wata
先日、守谷市の大圓寺(大円寺)に向かっている途中、道路沿いに鳥居があるのを見つけました。到着してからカーナビで鳥居のあった場所を見てみると「六十六所神社」の文字。聞いたことない!
あまりにも気になったので、後日参拝してみることにしました。この記事では境内の様子と簡単な社歴しかわかりませんが、わたしと同じように「六十六」について知りたい方の参考になれば幸いです。
由緒
出雲大社から分霊して創建
12月、同地の大日神社および水神社を合併
ご祭神は大国主命、大日霊貴命、素盞嗚命です。また、配祀として大日霊貴命と罔象女命がおります。大日霊貴は『日本書紀』における天照大神の呼称。主祭神と分かれているのは合併の関係でしょう。
大日霊貴といえば神明社の社号で祀られることが多いのですが、由緒にあるのは大日神社。伊勢の御師とは別系統の布教があったのでしょうか。「大日」は大日霊貴の本地仏である大日如来に通じている気がします。
明治初期に火災にあったせいか、社歴に関することがほとんどわかっていません。そのため「六十六」についても謎のまま。
一般的に「◯◯所神社」といえば、その神社の御祭神の数や合併した神社の数に由来します。よく目にするのは二所、三所、五所、十二所神社です。このうち十二所だけは前の説明にあてはまりません。
民俗学的には次のような見方ができるようです。『民俗小事典 神事と芸能』の「巡礼」から抜粋します。
聖蹟巡礼では参詣寺院の歴史的な由緒に従って巡っていく。これを代表するのは弘法大師のゆかりの寺を巡る四国八十八ヵ所巡礼(遍路)である。弘法大師が創建したとか中興したという縁起を有する点で共通するだけなので、本尊も宗派も別々である。この種類にはほかに日本六十六ヵ国の中心寺社を巡る六十六部巡礼や、宗教の祖師にゆかりの寺を巡る、真宗の二十四輩巡拝、浄土宗の法然上人三十五霊場、日蓮宗の二十一ヵ寺霊場などの祖師巡礼がある。
民俗小事典 神事と芸能 P66-67
当社が巡礼地のひとつに数えられていたことは、境内の石碑から読み取れます。ただし、それは弘法大師像と「新四国」の文字から「八十八」のほうに由来すると思われます。
「六十六」は他にも塚に奉納する経典の数だったり、巡礼者のことを指す場合があるそうです。今回調べて知ったのですが、『累ヶ淵』の累の夫も「六十六部」であったといわれてます。
wata
アクセス
駐車場は(たぶん)ありません。幸いにも周辺の道路は交通量が多いので、近くに安全に停められる場所を探し出してください。
名称 | 六十六所神社 |
住所 | 茨城県守谷市大木673 |
駐車場 | なし |
Webサイト | なし |
鳥居と参道
神社の入り口は何箇所かあるのですが、ほとんどの方はこちらの鳥居から入ることになるかと思います。いわゆる明神式鳥居となっており、足の部分が頑丈に補強されています。
神額にあるのは「大神」。霊験あらたかな神様にだけ使われる名前かと思います。ちなみに『古事記』ではこの尊称があるのは天照大神と賀茂大神だけです。
参道を進むと、ひとつめの石段。その左側には緩やかなスロープがあります。社殿のほうに続いているのですが、途中に会社がありますので、本来の参道とはちょっと違うのかもしれません。
石段途中の石碑には、出羽三山の文字が見えます。「百所巡拝塔」とあるので、各霊場を巡ったものがこの地で石碑を建立したと思われます。
ただし、このような石碑は複数あるので特定の信仰地というわけでもないようです。他には大日如来、金比羅大権現、稲荷大神とあまり見ない組み合わせがありました。
こちらが二の鳥居。大正期に建てられた比較的古い石鳥居となっており、なんといっても独特な神額が目立っています。石造りでこうした形を見るのは珍しい。
ちなみに、鳥居の足の部分に彫られているのは、「天地」と「和合」という言葉です。はっきりとした意味はわかりませんが、易の考え方では父母(男女)のはじまりは天地なので、それで和合と繋がるのかもしれません。
一つ目の石段を登ったところには、弘法大師の石像がいくつも建てられていました。そこには新四国五十五番と書かれており、この辺のいくつかの霊場が集められているようです。ちなみに写真の下にはなぜか兜が置かれていました。
社殿
石段を2回登った先に拝殿がありました。簡素な作りとなっており、もしかしたら火災にあって以来仮設のままなのかもしれませんね。
ところで、当社の分霊元の出雲大社といえばオオクニヌシをお祀りしていることで知られていますが、中世はスサノヲが主祭神でした。たしかに両者は出雲にゆかりがあり血縁なので深い関係といえます。
分霊された時代はスサノヲ時代という気がしないでもないのですが、果たしてどうだったでしょうか。もし当時の出雲の信仰がスサノヲ中心であったなら、当社も後世になって祭神が交代した可能性が考えられます。
本殿は覆屋に囲まれているため、その姿はほとんど見れません。火災損傷したそうですが、私が見たいのは火災前からあるという一部の彫刻です。。一生見れない気がする!
拝殿の向かって右側の小山にあるのは、やはり山岳信仰に関する石碑です。中央に御嶽山神社、向かって右側が八海山大神、左側が三笠山大神となっております。
いくつか札の建てられている祠がありました。読み取れたのは東照宮や筑波山神社など。これらは明治時代に合併した神社と思われます。
そして私が一番気になっているのは、この石像のある神社です。笏を持った人物なのですが、首の部分が欠けてしまっていて誰なのかが分かりません。このような状態の石像をつくばみらい市筒戸にある日光神社でも見ました。
個人的には二つの像は同一人物なのではないかと思います。考えられるのは菅原道真か聖徳太子。どちらかといえば道真公の可能性の方が高いでしょうか。
守谷はあまり神社が多い地域ではないのですが、その中でもなぜか山岳信仰に由来すると思われるものは少なくありません。もしかしたらこちらもその影響によるものかも。。
もし、これがなにの石像なのか予想できれば教えていただきたいです!
こちらの石碑は「水神宮」と書かれているのでしょう。一般的には水難にあった方に対する供養や今後の水難防止のために建てられるものです。この辺りで水難といえばすぐ西側を流れる鬼怒川でしょうか。
おそらくは別のところにあったものを移したのだと思います。水神宮は川の氾濫で流されてしまうことがありますからね。それにしても先程の弘法大師像と同じく兜があるのはどういうことでしょう。
はじめは独特な社号に関心を持ってお参りしましたが、どうやら色々と奥深い思想があるようです。周辺の寺社を巡ると見えてくるものがあるかもしれないので、引き続き調査を続けたいと思います!
・出雲大社から分霊して創建。主祭神には大国主命。
・社号と境内から、かつて霊場して巡礼者が訪れたと考えられる。
・境内には謎の兜や笏を持った石像がある。
茨城県神社誌|編:茨城県神社庁
民俗小事典 神事と芸能|編:神田より子・俵木悟
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。