wata
- 神社の由緒、ご祭神について
- 境内社、日光街道の鎮守について
- 御朱印の種類、いただき方
源頼朝といえば鎌倉幕府の初代征夷大将軍。源平合戦で平家を打ち破り、史上初の武家政権を誕生させました。
天皇の権威を維持したまま世を改めた点において偉大な政治家といえると思います。そんな頼朝が創建したといわれる神社が古河市に鎮座しています。
この記事では古河市の鶴峯八幡宮をご紹介します。旅の安全を守護するご神徳もあるという一味違った神社です♪
鶴峯八幡宮とは
由緒
ご祭神は誉田別命と経津主命です。八幡宮と香取宮が相殿となっているため各本営の主祭神を一緒にお参りできます。
由緒によると創建した頼朝は以仁王の挙兵からはじまる治承・寿永の乱(治承4年/1180年)で富士川の戦いに向かう際に当地に寄りました。そして小山のお稲荷様に戦勝祈願したことで神徳を感じ、翌年に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請してゆかりの地としたそうです。
八幡宮は欽明天皇の代(539-571年)に創建された宇佐八幡宮が起源で石清水八幡宮、鶴岡八幡宮と続きます。いずれも源氏との関係が深く、「八幡大菩薩」という尊称が示すとおり仏教とも密接です。宇佐(大分県)の土地が大陸の影響を受けやすかったためなどといわれています。
余談ですが、大河ドラマの『太平記』では、源氏の棟梁である足利尊氏が合戦の際に「南無八幡大菩薩!!」と叫んでいます。鎌倉幕府は頼朝以来、神仏の崇敬には篤いものがありました。武力で手に入れた政権だからこそ謙虚でおごらない姿勢をとったのではないかと思います。
江戸時代になると将軍が日光参拝の際に立ち寄って旅の安全を祈願しました。日光街道の鎮守とされており、旅の安全を守る五柱をお祀りしています。
鶴岡八幡宮の初代宮司には鶴岡八幡宮の初代宮司の次男で頼朝の侍従である高橋鴨次郎吉元(鴨次郎吉廣)が就きました。
由緒の年代は近年境内で配布されているパンフレットの記述を優先しています。
アクセス
最寄りICは境古河。下りて約20分です。
電車だと古河駅から5.6km、栗橋駅から3kmほど。どちらもタクシーを利用する必要があるでしょうか。
車は鳥居の隣に停められるかと思います。
それが難しい場合は、社殿の裏手に30台、鳥居前の通り(旧日光街道)の南側に15台、そして鳥居の向かい側に大型バス用の駐車場が用意されています。
名称 | 鶴峯八幡宮 |
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住所 | 茨城県古河市中田1337-6 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
鳥居と参道
ふだんは混雑しませんので、鳥居のすぐ隣に駐車できます。
そして写真の一の鳥居をくぐって境内へ。2つの扁額は「正八幡宮」と「正一位香取宮」とあります。
茨城県はかつて常陸国だったといわれますが、古河をはじめ県西地域の多くは下総国でした。なので、下総国の一宮である香取神宮から分霊された香取神社(香取社・香取宮とも)をよく目にします。境町とか八千代町は香取神社だらけ。
一の鳥居の先に自転車置場があります。いい感じの立て札を発見。こちらの神社はこうした案内や気遣いをたびたび感じられて気持ちよく参拝できます。
参道の右手にはソメイヨシノの古木が並んでいます。少し弱々しいのですが、春には参拝を美しく彩ってくれるそう。
二の鳥居の先はこの光景。右手の桜が咲いていたらどんなに素晴らしいことでしょう。古河は3月の桃の季節によく足を運ぶのですが、4月にも来てみたいですね。
参道左手に見えるのは神楽殿。当社の太々神楽は古河市指定の民俗文化財です。
立派な、そして非常に目立つ神楽殿があるのでよほど大切にされているのでしょう。じつは「神楽」の御朱印も頒布していたりするんです。
手水舎
参道の右手の手水舎にも注目です。カラフルな傘で装飾されていますね。
近づいてよく見ると。。小吉や中吉の文字が!どうやらおみくじのようです!
社殿
社殿の前の二体の狛犬。大きなマスクをして感染対策ですか。それにしてもごつい。
入母屋造の拝殿。シンプルながら美しく整っていますね。神紋は五七の桐と巴。八幡宮と香取宮の本営と同じですね。
二柱が一緒に祀られている本殿は内部の造りも通常と異なるのでしょうか。神職さんに聞いておけばよかったです。
社殿の裏手に小さな奥宮が置かれています。
詳しい経緯はわかりませんが、もしかしたら元々別の場所にあったのかも。当社の境内は明治以降さまざまな事情によりずいぶん縮小してしまったそうです。
ちなみに隣の立て札には「なでるように頭で鈴を鳴らす」とありました。猫のような感じでしょうか。なにか違う気がしますが。。
旅の守護神
当社の鎮座地は古河市中田。かつて日光街道の中田宿のあった地です。
近年はそうした歴史にスポットをあてたマイクロツーリズムが企画されています。簡単にいうと「旧日光街道をめぐって御宿場印を集めよう」ですね。
結城信用金庫が各地の観光協会やNPOの協力を得てすでに実施中です。中田宿の御宿場印は御朱印と同様に社務所でいただけますよ。
というわけで、日光街道をおさらいしておきましょう。御宿場印プロジェクトのポスターから引用します。
日光街道とは
日本橋から日光を結ぶ、約百四十キロメートルにわたる街道です。五街道のひとつで、歴史ある古河・名刹が多く、終着点である日光には家康公が祀られる日光東照宮があります。そのため、後代の徳川将軍や諸大名も、この道をたどって日光へと参詣していました。また、松尾芭蕉が歩んだ「奥の細道」の旅も、この日光街道が起点。街道沿いに芭蕉の句碑が多く見られます。峠道はなく、平坦で比較的歩きやすい道程が続きます。
社殿の左手に進むと日光街道の旅の守護神にお参りできます。祈願すれば健康、安全、病気平癒、災除のご神徳があるといわれています。
神社とご祭神は以下のとおりです。
- 水神社…水罔象女命
- 八坂神社…素戔嗚命
- 浅間神社…木花開耶姫命
- 道祖神社…猿田彦命
- 琴平神社…猿田彦命
水神社は近くに利根川がありますので土地の守護神的な役割でしょうか。八坂神社は病気や災除のためでしょう。
浅間と道祖は修験によって勧請されたのではないかと思います。道祖と琴平は元々ひとつの神社で浅間琴平神社と称していたようですね。
丸山稲荷神社
旅の守護神の先に進むと丸山稲荷神社が鎮座しています。稲の模様の神紋が素敵♪
ご祭神は宇迦之御魂命です。
当社の創建にあわせて勧請された由緒ある神社で明治以降に周辺の稲荷社がいくつか合祀されています。
八幡さまといえば武運長久の祈願が多かったかと思いますが、百姓としては先立つモノの方が大切。というわけで、じつはこちらも崇敬もかなり篤かったのではないでしょうか。
平成22年(2010年)に社殿を再建。社殿の隣には奉賛者の氏名がズラリと並んでいました。信仰の賜物ですね。ご利益ありそう。
稲荷社の向かって左手には12の境内社がまとめてあります。その多くは茨城県神社誌に載っていませんので区画整理などで移設してきたのでしょう。
では、元から社はどれか。以下の2社です。
- 白旗神社…源頼朝
- 高良神社…武内宿禰命
武内宿禰といえば応神天皇(誉田別命)の。。興味深いですねぇ!!
御朱印と御宿場印
鶴峯八幡宮、香取宮、丸山稲荷神社の御朱印です。なんとも力強い筆!
参道の右手にある社務所でいただけます。御朱印ができるまではこちらの引換券を持って待ちます。ユルユルですね〜
他にも時々の限定御朱印を頒布しております。「令和」なんてのもありましたよ♪
中田宿の御宿場印もいただけますので集めている方はお声掛けしましょう。
太々神楽
例祭(鶴峯祭)に奉納される太々神楽を見物に行ってきました。令和4年(2022年)は初開催のつるマルシェと同時開催。会場は大変な賑わいでした。
午前10時から社殿内で神事が催され、神楽は11時以降だったかと思います。会場は飲食店が多いのでなんとも香ばしくてお腹が空いてしまう。。
幣舞、五行の舞、伊弉諾尊・伊弉冊尊、翁の舞、猿田彦命と次々と奉納されていきます。神に捧げているのですから、見物人がコメントするのは変かもしれませんが、それでも綺羅びやかな衣装の舞を見ると神聖な気持ちになれて心地いいですね。
神話モチーフが好きなのですが、さいきん五行説を覚えたので五行の舞は興味深かったです、土気を意味するであろう黄色の御幣を中心に四人が四色の御幣を持って舞っていました。
じつはこのブログでさんざん五行説について書いているものの、世間での知名度は極端に低くのでなにやら危ない言説を広めているように思われていないかと少々心配しています。
しかし、こうした歴史ある神楽の中で明確に存在を確認できると大変心強いものがあります。受け継いできてくれたことに感謝です!
まとめ
この記事のまとめ
- 源頼朝が鶴岡八幡宮から勧請して創建
- 日光街道の鎮守、徳川将軍も旅の安全を祈願
- 御朱印は参道右手の社務所でいただける。香取宮、丸山稲荷神社もあり
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。