺の影響じゃないかと思うんです。古河市史(通史編)によると、近世まで徳星寺が頼政神社の別当を務めていたそう。それに神社と同じ立崎にあったんです。
徳星寺は下河辺氏の猪早太のひ孫によって開山とのことですが、猪早太は頼政の首を埋めたともいわれるんです。それはつまり。。
伝説を読み解く場合、こうした『関係者』や『伝えた者』に注目するとなんとなく見えてくることがあります。
頼政神社は古河だけでなく、龍ケ崎や取手にもあります。そちらにも伝説があるそうなので、ぜひ調べてみたいですね!
拝殿はわりと新しい印象です。旧村社ということもあって、いまなお寄付が集まっているのかもしれません。
わたしが注目したのは手前の狛犬です。よく見かける狛犬は参拝者を見張るように入口を向いていますが、こちらはお互いに向かい合っています。
古河市をはじめ県西地域の狛犬はこのタイプが多いんです。以前、県立図書館で調べたことがあるのですが、文化財になるような古い狛犬、あるいは木製には向き合っていることが多いようです。
地域性があるかわかりませんが、同じ職人さんが手がけた可能性はありますよね。ぜひ、チェックしてみてください。
狛犬は江戸時代前期の作といわれ、400年近い歴史があるとされます。
頼政の鵺退治
写真は桜川市の富谷観音の本堂に掲げられた画です。内容は頼政の鵺退治と思われます。
なにそれ。という方がほとんどのはず。わたしもTwitterで教えていただくまで知りませんでした。
これは『平家物語』で近衛天皇(二条天皇とも)に取り憑いた『鵺』を退治するシーンです。
鵺とは。。頭はサル、胴はタヌキ、尾はヘビ、手足はトラ、声はトラツグミ似て不気味な鳴き声といわれる妖怪です。(たぶん)実在しません。
頼政公が鵺の存在を見破ると鵺は一旦逃げ出し、体制を整えて頼政公に襲いかかります。公は弓で応戦し、鵺に手傷を負わせたところを猪早太が刀で仕留める。
というわけで、画の弓を持っている人物が頼政公、妖怪に刀を突きつけているのが猪早太です。
この伝説、どこかで聞いたと思ったら、鳥羽天皇に取り憑いた九尾の狐(玉藻前)の伝説と同じです。
玉藻前は陰陽師(安倍晴明とも)に正体を見破られて逃走。その後、朝廷軍と戦い弓で射られて敗北。殺生石に化けて延命はするものの。。と続くんですが、大体は同じですよね。
鳥羽天皇ではなく近衛天皇だったともいわれることから、2つの伝説はどちらかを元にしているか別の伝説から派生しているかでしょう。
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御朱印
頼政神社の御朱印です。初穂料は300円。
社殿の通り沿いにある宮司宅でいただけます。たしか玄関にしめ縄があったような。。
駐車場から神社の正面に向かう途中、左手にあります。
アクセス
名称 | 頼政神社 |
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住所 | 茨城県古河市錦町9-5 |
駐車場 | 古河公園に駐車可 |
定休日 | 木曜日 |
Webサイト | 古河市公式 こがなび(古河市観光協会) |
まとめ
頼政神社は古河市の錦町に鎮座する神社。ご祭神は源三位頼政公です。
頼政公は武勇の誉れ高き武将で一流の歌人。
弓の達人とされ、平家物語では妖怪『鵺』を退治したといわれています。
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
常陽藝文 1992/7月号
古河市史(通史編)/古河市編さん委員会
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。