wata
県西地域の寺社についてはWeb上にも情報が少ないようです。特に御朱印を巡るときには苦労することでしょう。しかし、そうした場所こそ実際に足を運んでみると面白い。住民がいたのなら必ず文化が生まれ歴史を残します。
知られざることに気づきブログに残す。まさにこのブログの醍醐味というもの。この記事では境町の境香取神社をご紹介します。県西を訪れた際にはぜひ足を運んでみてください。
この記事でわかること
- お寺の由緒とご利益
- 境内社の八坂神社について
- 御朱印のいただき方
このブログを書いたのは2019年です。2024年現在、県西地域の御朱印の頒布は大変な賑わいとなりました。
由緒
香取神宮から分霊されたといわれるが不詳。古文書からすると文禄4年頃(1595年)とも推定できる。
*境内掲示板による
同地内の無格社・八幡神社、竜神社、水神宮、日枝神社、鹿島神社、稲荷神社、浅間神社、天神社、山神神社を合祀
洪水により旧記消失
明治13年に起工
*境内掲示板より
ご祭神は未来を切り開く武神・経津主大神。相殿には文武の神・誉田別尊をお祀りしています。当社の社号はフツヌシに由来しますから、ホンダワケは合祀された神の中で有力だったということかと思います。
「境町沿革小誌」によると相殿神の誉田別命は古河公方の足利晴氏が合祀をし、同氏の奉納した古太刀が神体とされています。
たびたびの水害により社記を失った当社は、由緒のほとんどが不詳。鳥居や石籠などに彫られた文字によってかろうじてわかる程度です。あとは別当の吉祥院(新吉町)にも多少なにか伝わっているかもしれませんね。
境内はよく整備されており、多くの摂末社が立て札で解説されています。詳しい歴史を知るのは難しいのですが、さまざまな学びや発見のある神社かと思います。
アクセス
最寄りICは境古河IC。下りて約10分ほど。道の駅さかいからも目と鼻の先となっています。駐車場は社殿の南東側にあります。具体的にはGoogleMapをご参考に。
鳥居
駐車場は社殿のそばにあるのですが、いつも通りあえて一の鳥居からお参りします。立派な鳥居は昭和50年に建立されました。鳥居の左側の社号標は文字が削れています。どうやら『村社』とあったようです。
鳥居をくぐり200mほど直進。参道の両脇には民家があって人々の暮らしと一体化しているようでした。
二の鳥居の扁額には香取神宮。手前の石柱には自然や祖先の恩に報いるという意味の『報本反始』とありました。報本反始の下には東京氏子中と彫られていましたが、境町から旅立った方々が奉納したということでしょうか。
ちなみに二の鳥居の足の部分には寛政9年(1797年)の建立と彫られています。ほとんどの記録を焼失している当社ですが、少なくとも200年以上は確実に遡れるようです。
境内には多くの摂末社があって、すべてご祭神やご神徳などを解説されています。近年追加されたようで大変面白く勉強になりました。
稲荷神社や天満宮のように有名なものから、白山神社や下田権現神社などあまり見かけないものまで。楽しく散策できますので、神社ファンはぜひ!
しかも、単に社殿が並んでいるのでなく、庭園のように整備されているのが素敵です。池の中心にある厳島神社、小高い場所にある浅間神社など。思わずニヤリとしてしまう。。
狛犬
県西地域の神社を巡る際には、ぜひ狛犬にも注目してください。台座ではなく岩の上に登っていたり、互いに向かい合っているなど、他の地域では見られない個性的な姿が多いと思います。
どうして県西の狛犬は独特なのでしょう。土地の職人や神社同士の関係、地域的な流行があったのかもしれませんね。
社殿
入母屋破風造の立派な拝殿です。向拝に連なる提灯がなんともいい感じ。
水引虹梁には松を背景に琴を演奏しているかのような彫物が見えました。大抵の場合、ここにあるのは龍か鳳凰ですから面白いコンセプトがあるのかもしれません。
手挟は両サイドとも松と鶴のようです。手前の屋根を左右から見ないといけないので、気付かない方が多いかもしれませんね。
神明造に見えますが、屋根が延長していあって流造といえなくもないかも。ちょっとした幣殿みたいになっていますね。千木は男千木、鰹木は五本だったかと思います。
ところで、境町には21もの香取神社があるそうです。思ったよりたくさんあって驚き。それには次のような理由があるそうです。(Webサイト『きんもくせい』から一部抜粋)
香取神社は全国に約470社ありますが、多くは茨城県西部と埼玉県の利根川流域沿いに鎮座しています。利根川流域に集中している理由は、地域の人々が水運(舟運)の無事を祈願するため、本宮である下総国の香取神社から勧請したからです。
境町歴史民俗資料館 野村正昭
したがって、境町の各地区に香取神社が祀られているのは、境町が水運の町であることに加え、香取神社を「一宮」として崇拝している下総国に属していたことが理由として考えられます。
水害を恐れる人々が必死に祈った神社なのでしょう。
二代目のしだれ桜
境町の公式サイトでも見頃をアナウンスされるしだれ桜。町全体から名桜と認めているんですね。見頃は3月下旬から4月上旬です。
常磐百景(@joban_100)からお写真をお借りました。80年の樹齢を終えた初代を受け継いだ二代目です。池のそばに豪快に花を咲かせていて、晴れていれば逆さ桜も楽しめそうですね!
八坂神社兼神輿殿
二の鳥居をくぐってすぐ左側にあるのは八坂神社兼神輿殿。中を覗いてみると提灯をつけたお神輿がありました。
このお神輿は毎年7月15日頃の例祭で担がれます。例祭はさかいふるさと祭りと同時開催。祭りは花火大会から1週間ほどずらしているようです。
立て札の解説には次のようにありました。
当神輿の担ぎ方は江戸前担ぎと呼ばれ、境香取神社氏子青年会を筆頭に、各町祭り団体更には氏子の方々に、激しく担げば担ぐほどご利益があるといわれています。
八坂神社のご祭神は建速須佐之男命。荒々しい神様にふさわしい激しさで担ぐわけですね!暴れ神輿の異名を持っています。
ここでいくつか疑問がわくかと思います。
どうして香取神社の氏子が八坂神社のお神輿を担ぐのか。そして八坂神社の社殿はどこなのか。気になって宮司に尋ねたところ、神輿が御神体を兼ねており、神輿殿が社殿の位置付けになっているそうです。
また、香取神社の氏子が八坂神社の神輿を担ぐのは、香取神社に神輿がなかったから。。それなら香取神社の神輿をつくればいいのでは?八坂神社の神様を勧請せずに。
そう思いましたが、当時は香取神社に新しい慣習を生み出そうとは考えなかったそうです。どうして『香取神社の神輿』ではいけなかったのか。非常に興味深いことです。
このお神輿には本当に多くの人々の想いが詰まっているように感じました。
wata
これまで激しく担がれ続けた神輿は平成25年に大幅な修復がされました。
御朱印
境香取神社の御朱印です。社殿右手の社務所でいただけます。
こちらは少し前のものになりまして、いまでは境内社の例祭など非常に多くの種類が頒布されています。それにデザイン性もすごい!
近年ではイラストのある御朱印も豊富で大変な人気です。神玉の頒布などもあって社務所は大忙しですね。
いただける御朱印はInstagramなどのSNSで情報を発信しています。社務所の稼働状況も確認できますので、事前にチェックしてから伺うのといいですよ。
御朱印の受付日もSNSでチェックできます。
・ご祭神は経津主大神。同神は境町に非常に多く祀られている
・八坂神社はお神輿が社殿。激しく担ぐほどご利益があるといわれる
・御朱印は社殿右手の社務所でいただける。種類が豊富
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。