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- 由緒とご本尊
- 明星院の枝垂れ桜について
- 御朱印のいただき方
桜の季節が到来したのでふといくつかの一本桜を思い出しました。一本桜は寺社など植えられている独立した桜でなんらかの意図があって植えられたと思われます。
非常に大切に育てられますので巨木となっていることが多く、春になればその立派な姿を楽しめます。今回は取手で見つけた一本桜とその桜が植えられている明星院をご紹介します。
明星院とは
由緒
明星院のはじまりは次のようにされています。
取手大師の呼び名で広く知られている。寺の歴史としては浅く、昭和45年、取手大師霊園を開園され、本堂・大師堂・客殿・庫裡と諸堂伽藍を建立し開山したのである。
寺院紹介|関東八十八ヶ所霊場
昭和45年は1970年。つまり創建から50年ほど。お寺としては始まったばかりといえるかもしれませんね。しかし、後から紹介するようにこの地には信仰が根付くだけの土壌があったように思います。
ご本尊は延命地蔵菩薩です。先に引用したサイトからふたたびご紹介します。
本尊の延命地蔵菩薩は、沓を履いた珍しい姿で、鎌倉時代の作である。下総城主多賀谷氏の家臣、源松右衛門頼久の守本尊といわれ、四国八十八ヶ所霊場の19番、立江寺より勧請安置された仏様であると伝えられている。
寺院紹介|関東八十八ヶ所霊場
当寺は関東八十八ヶ所霊場に数えられており、霊場巡りでお参りするのはこちらの本尊です。とりで利根川七福神が安置されたお寺でもありますので、霊場巡りのひとつとして知られているのではと思います。
なお、『茨城の寺(一)』の福永寺に項目には「明星院という号は最近、霊園を作ったほうに移ったという」とあります。福永寺は当寺と同じ小文間に位置し、車なら5分ほどの距離です。
福永寺の院号も明星院なのですが、近年ではあまり使われていません。本の出版が明星院創建の1年後(昭和46年)であることを考えると、当寺は福永寺となんらかの関係があったと思います。
小文間には他に東谷寺があり、いずれも真言宗豊山派の寺院であることから地域的な信仰がうかがえます。創建にはなにか補完的な意図があったのかもしれませんね。
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アクセス
最寄りのICは常磐道の谷原IC。下りてから約30分です。最寄り駅は常磐線の取手駅。5kmほど離れておりますのでタクシー必須でしょう。場所は以前ご紹介した小文間の福永寺のすぐ近く。車で5分も離れていません。
駐車場は本堂下に10台ほど停められます。ふだんであればまったく問題ありませんが、桜が見頃を迎えるのは春の彼岸の時期なのでそのときだけ注意が必要ですね。
名称 | 深雪山 明星院 |
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住所 | 茨城県取手市小文間3911 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 関東八十八ヶ所霊場 |
明星院の枝垂れ桜
まずはとっても目立つ桜からご紹介しましょう。明星院の開山は昭和45年(1970年)とのことなので、境内の中心にあるこちらは同時期に植えられたかと思いましたが、幹の太さからすると15年未満、長く見積もっても20年ほどではないかと常磐百景さんから教わりました。
枝垂れ桜はソメイヨシノと比較して遥かに長寿ですから、品種としてはまだまだ若い部類に属します。
これを撮影したのは3月20日。ちょうど春のお彼岸の時期でした。開花状況はほぼ満開。お墓参りにいらした方々からは感嘆の声が聞こえました。
笠状の薄いピンクが歴史を刻んだ石碑らを覆って守護しているかのよう。開山堂のあたりまでかかっており、これ以上ないほどお寺のシンボルと化しています。
枝垂れ桜は江戸彼岸桜の変異種なのでその特徴を受け継いでいます。ガクの付け根のあたりが小さく膨らんでいるので注目してみてください。(わたしも最近ちゃんと知りました)
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桜下の石碑
桜の下にはいくつかの石碑が建てられています。手に金剛杵らしきものを持つこちらは弘法大師(空海)でしょう。これほど口角の上がっているのは珍しいかも。真言宗(豊山派)のお寺らしいですね。
中央の石碑には「大和國大峯山」「修験開祖○○大菩薩」、向かって左には「修験中興…」の文字が見え、修験道との関係がうかがえます。修験道は明治初期まで密教宗派(真言宗と天台宗)の管理下にあるのが基本でした。そのため真言宗の寺院にこうした石碑があるのはおかしくはないのですが。。
当寺の創建は修験道が廃止されて以降の昭和45年。ここに修験に関する石碑があるのは不思議な気がします。正面からは建てられた年代がわからないのが残念。気になる方は荒らさないように石碑に近づいてご覧ください。
前述の石碑の南西側にはなにやら古い石碑たちが。彫られた文字を読むと「開運講」とありますので講中が建てたのでしょう。清々しいくらい直球の祈願ですね。たしかに開運さえすれば万事OKですよね。
本堂と恵比寿天
境内は通りから降ったところ、つまり低地にあります。その中で本堂はせり上がった場所に建てられています。お寺には山号がつくだけあって、仏は山に現れるものなのでしょう。
本堂は昭和53年に建てられました。いつも五色幕が張られていて晴れやかな印象ですね。
その本堂の右手にあるのがとりで利根川七福神の恵比寿さまです。室町期に日本で誕生したといわれる七福神の多くはインドや中国の神様なのですが、恵比寿さまだけは日本生まれといわれています。
当七福神の場合はその正体をイザナギとイザナミの間に生まれた神、すなわち蛭児としているようです。場所によっては大国主命の息子である事代主命とする場合もありますが、定説はありません。
鯛を抱えて笑うその姿から漁業の神様として信仰されますが、大黒さまと並んで商売繁盛や開運の神とされることも多いですね。わたしもこのブログがたくさんの方に楽しんでもらえるようにお願いしました。
境内は庭園風なところも見え、ところどころ可愛らしい像が見えます。本堂→八角堂→大師堂かその逆ルートで巡るとひととおり楽しめるかと思いますのでおすすめです。
開山堂
少し戻って桜のそばにある開山堂をご紹介します。正式には開山八角堂というようですね。基礎の部分の記載によると平成11年に建立されました。
中には当寺の開山にあたった寺の一世がお祀りされているかと思いますが。。寄附者の芳名一覧にも一世とあるので生前に建立されたのかな。
開山はお寺にとっての生みの親。丁重に扱わないはずはありませんよね。それに年代からすると現在の檀家の多くは一世にお会いしているかと思います。立派な建物には色々な思いが詰まっているのでしょう。
ところで、個人的に八角堂の形からは「八卦」を連想します。八卦は中国では古くから森羅万象をあらわすものと考えられてきました。「明星院」というひとつの世界を生み出した人物を八角堂でお祀りするのはそのような思想に通じているのかもしれませんね。
大師堂
開山堂より少し下ったところにあるのが大師堂。中にはお大師様こと空海が祀られています。空海像は近年の作らしく非常に鮮やかに彩られていました。
建物は年代ものに見えますが、基礎の色合いを見ると本堂などとそう変わらないでしょうか。ただ、こちらは本殿と違って正面や羽目板に細かな彫刻が見えます。
向かって右手の羽目板は龍ですね。波や雲が荒ぶっていてなかなかの迫力。見どころのひとつではないでしょうか。
御朱印
明星院の御朱印はわたしの知る限り2種類。ひとつは写真のとりで利根川七福神の恵比寿さま。もうひとつは関東八十八ヶ所霊場の本尊(延命地蔵菩薩)です。
本堂の向かって左手に庫裏がありますのでそちらでお声掛けください。
まとめ
この記事のまとめ
- ご本尊は延命地蔵菩薩。昭和期に建てられた新しいお寺
- 枝垂れ桜は春のお彼岸の頃に見頃を迎える
- 御朱印は本堂左手の庫裏でいただける
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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