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- 由緒とご祭神
- 八龍神社と「塚崎の獅子舞」について
- 御朱印のいただき方
茨城の神社巡りをする者にとって、県西といえば香取神社です。地域と比べて明らかに集中しています。特に利根川沿いがすごい。
江戸時代以前は下総国に属したので一の宮の香取神宮の影響と考えられますが、人々の信仰はそこまで単純ではないと思うんですよね。
「有名な神様だから自分の地域にも」ではなく、もっと神格に沿った考え方があったのでしょう。香取の神は境、つまり区切りや境界を守護するとして考えられていたのではと思います。
香取神宮は常陸国との境に位置し、常陸国は長い間朝廷が支配できなかった陸奥国に接していました。こうした「境」は要注意。道や季節、年齢などの境には魔が潜んでいると考えられていました。
というわけで、今回は境町の塚崎に鎮座する香取神社、通称:塚崎香取神社についてシェアします。多くの謎を残していますので、ぜひご自身で調べてみてください!
塚崎香取神社とは
由緒
ご祭神は経津主命です。また、品陀別命、宇迦御魂神、美津波売命を相殿神としています。香取神社は香取神宮が総本営なので、経津主命は神宮から勧請したのでしょう。
天正14年に創建とのことですが、当時の神社が当社の前身といえるかよくわかりません。個人的には元禄の遷座以降のような気がします。
当社の宝物記によると元禄年間に別当の香取院によって金幣や神体が奉じられました。別当とは神職に代わって神社の祭祀(仏式)を担うお寺、あるいはそのお寺の僧侶のことで香取院が当地の信仰をまとめていたと考えられます。
香取院はいまも当社の南西、宮戸川の向こう側にあります。『茨城県神社誌』に記された当社の由緒にも香取院についてありますので、双方は明治の神仏分離令のあとも良好な関係だったのでしょう。
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アクセス
茨城県でもかなり西の方。利根川の手前です。
最寄りICは圏央道の坂東IC。下りて約15分です。
駐車場は社殿のすぐ西側にあります。社殿と宮戸川の間にある道路から入ってください。
駐車スペースは広く有りませんが、参拝者が多い神社ではありませんので、ほぼ確実に駐車できるかと思います。
名称 | 塚崎香取神社 |
---|---|
住所 | 茨城県境町塚崎2876 |
駐車場 | あり |
境内入口
以前は鳥居の周辺にも駐車できたのですが、現在(2021年11月)は工事中につき停められません。
この社号標を見たければ社殿の辺りからぐるっと周り込む必要があります。わたしはこういうの余裕で歩けます。
参道はおよそ200m。西側は川、東は道路や田んぼとして開拓されていますが、参道にはしっかり並木が残されています。ささやかながら鎮守の森を維持しているのでしょう。
鳥居
参道の先には平成18年に建立された両部鳥居。両部鳥居は足の部分が三本ずつになっています。ガッチリした感じ!
「両部」とは密教で言うところの金剛界と胎蔵界を意味するといわれ、当社の別当だった香取院が真言宗であることと関係ありそうですね。
扁額の書体が独特。なにか縁のある方が揮毫したのでしょう。
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狛犬
鳥居の先には社殿です。しかし、その前に注目していただきたいのが、拝殿前の狛犬。
猛々しいお姿で参拝者を迎えるというよりも襲いかかりそう。。眺めているだけの狛犬とは一味違う。
県西地域の狛犬はやたらワイルド。境香取神社や雀神社の狛犬も似たような形をしているので、地域性なのでしょうか。
社殿
拝殿です。平成30年に改築。まだ3年ほどしか経過していないのでピカピカですね。なんとなくお寺っぽい印象を受けます。
本殿は覆屋で見えません。平成28年に改修したとのことで、きっと中は拝殿同様に真新しいのでしょう。
平成になって境内が少しずつ整えられています。あまり有名な神社ではありませんが、氏子によって大切にされているのが伝わりますね。
ちなみに社殿の右手に鎮座しているのは天神社。それには以下の神社が合祀されています。
- 稲荷神社
- 菅原神社
- 八幡神社
- 神明神社
- 雷電神社
これらは明治期に周辺から合祀された神社かと思います。榛名神社は茨城では珍しいですね。
菅原神社については詳しくわかりませんが、ご祭神は菅原道真公でしょう。
社殿の隣に「菅原神社一千年祭」の石碑がありました。明治35年(1902年)の建立なので延喜3年(903年)の創建という意味でしょうか。延喜3年は道真公が亡くなった年ですね。
御神木
社殿の向かって左手の広報に御神木の跡があります。樹齢400年といわれる巨木でしたが、枯死のため2013年に伐採されました。
樹齢400年というとまさに神社創建と同年代!氏子の先祖の眺めた御神木ですから伐採には色々な想いがあったと想像できますね。
境内社:八龍神社
香取神社の社殿の左手に鎮座するのは八龍神社。境内社にして注目の神社。
というのは、こちらの祭礼に舞われる獅子舞が県指定の無形民俗文化財であるためです。興味深い内容なので県教育委員会から引用します。
五穀豊穣・天下太平を祈るこの獅子舞の歴史は古く、仁義礼智を尊ぶ「獅子講」人たちによって長く受け継がれ、塚崎の香取神社に合祀されている八龍(はちりゅう)神社の祭礼に舞われました。
「お獅子様」は大正11年(1922)に塚崎の総鎮守である香取神社の境内に安置することになったと伝えられています。
毎年4月15日、7月15日、11月15日の祭礼には、香取神社の斎庭(ゆにわ)で男獅子、中獅子、女獅子の3頭による「せきもんどり」「うずめ」「ひら」「女獅子かくし」「梵天がかり」「橋がかり」の舞が奉納されます。
4月には「回りささら」といって大字全部を回り、6月には大字界で「辻止め」の舞を行います。
また「天水こぼし」の舞は近郷の雨ごいに出張して行われます。
獅子の「風かけ」についている紋章は、「井げたに本」の字で、関宿城主久世大和守に頼まれて雨ごいを行い、その霊験あらたかなところから城主よりその定紋の使用を許されたものと伝えられています。
かつては、獅子講は地域の長男だけで構成され、獅子舞の日には、塚崎へきた嫁や他村へ嫁いだ人たちは里帰りして参拝するならわしであり、獅子の風かけの中に頭を入れて、子どもの健やかな成長や子宝の授かることを祈りました。
塚崎の獅子舞/茨城県教育委員会
わたしは獅子舞をまだ拝見できていないのですが、境内にある石碑から氏子の獅子舞に対する想いが凄く伝わってきますので非常に興味を持っています。
石碑はいくつか建てられており、いずれも先祖から受け継がれた舞をしっかりと伝えるという決意が記されています。その背景には当社に残された獅子舞の歴史があるのでしょう。
獅子舞については嘉永元年(1848年)の「御獅子講中人別改帳」をはじめ、明治時代まで数々の書物により丁寧に記録されています。記録には氏子の先祖の名や現代に続く講中についてあるのですから、受け継ぐ者たちが無責任でいられるはずありませんよね。
八龍神社はご祭神は美津波売命です。『茨城県神社誌』に記載がなかったのであれこれ考えてしまいました。龍は神道より仏教に縁がありますので、例えば仏を守護する天竜八部衆の垂迹(仮の姿)である八竜神ではないか、とか。
だとすれば、創建当初から別当に営まれ、仏を守護する役目を担った香取神社らしい境内社といえるのですけどね。
「八竜神とはなんなのか」
ミツハノメということで一応の結論は出ていますが、それは江戸以前にさかのぼっても同じなのか。もっと掘り下げられるテーマではないかと思います。
御神池
社殿の東側。道路を挟んで小さな御神池があります。これについても詳しいことはわかっていません。おそらく古くは禊に使われたのでしょう。
ところで、社殿から御神池に続く通路の途中にはいくつかの水神宮が並べられています。水神を祀る社殿とは別に祠があるのはなぜでしょう。
これがそうかは不明ですが、水神宮は水辺で亡くなった方の供養塔としている場合があります。
偶然にも流れ着いたご遺体を「えびす様」とし丁寧に葬ることで、福徳に恵まれるという信仰は海辺にもありました。日本の長い歴史の中で生まれた信仰には、現代の神道で説明できないこともあるということですね。
御朱印
塚崎香取神社の御朱印です。書き置きは拝殿前に置かれていますので賽銭箱に初穂料を納めてからいただきます。直書きをいただきたい場合は、同書にある連絡先にお電話すれば対応してくださるそうです。
令和5年から頒布のはじまった神玉をいただきたい場合は宮司宅へどうぞ。境内に住所が書かれています。ポスターが掲示されていますので、そちらの電話番号から在宅かご確認ください。
まとめ
この記事のまとめ
- 実質的な創建は江戸時代。当初から別当があり、神仏習合していた
- 八龍神社は境内社。例祭の「塚崎の獅子舞」は県指定無形民俗
- 御朱印は拝殿前に書き置きがある。電話をすれば直書きもいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。