wata
- 由緒とご祭神
- 三軒地の由来
- 「虎」との関係
- 御朱印のいただき方
お稲荷さまといえば「ウカノミタマ」。そしてたま〜に「ウケモチ」とか「荼枳尼天」。神社巡りをされている方なら即答できることでしょう。
これらは農耕神とか穀物神とされますが、じつは港町で祀られ大漁祈願されることも少なくありません。海に狐(お稲荷さま)ってなんだか不思議だと思いませんか?
この記事ではお稲荷さまと水との関係を、先日参拝した三軒地稲荷神社を通じてシェアいたします♪
目次
三軒地稲荷神社社とは
由緒
ご祭神は宇迦之御魂神。五穀豊穣と商売繁盛で知られる神様です。ただ、ときにはその神格を頼りに治水が祈願されたと思われます。
当社には社伝があまり残っていないのですが、境内で配られている切り抜きに興味深いことが書いてありました。作家の芦原修二さんのエッセイで主に次のような内容です。
- 宮司によれば三軒地稲荷とは、明和3年(1766年)に当地を通っていた水戸街道がいま旧道と呼ばれている方へつけかえられた際、住民が三軒しか残らなかったことに由来する
- ①に関連する民話が当地宮和田と小貝川を挟んで反対側に位置する稗柄村に伝わる。殿様が通る際に足元が悪かったが、16石ばかりの小さな村だったのでどうしようもなかったという
- 水戸藩が取手と藤城宿を経由するようになったのは元禄期(1688年〜)から。②の話は元禄初期のことでないか
要は水戸街道の変遷の歴史と民話を結びつけているのだと思います。その過程で「三軒地」の愛称もついたということですね。
江戸時代、宮和田と藤代にはそれぞれ本陣があり、宿場町として栄えていたそうです。宮和田は藤代の一部として藤代宿と呼ばれていました。
②の殿様(水戸藩主綱條?)が誰かは不明ですが、足元が悪かったとあるのは事実でしょう。元禄期に限らず継続的にそうだったので経由地を改められたのではないでしょうか。
下の「アクセス」にある地当社の鎮座地を見るといかにも水害に遭いそうな立地です。出島のような地形で三方を小貝川が流れているのですから。
当社では治水が祈願されたはずと前述したのはこの地勢のせいです。土地に水がかぶるようなら農業も商業も成立しませんからね。なお、今はしっかりとした堤防ができて安全だと思いますよ。
宮和田は元禄7年(1694年)は土浦藩領、天明6年(1786年)には天領になっています。
アクセス
最寄りICは圏央道の牛久阿見ICあたりでしょうか。下りてから約15kmなので時間にして20分ほど。正直一苦労。
県道208号で小貝川を渡ったあたりで北進。非常に狭い道路が続きますが、駐車場は広々としていますのでご安心を。
最寄り駅は常磐線の藤代駅です。1.4kmほどしか離れていませんので、少し頑張って徒歩で参拝することが可能です。
余談ですが、駐車場には何やらおめでたいトピアリーがありますよ!
名称 | 稲荷神社(通称:三軒地稲荷神社) |
---|---|
住所 | 茨城県取手市宮和田100 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
鳥居
いざ参拝。住宅街にあるのでもっとこぢんまりした神社かと思ったら、驚くほど立派な鳥居。景気の良さを物語っていてありがたい限り。
二の鳥居は稲荷神社らしく真っ赤。数字の「二」や「七」、「赤」や「南」はお稲荷さまと関係が深いので、お参りのときに探してみると面白い発見がありますよ!
福徳きつね
山道右手に見えるラブリーな狐像は2019年に建立されたようです。製造した石屋さんがブログに書いていました。
稲田石製ということは笠間で採れた石ですね。従来の狐像と違って子どもに頭を撫でてもらえることを目的に作ったとか。狛犬や狐像にそうしたことをする人はまずいませんが、ここではOK!
ちなみに境内の奥の院の祠には大正時代まで狐が住んでいたと書かれています。狐は人と共存しませんので、なにやら神秘的な匂いがしますね。
社殿
非常に均衡の取れた拝殿。個人的にはかなりかっこいい。屋根には2匹の狐が飛び跳ねていました。これぞ飛躍の神社。
神紋は「三軒地」の文字と稲穂。稲荷神社で稲穂はよく目にしますが、文字入りはレアかも。法人登録されている当社の正式名称は稲荷神社かと思いますので、愛称を大切にしているんですね。
近年建て替えられたと思われる本殿は覆屋によって完全防護。境内全体に新しい息吹を感じます。
一本桜と奥の院
社殿向かって左手奥の方に進むと奥の院があるのですが。。その手前、左手にまだか細いものの一本桜が植えられています。平成6年に宮司就任記念として植えられたもので、親木はあの有名な三春の滝桜の子どもなのだとか。先が楽しみですね。
さらに進むとふたたび小さな鳥居。ここから先は奥の院。そして他社では見られない特殊な光景です。
この場所を一言でいえば強烈な稲荷信仰。驚くことに同じ稲荷神社がずらりと並んでいます。境内社といえば小さめの社殿もしくは祠が数種類。ところが当社の場合はお稲荷さまにひたすら特化。
同じ稲荷神社であっても微妙に違いがあるようで、この赤い社殿の扁額には「夜啼稲荷大明神」とありました。子どもの夜泣きが鎮まるということでしょうか。
扁額などで確認したところ、建立者もそれぞれ異なるようでした。稲荷神社では鳥居や旗の寄進をよく見ますが、社殿自体がその代わりなんですね。なんとも厚い崇敬です。
こちらの扁額には「本陣稲荷神社」。嘉永5年(1852年)二月吉日とありますから幕末の頃に建てられたもの。平成になって再建されていますので今も氏神として信仰されているのでしょう。
水戸藩は寺社改革によって小さな社殿は次々と統合されましたが、この辺りは水戸藩ではありませんし自由な信仰があったみたいですね。
wata
五行説で読み解く「治水とお稲荷さま」
お稲荷さまといえば五穀豊穣と商売繁盛。
しかし、冒頭に書いた通り稲荷神社は意外にも港町に多いのです。大きいものでは神岡稲荷(北茨城市)、四郎介稲荷(ひたちなか市)、大洗磯前神社の境内社など、小さいものは数え切れません。
女化稲荷(龍ケ崎市)に至っては、鹿行地域や銚子でも信仰され、同社の御札を海に撒くと大漁になるといわれています。狐や穀物は海にありませんから不思議ですよね。
このような水とお稲荷さまの関係は一般的な稲荷信仰では説明が難しいのですが、五行説を用いるとスッキリします。ぜひ参考にしてください。
五行説は明治時代以前に使われた哲学です。万物を木、火、土、金、水の5つの気に仕分けしてその関係性を示します。五行説では物体に限らずに季節や方位、暦なども分けられます。
その五行説でお稲荷さまを説明しようとすると次のようになります。
- 狐は黄色い姿をしている。黄色は土気の色。すなわち狐およびお稲荷さまは土気
- 土気は土剋水という法則があり、水気を負かす(抑える)
- 水気を負かすと水気が弱る。そのため川は氾濫しない、海は時化にならない
水のことは水神に祈願すればいいと思うかもしれませんが、水神に限らず自らの気(力)を弱めたり抑えることは難しいとされます。そのため弱点となる気を発生させて負かす(剋する)のです。こうした気の優劣を五行説では「相克」という関係で示します。
土は堤防のように水をせき止められるので水より強いとされます。土気により水気を抑えられれば、海は時化にならずに船を出せるので漁師の仕事が続けられる。結果的に魚がとれて商売もうまくいくという理屈です。
一方、五行説ではお稲荷さまに五穀豊穣や商売繁盛の神徳があることも認められます。土気は土の持つ気(エネルギー)ですから農業に必須。土気が高まれば豊作間違いなしです。
五行説には「相生」という気の親子関係があります。土気は金気を生むとされ、金気は金属を意味することから貨幣が手に入ることに通じます。
まとめるとお稲荷さまは五行説で次のような神徳があるとされます。
- 土剋水の法則(相克)により、荒ぶる水気を抑える
- 土生金の法則(相生)により、金目のものを生む
- 土気の高まりにより、穀物をよく育てる
この三点を抑えるとウカノミタマなどの神号に関わらず「お稲荷さま」がどのような存在なのか掴めるのではないでしょうか。
そして当社の立地から考えるにもっとも強く祈願されたのは小貝川の氾濫を鎮める「治水」だったのではないかと思うのです。
祭りで考える三軒地稲荷
上記は公式サイトにある当社の祭事です。神社ではお馴染みのものばかりですね。
稲荷神社として祭りは初午祭です。これは本営の伏見稲荷のお祭りで「初午」は同社が創建した暦に由来します。
さて、現代の三軒地稲荷では多くの祭りがあるのですが、昭和40年頃まで遡ると祭事として挙げられているのは以下の2つのみです。
- 2月初午日…初午祭
- 9月13日…例祭
この例祭の日取りは大変興味深いものがあります。
旧暦9月は戌の月。そして秋の終わりの月ですから土用を含んでいます。土用とは季節の終わりにある中間の期間です。春夏秋冬のどれにも属さないので土気が充てられています。
さらに土用にはおよそ18日間という具体的な日数が定められています。1年365日を五気で分割すると季節あたり73日間。土気の場合、それが各季節の終わりにあるわけですから4等分して。。約18。
9月の場合は9月13日〜30日までが土用です。当社の祭りはまさに土用のはじめにありますから土気を強く意識しているといえます。
なぜそのようにしたかといえば、やはり土気により水気を抑える意図があったのではないかと思います。現代においてそれが無くなっているのは、安全が確保されたのかもしれませんね。
五行説で読み解く公式サイト
当社の公式サイト(たぶん)でなにやら意味深な言葉を発見しました。
宇迦之御魂神
虎は死して皮を残したが
宇迦之御魂神は死して
五穀の種子を生じ、
食料確保の大功績を残した
古くから伝わるのか現在の神職の言葉なのかは不明。『記紀』を読んでもこの内容を理解できる方はいないでしょう。後半はともかく「虎」は何を意味するのか本当に謎。
常識では解けないので五行説を駆使して謎に迫ります。
まずは当社の祭神である宇迦之御魂神は前述の通り土気に属します。では強い土気はどのようにしたら生まれるか。あまり知られていませんが、土気の三合を用います。土気の三合は、午(火気)に生じ、戌(この場合は土気)に栄えて、寅(木気)に死す。
この三合を用いることで「虎は死して」に繋がるわけですね。正確には「寅」ですが。
しかし、話はもちろんこれで終わりません。寅は土気の死と同時に火気の生にあるのです。これにより火気の三合がはじまり、火気は再び土気を生み出し無限ループが完成。
土気である宇迦之御魂神は何度も死にますが、寅がいる限り完全には滅びません。それが「食料確保の大功績」という意味かと思います。
それでは、ここでいう寅とは何を意味するのか。五行説といえども三合は理論だけで成立しませんので寅に充たる何かが必要です。
おそらくそれは当社の愛称である「三軒地稲荷」の「三」です。3は木気の生数であり、十二支の三番目は寅です。「ねー、うし、とら、うー」ですよね。それに赤い鳥居(午)や稲荷像(土気)などを境内に設置すればめでたく土気と火気の三合を揃えられるのです。
「三軒地」という言葉自体は決していい意味ではありませんが、それでも今なお愛称とされるのは、祭神と深い関係を持つ寅を意味するからではないでしょうか。
真相はもちろん知りませんが、常識では分からないことが多々あるのはたしか。そこには先人たちの知恵なり願いが込められていると思いますので、なるべく感じ取ってみたいものです。
御朱印
三軒地稲荷神社の御朱印です。社殿向かって左側の社務所でいただけます。
この日は神職不在でしたが、書き置きが用意してありました。このご時世なので直書きの機会は少ないかもしれませんね。
まとめ
この記事のまとめ
- 創建は天正年間。ご祭神の宇迦之御魂神はお稲荷さまであり土気
- 「三軒地」は家が三軒しかなかったことに由来
- 虎は十二支の三番目。三軒地に通じ五行説と関係があると思われる
- 御朱印は社務所にて。書き置きが用意されている
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。