wata
- 由緒とご祭神
- 社名の由来
- 御朱印のいただき方
2022年正月、県内で初めて御朱印を頒布する神社がいくつか現れました。前年に県神社庁が御朱印を参拝のきっかけのひとつにして貰おうと各社に促したようですね。年末には正月に頒布する御朱印の一覧がポスターとして掲示されていました。
御朱印目当ての参拝は良くないといわれますが、御朱印によって人と神社の関係が生まれるならそれはありではないかと思うのです。
そんなことを考えながら、古河市の日月神社に初参拝しました。社号といい御祭神といい興味深いのでぜひ足を運んでみてください!
参拝された読者様より正式な社号は「にちがつ」と教えていただきましたので訂正しました。
ただし、県神社庁等には「にちげつ」と表記されています。
日月神社とは
由緒
錦旗をたて、天神地祇をまつり戦勝祈願をしたところ、討伐に成功したため、これを記念し錦旗の『日月』を社名とし創建した。茨城県神社庁
ご祭神は大日霊貴命と月読命です。大日霊貴は『日本書紀』に出てくる天照大神の別の名前ですね。同書では「命」がつかず、あるいは「大日霊尊」と表記されています。
この二柱は伊弉諾尊(『日本書紀』の場合は伊弉冉尊)から生まれた神として有名ですが、合祀となると珍しいかと思います。天照大神といえば伊勢神宮(内宮)の祭神であり皇祖神。特別な位置づけの神でかつては私幣(個人的な参拝や奉納)を禁じていました。
それが歴史的な背景から解禁され各地に広まりましたので、当地で信仰されはじめたのは早くても室町期以降かと思います。そう考えると創建した天慶年間に祭神だったかは疑問が残るところですね。
それはともかくとして興味深いのは月読命との組み合わせです。前述の天照大神に対する信仰に月読命は関係ありません。どうして二柱は一緒に祀られているのでしょうか。
二柱は日と月の神です。月は「太陰」と呼ばれますので、太陽と太陰、つまり陰陽を表していると受け取れます。『日本書紀』は陰陽・五行説をふんだんに取り入れており、祭神を「大日霊貴」とする当社も同書と同説を強く意識しているのでしょう。
陰陽五行説によれば万物は陰と陽から成り立っているのでどちらが欠けてもいけません。その化身ともいえる両神を祀ることは、広く当地の平和や安定を祈ることを意味するのかなと思います。
『天照大神』についてはこちら
アクセス
最寄りICは圏央道の五霞ICでしょうか。下りて約20分ほど。茨城県の最西端に位置し、少々アクセスは大変かもしれません。
駐車場は境内西側に広がっています。停められないということはまずないでしょう。
また、最寄り駅は古河駅ですが、神社まで5kmほどあるので徒歩は厳しいですね。神社庁のサイトによるとバスが有り、友愛記念病院前で下車すればそこから徒歩5分だそうです。
名称 | 日月神社(日月宮) |
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住所 | 茨城県古河市東牛ヶ谷915 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 茨城県神社庁 |
鳥居
境内入口は一の鳥居と二の鳥居が密接しています。おそらく開発の関係で一の鳥居はこちらに移されたのでしょう。
この鳥居の足の部分を見ると「嘉永元戊申歳九月」に建立されたと彫られています。嘉永元は元号だからわかるとして、戊申は?
おそらく戊申が五行説の「土生金」だと伝えたいのでしょう。戊は五行説の土気、申は金気にあたり、土は金を生むという法則があるのです。ちなみに九月は戌の月で金気にあたります。
要するに金気(金運や財産)に恵まれるように吉日に建立したという意味ですね。一方で「金剋木」の法則を利用して木気の台風や落雷といった災厄を避ける狙いもあったのでしょう。
参道
参道沿いに石碑が並んでいます。伊勢神宮の参拝など氏子に関する記念碑が多く見られました。
当社は江戸末期に社殿が焼失したので、おそらくそのときに社記など一切を失ってしまったのでしょう。そのためどのような神社なのか説明しにくいのですが、こうして歴史を刻むことで新たな価値を生んでいるのだと思います。
神社は歴史のある場所であり、歴史が生まれる場所でもあるわけですね。
社殿
社殿前の狛犬です。最近知ったのですが、神前から見て右側を狛犬、左を獅子というそうです。
台座には軍人恩受給者とあり、支那事変と大東亜戦争で生き残った方々が平成3年に奉献したとのこと。
拝殿はこちら。境内の石碑によれば昭和35年(1960年)に改築されました。左手に通路があり、社務所的な建物と繋がっているようです。
屋根の大棟に3つの神紋。中央の巴はよく目にしますが、左右は初めて見ました。三日月と太陽があるのでご祭神を意味するかと思いますが、波や雲らしき部分が気になりますね。
本殿は覆屋によって隠されていますが、『茨城県神社誌』によれば神明造だそうです。天照大神といえば、ですよね!
余談ですが、陰と陽が合わさった状態を中国では太一とか太極といいます。それを表現したのが上の太極図。きっとだれもが目にしたことあると思います。そして太一を神格化したものを天皇大帝といい、日本の「天皇」の由来になったといわれています。
また、太陽と月で陰陽を表していると前述しましたが、天照大神のみで太一とする場合もあるようです。その根拠のひとつが神宮の別宮である伊雑宮(祭神:天照大神御魂)の田植式で使われる「太一」の扇。日本最古級の伝統行事になぜ中国由来の言葉があるのでしょう。
話をまとめると太一とは陰陽を合わせた究極の存在であり、天皇大帝、天照大神(とその子孫である天皇)も同一であると繋がっていくんですよね。「日月」「陰陽」には何やら深い思想がありそうな気がしませんか?この辺りに興味のある方はぜひ吉野裕子さんの著作をお読みください。
御朱印
日月神社の御朱印です。例祭の日であれば境内でいただけるかもしれませんが、基本的には宮司宅になるかと思います。
連絡先は茨城県神社庁のサイトからどうぞ。神社から車で約5分ほどの場所にあります。
2022年のお正月をきっかけに頒布しておりますので、まだ珍しいですね。
まとめ
この記事のまとめ
- 御祭神は大日霊貴命と月読命
- 陰陽を表した社号、祭神で特別な信仰があったと思われる
- 御朱印は少し離れた宮司宅でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
この記事で紹介した本はこちら
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。