wata
- 奉納相撲大会の場所・様子
- 祭り当日の金比羅神社
- 女河童”ねねこ”について
力が支配する町。利根町。。ウソです。利根町はとても平和で楽しい町です。
それがわかる伝統行事・金刀比羅神社の奉納相撲大会を見学してきました。参加するのは子どもたち。それはもう賑やかな大会でした。
利根町から相撲はいまいちピンときませんでしたが、じつは面白い伝説と関係しています。なんと、関東の河童界の頂点にいたねねこが参戦していたかもしれないんです!
利根町は多くの名所や有名人とのゆかりがあります。奉納相撲もそうですが、布川という土地に集中しているのが特徴ですね!
金刀比羅神社奉納相撲とは
奉納相撲は毎年秋分の日に開催。1795年にはじまったとされる利根町の伝統行事です。奉納は神様に楽しんで貰うために自分たちの好きなものや大切なものを捧げること。相撲や子どもたち、そして楽しんでいる人々の想いを神様に届けるということでしょう。
利根町役場(写真)の敷地に土俵をつくって子どもたちが参加します。齢は0〜12歳。性別と年齢ごとに階級分けされています。会場は駐車場から歩いて2〜3分です。
雨天だと順延されて次の日曜日になります
大会のようす
相撲は9時から受付、10時にスタートです。わたしはいつものように遅刻しましたので、すでに土俵の周りには人だかりが。
少し慌てましたが、そのおかげで利根川と栄橋、そして相撲大会が一緒に見れました。利根町らしさを感じますね。
相撲は0歳からはじまって、順番に年齢があがっていきます。女の子も参加できます。かなり積極的に土俵にあがっていました。やる気マンマンですね!
小学3年生くらいまでは、みんな恥ずかしがりながら参加します。でも、それ以上になるとだんだん闘争心が。。その辺のようすも楽しめるところですね。
大会の後半には勝ち抜き戦がありました。優勝したのはおそらく6年生。お米を受け取っていました。
保存会の会長さんの願いは、いつか大会から力士が誕生することだそう。茨城は元横綱稀勢の里をはじめ、たくさんの力士がいるので期待したいですね!
ほのぼのとした伝統行事でとても楽しめました。
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アクセス
店名 | 利根町町役場内 |
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住所 | 茨城県北相馬郡利根町布川841-1 |
Webサイト | 利根町役場Webサイト内 |
駐車場 | あり |
小林一茶も見た?
俳人の小林一茶もこの相撲大会を見ています。お友達でスポンサーの古田月船が布川に住んでいたので、たびたび遊びに来ていたんです。
一茶は1803年に見物。そして俳句を残しています。
べったりと 人のなる木や 宮角力
小林一茶
正面は 親の顔なり まけ相撲
小林一茶
1つめは相撲を見るたくさんの人たちのことを詠んでいます。2つめは子どもたちが相撲をとっていることがわかりますね。べったり、の方は神社に石碑として残っています。
琴平神社
奉納相撲は神社の秋の例祭をかねて行われます。もちろん、神社の方にもお参りしてきました。相撲大会の会場から歩いて1分ほどです。
神社の神額には琴平神社とあります。金毘羅じゃないの?と思いましたが、神社は琴平で相撲は金毘羅で間違っていません。これでずっと続いているようです。理由はどこを調べても分かりませんでした。。
社殿です。境内は決して広くありません。でも立派な樹々に囲まれていて神聖でおごそかな雰囲気があります。子どもたちは奉納相撲に挑む前にここでお参りとお祓いを済ませます。
ご祭神は大物主命。創建年代は不明です。ただ、天明6年(1784年)に再建されたそうです。
わたしはこの日に初めて訪れました。普段は社殿が閉じられているそうですが、例祭のある日なのでオープン!いいタイミングでした!
それにもうひとつ良いことがありました。神主さんたちがいて、お参りの前に太鼓を叩いてくれたんです。一瞬意味がわからなかったのですが、お参りの際の太鼓にはお清めやお祓い、そして歓迎の意味があるそうです。いい思い出になりました。
お参りを済ませると社殿の右側に大きな建物があることに気づきました。そばの方に尋ねると、徳満寺と教えていただきました。
じつは以前からお寺の名前だけは知っていました。民俗学者の柳田國男とゆかりがあるんです。なんでも幼少期に衝撃を受けた絵馬があるとか。。
これ、ちょっと怖い話なんです。深い話でもあるので別の回に書きます。
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名称 | 琴平神社 |
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住所 | 茨城県北相馬郡利根町布川 |
駐車場 | なし |
女傑河童ねねこ
金比羅神社の奉納相撲に伝説の妖怪が参戦したお話があります。
伝説の妖怪とは、関東の河童界の頂点に君臨したねねこ(子子コ)!ねねこは女性だったそうですよ!お侍が登場するので、ねねこの時代はおそらく江戸から明治の頃でしょう。
茨城の河童伝承より
ねねこはもともと利根川の上流に住んでいました。その頃は、目立つこともなく、名前も知られていませんでした。
ところが、ねねこには放浪癖があって、ふらふらと利根川を下っていく途中にめきめきと力をつけたといいます。そして、中流にある布川にたどり着く頃に、関八州の河童族の大親分になっていました。
関八州とは、現代の東京、茨城、千葉、栃木、群馬、神奈川、埼玉あたりです。ものすごくどうでもいいことですが、マンガのサラリーマン金太郎の主人公(金太郎)は八州連合という暴走族のヘッドでしたね。
ねねこの性格は可愛らしい姿とは違って短気で暴れん坊。喧嘩上等でもろ肌脱いで啖呵を切ったりします。また、漁師のすきを狙っていけすの魚を喰い荒らしたり、畑のきゅうりを根こそぎ盗んだりしました。
さらに、川で遊ぶ子どもを見ると尻子玉が欲しくなってソワソワ。。生肝を狙って馬を川に引きずり込もうとしたことも。馬って数百キロありますよね。
人間との関わりが深くなったのは、この馬の生肝事件からです。暴れる馬に振り落とされて力尽きたねねこ。そこを馬の持ち主で布川の有名なお侍さんが首根っこをおさえました。「これまで!」と思ったねねこは、平謝りしてもう悪事をしないと約束したそうです。
それから、心を入れ替えたねねこは人間と仲良くなります。そして(経緯はわかりませんが)、ねねこは金毘羅神社の奉納相撲に参加しました。
ねねこの相手は、かつて首根っこをおさえられた侍の子孫。加納鉄之丞です。2人の対決は湧きに湧き、賭けの対象にもなりました。対決はほぼ互角でしたが、最後は鉄之丞がねねこを土俵外に放り投げWin!
勝負のあと、ねねこは川に帰り、加納家はねねこを家の守り神として祀ることにしました。
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人間との勝負はねねこの連敗。「本当にねねこは強いのか」という疑問があります。しかし、やはり河童界では最強。熊本の9,000もの河童の子分がいたという九千坊に勝利!ねねこはあまり賢くないようですが、河童同士なら無敵です
誕生の背景
布川に河童(ねねこ)がいたお話は、村の災害と関係がありそうです。
むかしはいまの地形と違って、琴平神社のすぐ下に小貝川がありました。(いまは少し離れた場所で、利根川に合流しています)当時の小貝川は非常に川幅が狭く、流れの速い川でした。
しかも、川幅が狭いわりに深さがあり、いつも大小の渦が見えていたそうです。そして、数日雨が降るだけで氾濫し、村全体を浸水させていました。
そのため、この危険な川に子どもたちが近づかないように親たちは「渦の中には河童がいる」と脅かしていたそうです。河童のお話は当時の安全対策のためでもあったのでしょう。
その他のねねこ情報
わたしが生まれる前なので知りませんでしたが、アニメにも登場しています。日本昔ばなしのWebサイトでざっくりと内容がわかります。ねねこは馬の生肝事件のあと、懲らしめられたお侍を好きになっています。。意外過ぎる展開。
また、マンガの地獄先生ぬ~べ~にも登場します。「ねねこがっぱだっぺよー」と出てきますが、あれは茨城弁なんですね。幼いころ、まったく気にしませんでしたが、ちゃんと利根川にいたことに由来しています。
赤松宗旦の利根川図志にも出てきます。赤松宗旦は、江戸時代に布川に住んでいた学者。歴史、伝説、地理などを研究して、それをイラスト付きで書き残したものが利根川図志です。写真は宗旦がかつて住んでいた家で利根町の文化財として残っています。相撲大会の会場から5分ほど歩いたところにあります。
利根川は日本で大きな流域面積です。長さは日本で2番めですから、日本屈指の川だといえます。その利根川を支配していたわけですから、やはりねねこは最強クラスなのでしょう。
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まとめ
この記事のまとめ
- 利根町の相撲大会は200年以上の歴史がある重要な神事。かつては小林一茶も観覧
- 相撲大会当日は金比羅神社の社殿を開放
- かつて女河童”ねねこ”が参加したともいわれる
参考文献
参考文献
茨城の河童伝承/著:岡村青
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。